第2-19話 ソードマン・ウェイク・アップ
カルミリアが迫りくる魔獣の群れを一挙に討伐したその少し前、朦朧とする意識の中でアベルは必死に約束の場所に足を進めていた。
走れば五分とかからず、十分もあればつくはずのその場所が非常に遠く感じ、アベルは何度も道端で倒れてしまいたいと考えてしまっていた。しかし、そのたびに彼は地面に叩きつけるように足を踏み出し身体に鞭を打って進んでいた。
そんな彼の身体を横殴りにしたのはカルミリアの放った熱波であった。戦場は町から離れているため威力は大したことはなかったが、フラフラのアベルには十分すぎるほどの威力。熱波に押されてたたらを踏んだアベルは重心を維持できずに力なく地面に倒れこんだ。
(あと少し……)
しかし、すぐに地面に手をつき立ち上がったアベルは再び歩き始めた。その足取りは非常に重く今の彼はきっと老人よりも弱弱しく見えるだろう。しかし、それでも一歩一歩踏み出し進む彼は言葉に表すことのできない力強さをまとっていた。
「ほうほう、戦うための力が欲しいと」
「はい……。避難所の人たちから目を逸らさせるためにここまで来たのはいいですけど私は何もできなくて。そうでなくても私は守られてばかり……。でも思ったんです。負担になるだけじゃダメだって。自分だけでもなんとかできるくらいの力が必要だって」
約束の場所で老人と話しながらアベルの帰りを待つラケル。そんな彼女は今の自分に対する不満を老人にさらけ出してた。なぜ会ったばかりの彼に話す気になったのかは漠然としていてわからなかった。ただ、理由を上げるとするならばその老人の纏っている雰囲気がどこかアベルに似ていたから、これだけの単純な理由であった。
今の自分が戦えないことに苛立ちを覚えているラケル。そんな彼女の言葉を聞き少し考えこんだ老人は声を上げる。
「ふむ、確かにこれからもその男についていくならば必要かもしれんな。しかし、君には戦ううえでの覚悟はあるかい?」
「……覚悟、ですか?」
「命を奪われる覚悟、命を奪う覚悟、そしてそれらをすべて受け止める覚悟じゃ。例えば、君は男に絡まれたと言っておったが、その男を君が殺せば君は一つの命を奪ったことになる。その男には家族がいたかもしれない、恋人がいたかもしれない。それらから君は大切なものを奪ってしまうことになる。その重圧を君は一生背負うことになる。男を殺した時の表情、感触、思い。それらすべてを君は背負うことができるかい?」
「それ、は……」
ラケルは老人の言葉に、視線を逸らし言葉を詰まらせる。つい二か月前までどこにでもいる年頃の娘として生きてきた彼女にそこまでの考えを、覚悟を持つことなどできていない。覚悟を持とうと思っても性格上どうやっても持てない人間だっている。そんな中で自分が覚悟を持って戦おうなどと思うことができるのだろうか。ラケルはイエスともノーとも言えなかった。
彼女は戦うための前提を突き付けられ自分の浅慮さに言葉が出なくなる。そんな彼女の様子を見て老人は言いすぎてしまったと反省すると、フォローするための言葉をかける。
「まあ、戦いながら覚悟を身に着けていくものだっておるし、あまり気にせんでいいかもしれんがの。それにその男が君を守ることを負担と思っておらんかもしれん。……まあ、何はともあれまずは戻ってきたそやつを出迎えてやるといい」
老人の言葉を聞き見上げたラケル。老人は道の先を指さして見せた。そこには剣を杖にしてフラフラになりながら歩くアベルの姿があった。それを確認したラケルは脱兎のごとく走り出す。
そんな彼女の姿を見て安心感を覚え気が緩んでしまったのか、アベルはフッと意識を失い前に倒れこんだ。彼の身体は間一髪ラケルが抱きかかえたことで地面に叩きつけられずに済む。
アベルの身体を抱き留め、その熱を実感したラケルは瞳から大粒の涙を流した。その涙には約束通り戻ってきてくれたことに対する喜び、ボロボロになってしまったことへの悲しみなど多くの感情が込められていた。その涙をぬぐうこともできずラケルはひたすらに涙を流しアベルの存在を実感するようにきつく抱きしめ続ける。そんな彼女の流す涙をぬぐう力も残されていないアベルは、彼女の涙で肩を濡らされることに甘んじるのだった。
二人の再会の中、老人は二人を一瞥しただけで関心を向けることなく、明後日の方向に視線を向け続けていた。何もない空間を睨み続ける老人。数秒ほど睨みつけたかと思うと小さくつぶやいた。
「あれか……。深手を負っているようじゃがあれで自然死することはないな。後処理はわしがやるかの」
そういうと老人は腰に携えた弓を手に取る。それを天に向かって掲げると、矢も持たずに弦に手をかけると力強く引き絞る。そしてつい先ほどカルミリアが見せたように言葉を紡ぎ始める。
「我が手に不可視の矢あり。月の光は例外なく万物に降り注ぎ、逃げうるものを我は知らぬ。届け彼方へ」
「シュート・ザ・ムーン」
詠唱を終えると同時に男は弦から指を離す。その反動で弦が風切り音を立てながら空気を弾く。しかし、何も起こらない。矢から何かが放たれた様子もなく、ただ弦を離しただけに見える。
しかし老人は一仕事終えたような表情をし、弓を再び腰に掛けた。
その瞬間、老人は不自然に身体を震わせ口に手を当てた。ゴホゴホと咳き込み、口元から手を離すと手のひらはにはべったりと血がついていた。
「そろそろ厳しいかのぅ……。奴にあとどれくらい教えられるか……」
目を細め手のひらを見つめながらポツリと呟いた。老人は手のひらの血を拭い取った。
そして改めてそばにいる二人に視線を向けると歩み寄っていくのだった。
「……ん」
ベットに寝かせられていたアベルが目を覚ますとそこはどこかの建物の中であった。寝ぼけて動かない頭を回転させ、今の自分の状況を考える。しかし、血を失いすぎているらしくまともに頭が動かない。
動かない頭で考えても無駄だと察したアベルは、思考を止め、身体を起こそうとする。しかし、頭が動かないほど血を失っているのだから身体も当然動かない。身体を起こすこともできず周囲を見回すだけしかできないアベルは、しばらく天井を見つめ続けるのだった。
アベルは何も考えず天井を見つめていると彼の部屋の扉が開かれる。そこからラケルが顔を見せた。ベットで寝ているアベルと目が合ったラケルは、驚いた表情を浮かべるとベットに駆け寄ってくる。
「アベルさん目が覚めたんですね! よかった……。もう三日も眠っていたんですよ」
「三日!? そんなに寝ちゃってたのか……」
「血の流しすぎで死にかけてたらしく。私のところまでこれたのが奇跡だったって」
「そっか……。そういえばラケルちゃんは大丈夫? あいつにやられた傷は?」
「私はただの打撲でたいしたことなかったので。とにかく生きててよかったです。おなかすいたと思うので何か食べるものもらってきますね」
「ありがとう。大盛でお願い」
「わかりました」
アベルの要求に笑みを浮かべて答えたラケルはパタパタと部屋を出ていく。それを見送ったアベルは彼女が戻ってくるまで再び天井を見つめるのだった。
しばらくして戻ってきたラケルはスープと二個のパンが乗った盆を持っていた。
「アベルさんのことを話したら起き抜けだしまずは消化のいいものを、ってことだったので」
「にしてもすくねえな……」
ラケルの言葉に思わず不満を漏らしながらもパンに手を伸ばしたアベル。彼の言った通り五分とかからずにすべて平らげてしまった。中途半端に食べてしまったことで空腹感が増大し、アベルに付きまとう。
「ダメだやっぱり全然足りない。ここで寝てたらもらえなそうだし……。やっぱり行くか」
とはいえ身体を動かす程度には栄養を補給できた。ここで寝ていても仕方ないと判断しアベルは自ら赴くことにする。
「ダ、ダメですよ! 目が覚めたばかりなのに!」
「いーや。 今ので腹が準備万端になっちゃったから。俺の身体が栄養をよこせって言ってる」
ラケルの静止を聞かずアベルはベットからゆっくりと身体を起こす。その過程で彼は違和感を感じ取っていた。腹にあるはずの傷口が痛まない。ふと気になり傷口を触ってみても傷に響かない。服をめくって傷口を確認すると、深く切り込まれていたはずの傷が跡形もなく消えていた。
「あれ、傷口が治ってる。 なんでだ?」
「あ、アベルさんが気絶しちゃったときに私のことを守ってくれた人が治してくれたみたいです。私の傷もその人がくれた薬で治してもらって」
「じゃあ後でその人に礼を言わないと。その前に腹ごしらえだ」
「あぁもう、ダメですってばぁ!」
ベットから起き上がったアベルはそのまま足早に部屋を出ていく。足取りはおぼつかないがその分速い。脱兎のごとく部屋を後にしたアベルを追うべく、ラケルも部屋を後にするのだった。
「ふう、腹いっぱい。大満足」
「ほんとにあんなに食べちゃった……」
ベットを離れ、レストランのテーブルに着いたアベルは二人分の大盛を食べ満足そうな表情を浮かべていた。彼の対面ではラケルが彼の食べっぷりに目を丸くしている。
アベルは満腹を実感するように腹部を叩くと料金をテーブルに置き立ち上がる。店の外に出て久しぶりに身体を動かしたことで解放感を得た彼は大きく伸びをした。
「さて、腹もいっぱいになったし、いろいろと処理しないと。まずは……、ラケルちゃん、ちょっと聞きたいんだけど」
「何でしょうか?」
アベルは店から出てきたラケルに問いかける。
「俺の相棒、どこにあるか知らない? 部屋になかったんだけどさ」
「ああ、ヴィザリンドム様ですか? それでしたら……」
その内容は彼の相棒であるヴィザリンドムの捜索であった。気絶した後彼は剣がどうなったかを知らないのだ。気絶していたため、自分でもって運ぶこともできるはずもなし。寝ていた部屋にあったわけでもないため、彼といっしょに運ばれたわけでもない。どこに放置されているのだろうか。盗まれる心配をしているわけではないが、もし長い間放置しているのであればへそを曲げられている可能性がある。早いうちに見つけておくのが吉である。
そんなわけで居場所を知っていそうなラケルに問いかけたアベルであったが、どこか端切れが悪そうにしている。そんな彼女の様子に首をかしげるアベルであったが、その理由はすぐに判明する。
「おー! 目が覚めたのか!」
声のほうに視線を向けるとサリバンが道の向こうから姿を現した。その後ろにはなぜかあの老人もおり、背中からアベルの剣を下げていた。
「あ、ヴィザだ」
アベルがその存在に気づくと、剣はひとりでに浮かび上がり彼のもとに移動すると足元に突き刺さった。アベルが握りに手をかけると彼の脳内にいつものように声が響き渡る。
『遅いぞ軟弱者が。いつまで待たせるつもりだった』
「ハハッ、悪かったって。これからは、気を付けるからさ」
ヴィザの叱咤を笑って流したアベルはいつものように背中に剣を収めた。それを見届けたであろうサリバンは駆け寄ってくるとアベルの方に腕をかけた。
「いやぁ、よかったよかった! 町が襲われてお前が重傷を負わされたって聞いた時にはドキッとしちまったけど、見た感じだいぶ元気そうだな!」
「ああ、おかげさまでな」
サリバンの明るい声に思わずアベルも笑みを浮かべる。そんな二人の間に割って入るようにラケルが近づいてくるとひそひそとアベルに声をかける。
「アベルさん、あの方です。私たちの治療をしてくださった方」
「あ、ほんと?」
ラケルの言葉を聞いたアベルは、サリバンの腕を肩から降ろすと老人のもとへ近づいていく。
「すいません。ラケルちゃんを守ったり俺の治療をしていただいたらしいですね。どうもありがとうございました」
「なあに、気にするでない。老人の気まぐれだ。それにせっかく復活した神装使いにこんなところで死なれるわけにはいかんのよ」
アベルが頭を下げながら礼を言うと老人はラケルにしたのと同じように気楽に対応して見せた。アベルが顔を上げると同時に彼の頭に老人の大きな手が置かれ、わしわしと彼の頭を掻いた。微かに心地よい感覚を覚えながらアベルが笑みを浮かべると老人はアベルの頭から離すと彼の前に差し出した。
「改めて自己紹介をさせてもらおうか。私はサドリティウス・ミルス。冒険者だ」
「「え?」」
老人の口から発せられた名前にアベルとラケルは思わず気の抜けた声を上げる。
「前に師匠がいるって話をしたろ。この人が俺の師匠なんだぜ!」
「「え?」」
さらに叩きつけられる事実に二人はさらに声を上げる。押し寄せる事実に脳が混乱する二人であったが徐々に引いていくと次に新たな感情が押し寄せてくる。
「ええええええええ!?!?!?」
彼らの胸の内に押し寄せた驚きが意思に関わらず絶叫となって口から飛び出した。
「クソッ、あいつめ……。まさかこの俺がこんな目に合わされるとは……」
アベルが魔獣化した男との激闘を繰り広げたその夜。片腕を斬り落とされた男は町を離れ夜になるまで走り続け、辿り着いた森の中を傷口を抑えながら一人で彷徨っていた。
「次にあったら絶対に殺してやる……。喉元を食いちぎってあの女の口に突っ込んでやるわ……」
アベルに対する恨み言を呟く男。思わず傷口を抑える手に力が入る。しかし、怒りで頭に血が上っている男は傷口に走る痛みに気づかない。
男の口から発せられた言葉には本物の殺意が乗っており、次に二人が遭遇すれば男は四肢をもがれようとも、間違いなく喉に牙を突き立てて見せるだろう。それほどの気迫がこもっていた。
しかし、それが実現することはない。もう彼がアベルと顔を合わせる未来は消え去ってしまっている。サドリティウスが弓を引いたその瞬間に。
森の中を歩く男がふと自分の周囲に意識が向けると、なぜか視界が明るくなっていることに気づく。意識しないまま、空を見上げてみると漆黒の空には月が上っており男を照らしていた。
「月、か……」
それに思わず声を上げた男。月を見あげ、男は無意識のうちにその足を止めてしまう。その脳裏にはいったい何がよぎっているのだろうか。子供の頃の思い出、仲間たちと月光のもとで飲んだ酒の味。さまざまな思い出がよぎっていく。
何はともあれ、感傷に浸り足を止めてしまった男。その周囲が徐々に徐々に、不自然に明るさが濃くなっていく。月の持つ沈黙の光が、徐々にその力を増していき、もはや沈黙を感じさせないほどまで明度を上げた。
男がその異変に気付いた時に既に男の逃げ場は失われていた。――まあ、サドリティウスが弓を引いた時点で逃げる方法など失われているのだが――。
自分の周囲がまるで昼のように明るくなっていることに気づき、男は反射的に頭を上げ天を仰いだ。その瞬間、月の光が攻撃性を持ち、男に襲い掛かった。音もなく、周囲の沈黙を保ちながら襲い掛かった指向性の月光は瞬く間に男を貫き塵に変えた。
光が薄くなっていき、周囲と完全に同化したころには周囲には男のいた痕跡すら残っておらず、何事も起こっていないかのような静寂を保っていた。
こうしてアベルと激闘を繰り広げた魔獣化した男は、たった一人、攻撃者以外の誰にも気づかれることなく夜の森にてあっけなくその存在を抹消されたのだった。
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