第3-3話 ガール・ウェイクアップ・スリープ
ヘリオスにカルミリアの指示を伝えたアベルが荷車のほうに戻ると、荷車からカルミリアたちの声が漏れ出るようにして聞こえてくる。
アベルも荷車に乗り込んで話を聞きたいところであったが、今荷車に乗っているのはすべからく女性であり、そのうちの一人は怪我をしている。手当てとしていったい何をしているかわからない。そこに男が足を踏み入れるのはマナー違反だ。
「君の―――は?」
「――、私は――――? ―前、お――だ―――」
耳を澄まし、聞き耳を立てるアベルであったが、たいして大きいわけでもない彼女らの声は途切れ途切れにしか聞こえてこない。
まともに情報をつかむことができず、やきもきした状態のまま馬車の近くで待つアベル。するとカルミリアが馬車から降りてくる。しかし、彼女は困った表情を浮かべており、何かトラブルが起こったことを感じさせる。
「カルミリアさん。彼女は……」
「ん。ああ、彼女は目を覚ました。意識にも問題ないし、身体にも異常はない。傷もいずれ跡形もなくなるだろう。ただ……」
「ただ?」
アベルの問いかけにカルミリアは言葉を濁す。が、彼の純粋な疑問を孕んだ瞳を見て話す気になったらしく、ゆっくりと重い口を開いた。
「どうやら記憶を失っているらしい。自分がどこから来たのか、自分の年齢、果てには自分の名前すらわからないとのことだ」
「そんな……。それってこっちに送られてきたことが関係しているんでしょうか?」
「断定はできないが可能性は高いな。何せ平行世界から送られてきた人間などごくわずか、さらに神装使いとともに送られてきた人間など前代未聞だ。何が起こっても不思議ではない」
悲壮感あふれる声を漏らしたアベルに応える形で自身の見解を聞かせて見せたカルミリア。困ったようにため息を吐きながら頭を掻いて見せる。
「記憶は元に戻るんでしょうか?」
「強いショックを与えれば元に戻ることがあると聞いたことがあるが、拳でどうにかするわけにもいかんし、精神的に不安定な彼女に精神的ショックを与えるのも問題だ。精神に干渉するタイプの魔技使いというのも貴重だ。彼女のために見つけるというものなかなか難しいだろうな。とりあえず我々にできることはないといっていいだろう」
「そうですか……」
カルミリアの言葉に意気消沈し、肩を落とすアベル。だが、彼女の命が助かったというだけでとりあえず良しということしておくことにした。
保護した少女のことをどうするか話していた二人。そんな二人の耳に前方から響き渡った鈍い音が届く。その音が本能的に魔獣が襲い掛かってきたものだと判断したカルミリアはそちらに視線を向けるとどこからともなく槍を取り出し、戦闘態勢をとる。
「私は前の様子を見に行ってくる。君はここに残って二人のことを見守っていてくれ」
短くアベルに指示を出したカルミリアはすぐに前方に向かって走り始める。その背中を見送ることになったアベルは、気持ちを戦闘用に切り替え周囲に意識を張り巡らせた。
しかし、彼らのもとに魔獣がやってくることはない。さすがはその道のプロ。襲い来る強大な魔獣が何体だろうと問題なく対処できるということなのだろう。
周囲に張り巡らせた緊張の糸を少しだけ解く。すると荷車の奥からラケルが顔を覗かせた。
「あの、アベルさん……。何かあったんですか?」
「ん、ああ、……魔獣が襲ってきてるみたいで、カルミリアさんが様子を見に行ったよ。まあ、あの人のことだし大丈夫だと思うよ」
さすがに幾度となく魔獣との戦いに身を置いているだけあって、ラケルも危機察知能力が付き始めている。魔獣の襲撃という事態を敏感に察知できるようになっていた。しかし、それでもやはり彼女はまだ一般人寄り。魔獣の襲撃を聞かせるべきか迷ったアベルであったが、下手に誤魔化すよりはっきりと伝えたほうが混乱が少ないと考え、伝えることにした。
すると、カルミリアが対処しに行ったという言葉を聞き彼女の緊張は緩む。彼女の中には既にカルミリアの傍イコール安全という式が出来上がりつつあった。なんと頼もしい。
お互いに魔獣に対する緊張を周囲に張りながらもどこかほっとしたような空気に包まれている二人の周り。その二人の間にアベルに聞き覚えの無い声が響き渡る。
「あの……、すみません」
アベルが声の方向に振り返ると、そこには彼が川で助けた少女がおりラケルを壁にするようにしてアベルを見つめていた。
「あのカルミリアっていう子に聞きました……。川で流れてた時にあなたに助けてもらったって……。ありがとうございます……」
「ああ、どういたしまして。えっと……」
「すいません、自己紹介もできなくて。私……」
「大丈夫だよ。話は聞いてるから。何にも思い出せないんだってね」
「はい……」
アベルの言葉に目を伏せ俯く少女。どこか声は震えており目には軽く涙が溜まっている。彼との会話でも一切正の感情を見せることはなかった。不安でいっぱいで彼に礼を言うことすら不安で仕方がないのだろう。
そんな彼女の背中をラケルが優しく擦っていく。不安を鎮め、心を落ち着かせるような彼女の手の動きで落ち着きを取り戻しつつある少女は少しずつ目の涙が引いていった。
そんな彼女に笑みを浮かべたアベル。少女の頭に手を当てるとポンポンと二回叩くと言葉を紡いだ。
「落ち着けたようでよかった。起きたばっかりだからまだ疲れが残ってるでしょ? 荷車で休んでるといい。」
「え、ええ……、わかりました」
「それじゃラケルちゃんよろしくね」
「わかりました。それじゃあ」
アベルの言葉に促された少女はラケルに手を引かれながら荷車の奥へ引っ込んでいく。その姿を見て姉妹のように感じたアベルはほほえましさを感じながらうっすらと笑みを浮かべた。
しかし、その直後笑みを消し気持ちを切り替えると背中の剣に手を伸ばし引き抜いた。
「さて……」
引き抜いた剣を握り直し、荷車に背を向けたアベル。その視線を先には草木に隠れるようにして様子をうかがっている魔獣がいた。
アベルと魔獣の視線が合う。これが戦いの火をつける火花となる。アベルとしては上等、わざわざ二人を見えないように誘導したのだ。前線で戦っている皆を引き戻すこともない。
お互いの存在を認知した双方。先手を取ったのは戦闘態勢に入っていたアベルであった。力強く地面を踏み込むと、魔獣に向かって走り出す。そして魔獣に向かって剣を振り下ろすのだった。
その後、瞬く間に魔獣の群れを討伐した彼らであったが、少なからず時間を取られてしまった。少女のこともあり予定より大幅に遅れてしまっている。
しかし、彼らの旅路はそこまで急ぐものでもないため、ある程度余裕のあるものとなっている。一日そこらの予定がずれたところで支障はない。
日が暮れたところで野営の準備をするアベルたち。寝るためのテントも建て終わり、夕食の準備も終わり食べ始める頃合いであった。
テントを運ぶなどの力仕事をしていたアベル、水や夕食の準備をしていたラケル、バレない様にうまくサボっていたヘリオス、そんなヘリオスの行動を見抜き、ケツを物理的に叩きながら全体の指揮をとるカルミリア。それぞれが活発に行動を起こすその一方でまだその輪に馴染めていない少女は隅の方で彼らの動きをただ見守っていた。
地神斧ユガルネウェインを抱え込むようにし、膝を立てじっと座りこんでいる。石のように微動だにせずただじっとアベルたちの行動を見つめている。そんな彼女に誰も話しかけられないでいた。
もちろん獣鏖神聖隊の面々がほとんど男だというのも影響している。いい年の男が若い女の子に声をかけるのは少し勇気がいる。いつもは率先して話しかけに行くヘリオスは自分の仕事で手一杯でそれどころではない。
だがそれ以上に記憶を失い、たった一人になってしまった彼女にどう声をかけていいのかわからないというのが本音であった。信用できる人間が誰もいない世界にたった一人で放り出された彼女の気持ちを理解できるものなど世界中のどこを探してもいない。
どことなくぎこちない空気が流れる野営地、その重苦しい空気を誰も破れないでいた。
そんな中、その空気を打ち破らんばかりに少女に話しかけに行く存在がいた。そんな人物、今この場には一人しかいない。
「はい、これ貴方の分」
両手にスープの入った器を持ったラケルが少女に近づいていくと、片方の器を少女に向かって差し出した。
「え、でも……」
しかし、それに対して少女は遠慮がちな声を上げる。何もせずに座っていただけの私がもらってもいいのだろうかと考え、彼女は反射的に声を上げてしまった。
だが、ラケルは少女の声を無視するが如く止まらずさらに迫る。
「たくさん食べないと怪我が治らないよ。女の子なんだから身体に傷が残ったら大変だよ! さ、いっぱい食べて、いっぱい寝て、早く怪我を治すの!」
「わ、わかりました。その……、ありがとうございます」
「いいの、気にしないで」
ラケルは拒否しようとする少女に半ば強引に器を受け取らせた。ラケルの押しの強さに戸惑いながらも器を受け取った少女はラケルに小さな声で礼を告げた。それを聖母のような優しい笑みを浮かべながら受け取ったラケルは少女の隣に座りこんだ。
「あの……、なんで隣に座るんですか?」
「ん~。もっとあなたと話してみたいから、じゃダメ?」
「構いませんけど……、名前も思い出せないような私と話すようなことなんて……」
「そうだよねぇ。まずは思い出すまでの名前を付けなきゃだよね。う~ん、何かつけてほしいのとかある?」
顎に手を当て考え込んだラケルは、少女に名前の希望を問いかける。
「いえ、とくには……」
しかし、記憶もない少女につけてほしい名前などあるはずもない。即座にラケルの問いに否定の形で答えた少女。それを受けて唸り声をあげながら悩み始めるラケル。少し悩んだ素振りを見せた彼女は思い出したようにあ、と声を上げると少女に視線を向ける。
「そういえば右手にブレスレット付けてたよね。見せてもらってもいい? 何か考えつくかも!」
「あ、わかりました。ちょっと待ってくださいね」
少女は右腕にはめていたブレスレットを外すとラケルに手渡した。慎重に少女からブレスレットを受け取ったラケルはまじまじとそれを観察し始めた。回したりひっくり返したりしながら角度を変え観察をする。
すると、ラケルが何かに気づいたように目を見開き、声を上げた。
「ねえ、このブレスレット裏に何か彫ってあるよ」
「え? あ、本当ですね……」
「ちょっと読んでみるね……。――我が最愛の妻へ、君への一生の愛をここに。エンデュより――、だってさ」
「え、ええ?」
「……そうだ! じゃあ君のことをエンデュって呼ばせてもらってもいい?」
「そ、それは構いませんが」
「じゃあ君は自分の名前を思い出すまでエンデュだね! よろしく!」
「あ、ハイ。よろしくお願いします」
少女の命名を喜ぶように笑みを浮かべたラケルは少女もといエンデュに手を差し出した。あれやこれやと、自分を置き去りにして進んでいく物事に戸惑いながらも彼女は差し出された手をつかんだ。それと同時にぶんぶんと乱暴に握られた二人の手が上下する。
その様子を見守っていた獣鏖神聖隊の面々やアベルは、二人の和やかなやり取りにほっこりとした気分を覚えるとともに、安心感を覚えるのだった。呼び名が決まったことでエンデュに心理的に声をかけやすくなったというのが安心感の源となっていた。呼び名があるのとないのとでは、やはり声の掛けやすさは段違いである。
その後も仲良く会話を続ける二人。彼女ら二人の時間は夜が更けても飽きることなく続いていく。そんな二人の関係はアベルたちの眼には非常に安心感を覚える光景として映るのであった。
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