第3-1話 ゴッドメッセンジャー アドバンス キャピタル
王都に向かうため、獣鏖神聖隊の面々とともに町を離れたアベルとラケル。彼らの旅は始まってから一週間が経過していた。旅の道のりはおおよそ八分の一ほど。少々遅れ気味ではあるが、非常に順調に旅は進んでいる。
本来であれば三週間ほどすれば到着するのだが、それには理由がある。獣鏖神聖隊は担当する地区の町を守るために魔獣を殺しながら進む。そのため、一直線に進むわけにもいかず迂回せざるを得なくなり進むのが遅れていた。
とはいえ、彼らからしてみればごくごく当たり前の日常である。特に気にした様子もない。
アベルたちとしてもこのペースはありがたい。ラケルの面倒の心配をせずに、魔獣殺しのプロの下で経験値を積むことが出来るのだ。怪我をしても適切な治療を施してもらうこともできる。実力を高めるにはうってつけの環境であった。それにラケルもヘリオスや隊の魔技師に魔技について教わっているらしい。
そんなわけで襲い来る魔獣たちを打ち倒しながら歩みを進めていたアベルたちであった。
「全体止まれ! 一度休憩を取るぞ!」
森を抜け、広く魔獣の気配のない草原に出たアベルたち一行。草原に出て周囲の状況を見回したカルミリアは全体に休憩の指示を出した。その指示に従い、他の面々も続々と足を止めると、草原に座り込み体を休め始めた。
アベルも彼ら同様に足を止めると、荷車の荷台に近づいていく。すると、荷台からラケルが顔を出す。彼女が荷台から降りるのを手助けすると、二人も草原に座り込んだ。
「カルミリアさんからもらった干し果物です。どうぞ」
「ありがとね。そっちも疲れてない?」
「いえ、私は荷車に乗ってただけですから」
とりとめのない会話を繰り広げながらくつろいでいるとアベルの意識がふとラケルに向いた。
「それにしても、こういうのもなんだけど……」
「はい?」
アベルが唐突に上げた声にラケルは小さく首を傾げる。
「甘やかされてるよねぇ……」
アベルはラケルの全身に目を走らせる。彼女の服は一週間前とは比べ物にならないほど整った女の子らしい服装になっており、髪も手入れが施されて整えられている。それに干し果物やら何やらをたんまりと与えられている。さらに彼女だけではない。他の面々からもちょくちょくいろいろと与えられており、まさに一国の王女様のような扱いを受けていた。
「そりゃしょうがないよ。あの人からすればかわいい妹みたいなもんだからね」
「あ、ヘリオスさん」
「妹?」
会話を繰り広げている二人の間に手綱を握ったヘリオスが割り込んでくる。妹という言葉に引っ掛かり覚えたアベルは思わずオウム返しのように言葉を呟く。
「こんな仕事だからね。ラケルちゃんくらいかわいくて若い女の子が同行するってすっごく珍しいんだ。隊にも女の子はいるけど棒切れ渡せば魔獣を殴り殺すような屈強なのばっかりだし。だからみんなラケルちゃんをかわいがってるんだよ」
「いろいろと大変ですねぇ」
ヘリオスの話を聞いたアベルは同情めいた言葉をかける。もっとも恵まれた環境にいるアベルにはいまいちピンと来ていないというのが実情であるが。
先ほどまでアベルと会話を繰り広げていたラケルはヘリオスの持つ手綱の先の魔獣に顔をなめられており、楽しそうに魔獣の顔を撫でていた。
「まあ、かわいがるだけで手は出さないだろうけど。一番かわいがってる人が魔獣なんかよりももっと恐ろしい人だしね!」
そんな彼女をよそにおどけたようにヘリオスは声を発した。それに合わせて苦笑いを浮かべながら首を縦に振る。確かに数千体の魔獣を一瞬のうちに焼き払う女性を前にして手籠めにするような真似、命がいくつあっても足りなくなる。
ハハハと小さく笑うヘリオスに苦笑いを浮かべながら応対するアベル。そんな彼の表情が一変する事態が起こる。目が見開かれ驚きで身体が硬直する。
「ほう、女性に向かってずいぶんな言いようだな、ヘリオスよ?」
アベルの行動に一瞬首を傾げたヘリオスであったが、背後で響いた声でその理由が明らかになる。彼の身体が蛇に睨まれた蛙のように硬直し、額には二、三の水滴、いわゆる冷や汗と呼ばれるものが浮かぶ。
「魔獣どもに散歩をさせてくるといっていなくなったきり。ずいぶん遠くまで行っていたようだな?」
女性らしくも、地の底の化け物を前にするかのような恐ろしさを孕んだ声のほうにヘリオスが視線を向けるとそこには彼の上司であるカルミリアが仁王立ちで佇んでいた。
この状況を打開するための言葉を考えるべく、思考を巡らせるが、それを口に出す前にカルミリアの怒声が響き渡る。
「さっさと終わらせるべきことを終わらせてこい!!!」
「はいいってきまぁーす!!!
彼女の声に弾けるように立ち上がったヘリオスは魔獣の手綱を放置して駆け出していく。幸い魔獣はラケルとじゃれることに夢中で逃げ出すといった様子はない。
離れていくヘリオスの背中を見送り、呆れたように溜息を吐いたカルミリアはアベルの近くにしゃがみ込み放置された手綱を手に取った。
「やれやれ、目を離すとすぐこれだ」
「ハハハ……」
彼女の声にアベルは乾いた笑い声をあげるしかない。彼女がいきなり現れたショックで思考能力が停止していた彼の頬に何か生暖かい何かが触る。
そちらに視線を向けると、ラケルとじゃれ合っていたはずの魔獣の顔が眼前に広がっていた。彼が自分の頬を舐めたのだと理解したアベルは、魔獣の顔に手を添え優しくなでた。
「やっぱりおとなしいですね。こいつら」
「獣鏖神聖隊が長い年月をかけて調教した人間や神装を拒絶しない魔獣だ。こんな魔獣を扱っているのは我々だ。扱えれば普通の生物よりも優秀だ。燃費がいいし力が強い。食べる量は馬鹿にならんがな」
カルミリアも魔獣を撫でながら、アベルに答えるように声を発する。魔獣というものは、その誕生の経緯の関係上、神装を極端に嫌い、人間を捕食対象としてしか見ていない。それを荷物運びの家畜として成育させるというのは長い年月をかけて培われた技術がなければできない。
『人の技術の発展は恐ろしいものだな。俺が活動していた時にはこんな魔獣は存在していなかった』
それは神々としても驚きであったらしく、魔獣を撫でるアベルの脳内にヴィザの声が響き渡る。
「こいつらっていつから使われ始めたんですか?」
ヴィザの声で新たな疑問が浮かび上がったアベルは、その疑問をカルミリアにぶつけてみた。するとその答えがすぐに帰ってくる。
「理論自体は三百年前からあったらしいが実用に至ったのはつい三十年前の話らしい。なにせ不倶戴天の仇である人間に従う魔獣というのは人の力だけで神に至ることほど難しいからな。噂では十二歳の魔技師が実用化したらしい」
「そんなに最近だったんですか……。道理で……」
詳しい話を聞きながら草を食べている魔獣を撫でるアベル。その隣には顔を魔獣の涎でドロドロにしたラケルが顔を拭きながら魔獣を撫でている。
「水場を見つけたら小休憩するか……」
「かわいがりすぐじゃありませんか」
「かわいい妹分だ。仕方なかろう」
ラケルを特別扱いしていることに悪びれもしないカルミリアであった。まあ、なんとなく気持ちがわからんでもないアベルはそれ以上何も言わない。穏やかな気持ちで魔獣を撫でて続けていると、そんな平穏をぶち壊すかのようなことが起こる。
―――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ―――
「な、なんだ!?」
地獄から響く唸り声のような音とともに地面が揺れ始める。いやむしろ空間そのものが揺れていると言ったほうが正しいのかもしれない。ともかく突如として始まった地震に隊士の一人が声を上げる。人間の放つ動揺は魔獣に伝播し、パニック状態に陥る。
「落ち着け! 冷静に行動しろ! まずは魔獣を落ち着かせ、そのあと地震による被害状況を確認しろ!!!」
手綱を持つ魔獣を片腕で押さえつけなだめながらカルミリアは隊全体に指示を出す。そんな毅然として彼女の態度で冷静さを取り戻した隊士たちは各自行動に移り始める。パニックで暴れる魔獣を押さえつけなだめ、物品等に破損がないかを確かめる。
そんな彼らとは別に動揺を見せながらもアベルは冷静に状況判断を試みる。しかし、彼にとっては未知の事態。すぐに答えへの思考がどん詰まりに陥る。
「……何だったんでしょうか、今のは」
「……わからん。地震は少なくない回数起こっていると文献で見たことがあるが、さっきのはむしろ空間そのものが揺れているようだった。こんなことは私も経験したことがない」
「……なんだか嫌な感じがしますね」
先ほどの現象の心当たりをカルミリアに聞いてみたが彼女にとっても初の出来事だったらしくあいまいな答えしか返ってこない。ベテランである彼女ですら初のことが起こったということに心がざわつくような感覚を覚えるアベルであった。アベルはさらに思考を巡らせようとするそんな彼の服の裾を引っ張るような感触が走る。
そちらに視線を向けると先ほどの揺れの恐怖で震えるラケルがいた。先ほどの揺れが初めてだったのは彼女も同じなのだ。恐怖を覚えて当然、そうなって当然である。
アベルは彼女の肩に手を回し落ち着かせるように擦り始めた。最初こそ子鹿のようにブルブルと震えていた彼女であったが、彼の手の感触で次第に落ち着きを取り戻していくのだった。
「数分後に再出発する。全員準備しろ!!!」
ある程度、落ち着きを取り戻した隊に再びカルミリアの声が響き渡った。彼女の指示通りに再出発の準備を終えた獣鏖神聖隊と二人は再び草原を進み始めるのだった。
獣鏖神聖隊が再び歩き始めて三十分ほど経過した。先ほどの揺れもあり、どこか警戒したようなピリピリと雰囲気を放っているが、順調に進み続けていた。
ラケルの乗る荷車のそばを歩くアベル。そばにはカルミリアも荷車を守るようにおり、神装使い二人という話だけを聞けば絶対に破れない鉄壁のような状態になっていた。
「あ、川だ」
黙々と歩き続けているとアベルたちの前に川が現れる。ただしその大きさは大きいと言えるものではない。いわゆる副流というやつだろう。思わぬ景色の変化にアベルが声を上げるとその声に応えるようにそばから声が聞こえる。
「あの川を遡るようにして進むと王都がある。まあ、ずっと川に沿って進むわけにはいかん。我々は今ある道なりに進むことになるが」
川の流れる音を小耳に聞きながら進み続けるアベルたち。およそ十分ほど進んだころだろうか。カルミリアが一瞬眉をピクリと動かしたかと思うと川の上流に向かって走り始めた。
「アベル、お前も一緒に来い!」
一言だけ言い残したカルミリアは風のように隊列の最前列に走っていく。理由もなくいきなり告げられた言葉に一瞬戸惑いを覚えたアベルだが、とりあえずついていくことにし、走り始める。その間にカルミリアは最前列を進むヘリオスに警戒しながら進むように指示を出す。
彼女が指示を出しているうちに追いついたアベルはカルミリアに走り出した理由を問いかける。
「カルミリアさん。何で走り始めたんですか!?」
「この先に妙な気配がある。肌がひりつくような感覚、おそらく神装使いだ。待ち伏せを受ける前に我々が状況を確認しなければならん」
「俺、役に立てますかね」
「大丈夫だ。私も君の戦闘能力は買っている。何か仕事をしてくれると信じているからな」
「できる限り頑張りますけど、期待しないでくださいね!」
走りながら会話を繰り広げる二人。進むごとにアベルにも感じ取れる肌を撫でるような不穏な感覚。徐々に大きくなっていき、ピークになったその時、カルミリアが足を止める。
「このあたりだ。構えておけ」
「は、はい!」
周囲を見回しながら突然の事態に備える二人。しかし、数秒、数十秒経っても何も起こらない。辺りは静まり返るだけで、戦火どころか、動物一匹現れる気配すらない。
「なにも、来ない?」
「いや、違う! 見ろ!」
カルミリアが声を上げる。彼女の視線の先、下流よりも広くなった川で少女のようなものが流れてきていた。うつ伏せで顔を水につけた状態で流れている彼女を放置すれば溺死は免れない。
二人は無意識のうちにほぼおなじタイミングで走り始めると数秒と経たないうちに川辺に辿り着く。
「俺が行きます!」
そして背中にかけた剣と上着を投げ捨てると川に飛び込んだ。泳ぐことのできる彼は流されていく少女を掴むと呼吸が出来るように仰向けに抱きかかえ、今度は川辺に向かって泳ぎ始める。少女の体格に見合わない重さを感じながら川辺に辿り着いたアベルは少女の身体を陸地に引き上げた。
その少女の手には妙なものが握られていた。彼女の身長ほどありそうなほど大きく、アンバランスなほど刃部分の大きい斧。それが彼女の小さな手に硬く握りこまれていた。
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