第5-12話 ガール・シー・パストアンドフューチャー
――目に映るものすべてが火に包まれ、人の悲鳴がいくつも反響している――
まともに覚えているのはそれだけだ。物心すらついていないその時期の彼女では何が起こっているのかでさえ理解できていなかっただろう。しかし、彼女を取り巻く環境は彼女のことなど気にすることもなく蠢いていく。
「ハァ、ハァ……」
そんな幼かったころの少女を抱きかかえる女性は町の中を駆けていた。悲鳴と血しぶき、そして町を焼き尽くす炎の渦巻く中を走る彼女は、助けを求めて伸びる手も、捕まえようと狂暴に伸びる手にも眼もくれず走り続けていた。
既に彼女らのいる町の住人は五百人ほどまで減っている。こんな地獄に変貌する前のおよそ百分の一。それまでに飛び散らされた血や臓物が町中に飛び散っていた。
誰とも知らない人物から強制された、一人の生き残りを決めるための殺し合い。最初こそ何が起こっているのかわからない住人達も、一人二人と見せしめにされる住人を見て、事態を理解する。
状況を飲み込みパニックに陥りかけた住人たちを落ち着かせ、こんな悪質な蟲毒をやめさせようと交渉に向かった町の有力者と腕っぷし自慢の男たちは、三日後磔にされた状態で町の中心地に晒された。彼らとその足元で泣き叫ぶ伴侶という光景を目の当たりにした町の住人たちは、今自分たちが身を置いている状況が決して冗談ではないことを察した。
殺し合いをしなければこの惨事は終わらない。最初に刃を突き立てたのは誰だったか。誰も覚えていないがそんなことは関係ない。住人に突き付けられた事実と、たった一つの行いで町の住人たちの箍は破壊された。
殺さなければ殺される。生き残りたいなら殺すしかない。たった一つ、生きたいという願望のもとに住民たちは各々武器を振るい、殺しあった。
冷静さを保ち、殺し合いをやめさせようとした住民は真っ先に殺された。事態を理解できずに泣くことしかできない子供は狙いやすい獲物として卑劣な大人の毒牙にかかった。絶望的な状況に茫然自失とし、哀れ立ち竦むしかできなかった老人は自ら命を差し出した。
もはや誰にもこの惨事を止めることは出来ない。最後の一人になるまで血の狂乱を続けるしかないのだ。とある中規模都市で起こった文字通りの血祭。その大惨事もいよいよ佳境を迎えようとしていた。
飛んでくる火の粉や、人の悪意から娘を守りながら走った彼女が辿り着いたのは地下通路への入り口。鉄柱を組み合わせた作られた扉に塞がれたそこは下水道へとつながっており、その下水道は町の外につながっていた。
そこに辿り着いた彼女は一目散に扉に手をかけ、力の限り引いた。幸い扉に鍵はかかっていない。空いた扉の奥に飛び込んだ母親は階段を下り、入り組んだ道の迷いなく進んでいく。
「よかった……」
そして彼女の前に流れる下水道が姿を現した。水の出口には鉄柵がはめられている。大人は無理な間隔だが、子供、それも乳幼児だったら通り抜けられる。荒れ狂う下水道に娘を流して無事でいられるかは一種の賭けだが、それでも無惨に殺されるよりかはマシだろう。
水の流れる光景を見てホッと息を吐いた母親は腕の中でぐずる娘に視線を落とす。
ぐずるだけの元気があるならば大丈夫。娘を見てこんな状況であるにも関わらず、なぜか安心感を覚えた母親は娘を愛おしそうにそっと、しかし力強く抱きしめた。
「元気でね。力強く、精一杯生きるのよ。あなたのきれいな姿が見てみたかったわ」
いつの間にぐずりをやめ、娘は安心したように寝息を立てる。それを見て安心し、おでこに唇を落とす母親の耳に地下通路を進んでくる重い足音が届いた。殺し合いの生き残りが母親が地下通路に逃げ込んだことを察し、彼女を探してここに来ているのだろう。見つかれば母親だけでなく娘まで殺されてしまう。説得は通じる相手ではない。
もうゆっくりしている暇はない。母親はそばに置いてある木箱に子供を入れると下水道に木箱を浸ける。赤子が入っても木箱が浮くことを確認した母親は木箱から手を離し、幸いの我が子と別れを告げた。直後、母親の背後に現れる男たち。手には血がベットリとついたスコップが握られていた。
下水道を流れる娘の木箱はコツンと鉄柵に当たるとそのままその間をすり抜け、暗い下水道を流されていく。勢いが強くじゃぶじゃぶと揺れる中を木箱は進んでいき、闇の中に姿を眩ました。
最後の二人の相打ちという結果で終わった万人規模の蟲毒。その結末は謎の怪現象という結論で世の中に広まった。
その歴史の影に一人生き残った少女。幸運にも下水道の荒波を乗り越え、川のほとりに辿り着いた少女。川べりで泣くことしかできない。そんな少女に一人の男が手を差し伸べるのだった。
突然場面が切り替わる。先ほどの川べりの光景から雨の中、破壊された民家群。付近には人々が倒れ伏し、雨で出来た水たまりに雨ではない何かの赤色が混じっている。その数は目に付くだけでも五十人はいる。
血を流し倒れている人々。そのうちの一人を咥え、広場の中央に鎮座するのは一匹の熊の見た目をした魔獣だった。人々の血を口から滴らせ、バリバリと骨を砕く音をさせながら人々の死体を貪っている。
――自分のせいだ――
そう考える少女は呆然とし、地面に座り込んだ。そんな彼女に魔獣の視線が向く。動くものの無い広場にて動いた少女は何とも目に付きやすい。
人の死体を貪っていた魔獣は腰を上げると、ゆっくりと少女のもとに近寄っていく。早く逃げなければ。そう思っても身体が一切動こうとしない。脳ではわかっていても、そこから身体を動かすという行動に移ることが出来ない。自分のせいで集落が崩壊したという事実は彼女の想像以上のショックを与えていたのだ。
逃げ出すこともできず、魔獣が近づいてくるのをただじっと見つめる少女。彼女に近づいた魔獣はゆっくりと牙の生えそろった口を伸ばしていく。少女の視界が魔獣の口の中という闇に包まれていく。
そして少女の頭が完全に魔獣の口に包まれたその時、魔獣の開かれた口が勢いよく閉じ始める。自分に迫りくる死の概念を飲み込み、少女は先送りにされただけだった、死という運命を受け入れるのだった。
――ゴォン――
金属がぶつかったような音がした瞬間、またまた光景が切り替わる。次の光景は太陽が頂点に上った外の光景。町の外、薄暗い森の中で父親が衛兵として戦っている光景であった。
たった一人で魔獣と奮戦していた男であったが、身体の衰えや実戦から離れていたことで、腕の衰えていた彼に魔獣と一人で戦えるほどの力はない。それにその魔獣は他の魔獣よりも少々強い。彼では時間を稼ぐことは出来ても倒すことは出来ないだろう。
しばらく戦っていた男であったが、魔獣に押し倒され、馬乗りにされてしまった。抵抗の意志を見せる男だったが、人間と魔獣では当然、膂力には差がある。力でごり押しされ、抵抗の力の無に帰される。
そして両腕を拘束され、抵抗そのものを奪われた男の身体に魔獣の牙がつきたてられようとしていた――。
「……最悪」
父親の腕の中で目を覚ましたリュティエル。しばしばみる悪夢の影響で最悪の寝起きを経験した彼女はぽつりと短く不満を漏らした彼女は、顔でも洗おうと身体を起こそうとする。
しかし、ロバートががっちりと彼女の身体を掴み離そうとしない。逃れようとしても逃れられない。
リュティエルは仕方ないと思い、その状況に甘んじることにする。抵抗を諦め、父親の腕の中でじっとする。父の腕の中で眠るというのは彼女にとってなかなか久しぶりのことだった。昔はよくしてもらったが、今では恥ずかしくて言えるはずもない。
久しぶりの体験を堪能するリュティエル。包み込まれるような感覚に安心感を覚えていた。
――ゲプ――
「……くっさ」
頭上で鳴り響いた異音。突如襲ってくるアルコール臭。父親の口から発せられた臭いにリュティエルは違和感を覚える。もしやこの臭いが悪夢の一因か。寝起きからこんな不快な気分を味合わされたのか。そう考えた彼女の中である種の負の感情が燃え上がる。
――私がこんななのにこの男は間抜け面で眠って――
感じていた安心は、怒りで吹き飛んだ。そもそも昨夜抱きしめられて寝なければこんなことになってない。そう考えるとさらに怒りが沸き立つ。抱きしめられた状態から足を直角に曲げ、ロバートの腹に狙いを定める。
「起きろクソオヤジッ!」
「グボエッ!?!?!?」
そして父親の腹部に蹴りを叩き込んだ。悲鳴を上げながらベットから転げ落ちたロバートは痛みで悶絶し、地面を転げまわるのだった。
その翌日。アベルは病室のラケルのそばに座っていた。彼女が再び意識を取り戻したのだ。まだ体調は万全と言えないが、それでも一時間ほど起きていられるようになった。回復が順調に進んでいる証拠である。
完全に回復するまでにはあと二週間は必要だと言われているが、この分だと向こうが想定している以上に早く回復できるかもしれない。
その回復のためには食事が必要。アベルは今、看護師たちの代わりに彼女にミルクパン粥を食べさせていた。
「はい、口開けて」
パン粥を食べるため、開いたラケルの口にアベルはパン粥を流す。それをゆっくりとおいしそうに咀嚼するとコクリと喉を鳴らし飲み込む。それをあと十回ほど繰り返すと、パン粥が入っていた器が空になる。
パン粥を堪能し、満腹になったラケルは目を瞬かせると、そのまま瞳を閉じ眠り始める。満腹になって寝てしまうなど、まるで赤子のようだが、回復に最適ならばそれで構わない。
眠ってしまった以上、アベルにできることは付き添うくらいしかない。が、付き添ったところで回復が早まるというものでもない。心理的な効果は多少あるかもしれないが、微々たるものだろう。
ここ最近、まともに動けていないため、多少身体を動かしておきたいと考えたアベルは、椅子から腰を浮かせると外に出る決断をした。
すると、彼が扉に向かって歩き出したところで勝手に扉が開いた。看護師がやってきたのかと思ったが、少し違った。
「……こんにちわ」
扉の向こうから顔を覗かせたのはリュティエルだった。全身が見えるようになった彼女は小さな花束を抱えていた。
その姿を見て何をしに来たのか、なんとなく察しのついたアベルではあったが、一応要件を聞いてみる。
「いらっしゃい。どうしたの?」
「……女の人のお見舞いに」
少し照れたように視線を逸らした彼女は、アベルの予想通りに見舞に来たらしい。言われてきたのかそれとも自主的に来たのかはわからないが、それでも来てくれるだけ優しい子なのだろう。
「わざわざありがとね。とりあえず座ってくれ」
「べ、別に長居するつもりはないから。この花を持っていくように言われただけだし」
リュティエルはラケルのそばにある小さなテーブルに花束を置いた。ふとラケルに視線を落とす。
「……かわいい人ね」
リュティエルはラケルの顔を見てポツリと感想を漏らした。しかし、その可愛いという感想が逆にアベルに対してリュティエルは怒りを漏らした。
「あんた、こんなかわいい子を死にかけさせるなんて男としてどうかしてるんじゃないの」
「いやぁ。それを言われると返す言葉がないな……」
リュティエルの言葉に何も言い返すことができずに、アベルは自嘲するような笑みを浮かべながら後頭部を掻く。
「まったく……。それじゃ私もう行くから」
「ああ、この子が治ったらまた会いに行くからな」
「もう来なくていいわよ。それじゃあね」
踵を返しリュティエルが扉の取っ手に手をかけたその時。アベルの耳にも届くほどの金属がぶつかる様な男がした。一聞すると、時刻を知らせる鐘のようにも感じられるが、この町に滞在してそんなのは聞いたことがない。
「ビビった。何の音だ?」
しかし、もしかしたら自分の知らないこの町の風習かもしれない。アベルはリュティエルに問いかけてみる。
しかし、彼女から返答が返ってくることはなかった。リュティエルは取っ手に手をかけた体勢で固まっており、顔を青ざめさせていた。
「大丈夫か? オーイ?」
何のアクションも見せない彼女を心配に思い、声をかけるアベル。するとリュティエルは何の返事もなく、いきなり部屋を飛び出していった。残されたアベルはその後姿を見届けた体勢で固まった。
固まったかと思ったら、急に部屋を飛び出していく。彼女の行動に不審さを覚えたアベルは、何かあるのではないかと思い、即座に復活。武器を携えると彼女の後を追って部屋を飛び出していくのだった。
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