第2-17話 フィーエスバトル・イズ・オーバー
男と向きあい、アベルは最後の攻防に移ろうとしていた。
脇腹にあてていた手を離し血を垂れ流すことと引き換えに力強く両手で剣を握った彼は覚悟を決め、ジャリと足を擦りながら動き始めた。
そんな彼の覚悟を感じ取ったのか、男は一瞬強張ったような様子を見せる。自分が倒れても相対している敵を倒して見せるという一種の狂気ともいえる覚悟を感じとっていた。
しかし、男は相対する男が命を投げ捨てて勝つなどという考えを持っていないことを思い出す。アベルにはあの女がいる。あの女のもとに戻ってくるといっていたことも聞いている。つまり、命を投げ捨ててでも勝つなどという考えはない。この一撃で勝負を決めて傷の治療、そして彼女のもとに帰還する。これを目論んでいる。
そう考えた男は、ニヤリと口角を上げた。相手は何もしなくても時間が経てば勝手に倒れてくれる。ならば自分から攻撃に移る必要はない。倒れて何もできない状態になってから辱め、女に晒して殺せばいい。
ほぼ無意識のうちにその判断を下した男は、その思考につられるように重心を後ろに下げ、守りの体勢に入る。それは積極的に相手を倒しに行こうという発想ではなく、勝手に倒れるまで待つという守りの発想が如実に表れた行動であった。
その一瞬の変化をアベルは見逃さなかった。理屈で男の油断を見抜いたわけではない。野性的本能がアベルに行動を強制させたのだった。
男が重心を後ろに移動させたその瞬間、アベルは剣を逆手に持ち直すと大きく振りかぶり全力で男に向かって投げつけた。ただでさえ後ろに下がり、不安定になっていた重心と突如として飛来する剣でさらに不安定になる。
不安定な体勢ながらも魔獣の身体能力を生かし、間一髪のところで回避する。だが、不安定な体勢から無理やり回避したせいで、体勢はさらに不安定になり、躱してすぐに、三歩たたらを踏んだ。
その隙に男との距離を詰めていたアベルは、体勢を立て直そうとしている男の腹部に向かって拳に全力で送り出す。
「ガフッ!?」
アベルの一撃で男は強烈なダメージをもらう。しかし、男にとってそれは好都合な点もあった。なんとあの一撃でバランスのずれが解消され、体勢が元に戻ってしまったのだ。さらにアベルは次を叩き込もうと大きく振りかぶっている。男から見ればこれ以上ないほどの大きな隙であった。
男は身体能力を活かして攻撃態勢に入っているアベルの無防備な背中に回り込み、鋭い爪を持ち上げた。あとは振り下ろすだけでとどめになる。勝利を確信した男は何の疑いもなく力いっぱい全力で腕を振り下ろした。ここで少しは冒険者としての冷静な判断能力を使うことができていたならば、この後彼の身に悲劇が起こることもなかったのだろう。
爪を振り下ろしたその瞬間、アベルの姿が掻き消える。背中を斬り裂いていたはずの爪は空を切り、その反動でバランスを崩してしまう。誘いこまれた。そんなことを考える暇もなく男の体が宙に浮く。
アベルはあえて背中に隙を作り、そこに誘い込むことでそのあとの行動を予測しやすくしたのだ。そんな彼の思惑に男は乗ってしまった。冷静さを持ち彼の行動に罠があるという疑いを持っていれば不用意な攻撃などしなかったかもしれない。しかし、魔獣化していた男は自生するだけの力がなかった。それがこのような状況を引き起こしてしまった。
それからの一瞬はアベルの独壇場。男の側面に回り込み身を屈めたアベルは男の足を払い、その体勢を崩した。それと手を上げ同時に投げ飛ばしたヴィザを呼び戻す。躱され地面に突き刺さっていたヴィザリンドムは風を切って飛翔するとアベルの手に戻った。
相棒を手のうちに戻したアベルは、地面に倒れている男に向かって襲い掛かった。今、アベルは男の上を取っており、男は何が起こったのかわからないといった様子である。明らかにアベルが有利な状況である。
「ハアアァァァ!!!」
雄たけびとともにアベルは剣を振り下ろした。振り下ろされた刃は男の腕を斬り落としながら地面に食い込んだ。
「ガアアァァァ!?!?!? 俺の腕がァァァ!?!?!?」
絶叫とともに自分の置かれた状況を理解した男。今彼は一瞬のうちに自分が追い詰められたのだという事実に直面させられていた。腕を斬り落とされ、アベルと同じくらい、もしくはそれ以上のダメージを追ってしまった男。彼自身も決着を急がされることとなってしまったのだ。
しかし、彼に決着を選ぶ権利は与えられなかった。いま、その権利を持っているのはアベルのほうである。腕を斬り落とされるという重傷を負った男にとどめを刺そうとアベルは地面に剣を引き抜き切っ先を天に掲げる。そして男の胴体に向かって振り下ろした。
しかし、男は最後の抵抗といわんばかりに盾のように残ったもう一方の腕を掲げた。そのせいで男の肘から先が斬り落とされるが、振り下ろされる勢いが落ち肩口に食い込んだところで停止する。そこから力を籠め、胴体を斬り裂こうとするアベルであるが、それより先に男がアベルの脇腹を蹴り飛ばす。
傷口を蹴られ、走る痛みに耐えきれなかったアベルは後方に下がらされる。傷口を抑え男を睨みつけるアベル。しかし、男は彼の視線など気にすることなく、跳ね起きるようにして立ち上がるとアベルから背を向けて逃げ出していく。
「待て! 逃がす、か……」
男を追いかけるため走り出そうとするアベルであったが、脚をうまく動かすことが出来ず、よろよろと二、三歩ほど進んだかと思うと、膝をつく。既に彼は身体をまともに動かすこともできないほど血を流していた。意識は朦朧としており、顔を上げて男の背中を見ることすらできなくなっていた。意識を保つのでやっとで追いかけるのは不可能、それどころかラケルのもとに戻ることすら難しい状態であった。
(やばいな……。血を流しすぎたのか、力が入らない。もう、意識が……)
朦朧とする意識の中で必死で思考を巡らせようとするアベル。しかし、もう限界寸前。遠くなっていく意識の中、アベルはまるで走馬灯のようにいろいろなことを思考し続けていた。逃がしてしまった男の事、離れてしまった防衛班の現状、討伐に出ているサリバンたちのこと、そして置き去りにしてしまった――。
(いや、ダメだ! 起きろ俺!)
持てるすべての力を使い、傷口にあえて拳を打ち込む。途端に走る激痛で朦朧としていた意識は覚醒する。
(約束したろ! 意地でも戻るんだよ!)
地面についていた膝を無理やり持ち上げ立ち上がった彼は、腹部に走る激痛と戦いながらラケルを残してきた場所に向かい始めた。鉄の塊がつけられたかのように重くなった全身を動かし、ヨロヨロとふらつきながら歩みを進めていく。
町にやってきてからのアベルと男の戦いは両者相打ちという結果で幕を下ろした。
しかし、まだ戦いは終わっていない。討伐組が魔獣の侵攻を止められなければこの町は終わりである。しかし、討伐隊にはアベルとは違い、神装の本来の性能を引き出すことの神装使いがいる。彼女がいれば安心であると思いながらアベルはさらに歩みを進めるのだった。
さて、アベルが最後の攻防に移ろうとしていたその少し前の時間までさかのぼる。アベル抜きで町の防衛に尽力していた防衛班の面々は魔獣を三分の一まで減らすことに成功していた。被害はないわけではないがやっと数の上で魔獣と並ぶことができるようになった。
だが、防衛班の面々も満身創痍。大半が傷だらけで生まれたての小鹿のように足を震わせ、剣を杖にして立っている。もう剣をふるうので精一杯、真正面からぶつかり合うなんてもってのほかである。
それでも町を守るという意志と誇りが彼らの身体を動かす。限界を超え、気力を振り絞って魔獣と激突している。が、もう限界を超えて力を振り絞っている。対応しきれない事態に直面して解決するだけの体力が彼らに残されていなかった。
魔獣と対峙する防衛班の面々のするりと抜けるようにして二体の魔獣が町の中心めがけて駆け抜けていった。そしてこのことに防衛班の面々は気づいていない。目の前の魔獣に集中して自分たちに関心を向けずに抜けていった魔獣に意識を向ける暇がなかった。
このままでは住民たちに被害が及ぶが、対処できるものがいない。防衛班は動きようがなく、アベルは現在男との決戦中である。この魔獣は迎撃されることもなく悠々と町の中心に進んでいった。
時々スンスンと鼻を鳴らしながら町を駆け抜ける二体の魔獣。彼らがかぎ分けようとしているのは人間のにおいである。道に漂う残り香ではなく、人が集まったことで濃縮された最高に高ぶる宿敵、または餌のにおいである。
徐々に濃くなる匂いに魔獣の動きがつられるように早くなっていく。もうすぐでごちそうにありつける考えた魔獣たち。しかし、いきなり魔獣たちは動きを止め、明後日のほうを向いたのだった。何に反応したか。ごちそうである人の匂いに意識が向いている彼らが反応するものなど一つしかない。
もっとも手近に存在する人の匂いに反応したのだ。数はおそらく一人。仕留めるにはちょうどいい獲物である。二体の魔獣は競い合うようにしてその獲物に向かって走り始めた。
一方狙われていることなど、まったく知らないラケルはあの場所で一人アベルの帰りを待ち続けていた。もちろん道のど真ん中で突っ立っているわけではない。ちゃんと回りの様子を確認できる場所に身を潜めている。
全身に走る痛みをこらえながら先ほどのことを思い返していた。逃げ回ることはできてもいざ捕まってしまったときに自分は何もすることができなかった。もし、アベルが彼女の存在に気づいていなかったら、彼女は何の抵抗もできずに殺されてしまっていたのだから。やはり自分にも最低限身を守るための能力が必要であると改めて実感させられていた。
それと同時に助けに来てくれたアベルの顔が思い浮かぶ。自分が傷を負ったことに対して悲しそうな表情を浮かべてくれた彼のことを思い、ラケルは自然と頬に熱が通る感覚を覚える。こんなことを考えている場合ではないというのに思い出さずにはいられなかった。
ラケルが年頃の少女らしく、状況にそぐわない思いをはせていると微かに彼女の耳に異音が届く。地面を叩く重低音。何か大きなものがこちらに近づいてきていることを知り彼女は身を強張らせた。建物の陰から顔を覗かせ様子をうかがっていると、少し離れた角から二体の魔獣が姿を現した。
何かを探すように首を振る二体の魔獣。ラケルはその動きで彼らの目的を直感的に理解した。彼らが狙っているのが自分であるとわかり、思わず口を抑える。声を漏らさないように震える手で必死に口元を抑え気配を殺す。
が臭いを抑えることはできない。鼻をスンスンと鳴らしながら徐々に彼女の隠れている場所に近づいていく。徐々に近づいてくる魔獣の気配を感じ、さらにラケルは身体を震わせる。そして魔獣の気配がラケルの隣でピタリと止まる。
気配が隣で止まったことでラケルは思わずその方向に視線をやってしまった。
「グルルル……」
視線の先にはうなり声をあげながらラケルを睨みつけている魔獣の姿があった。口元からよだれを垂らしながら今にも飛び掛かろうとしている魔獣を見てラケルは思わず悲鳴を上げそうになる。しかし、恐怖と緊張で声を出すことができない。足が動かず逃げることもできない。今の彼女にできることは魔獣を見つめながら震えることだけである。
恐怖で震えるラケルの指が緊張の限界を迎えピクリと跳ね上がる。その瞬間、魔獣が動き出した。雄たけびを上げながら牙を剥きラケルに迫ってくる。ラケルの隠れている場所につかえてようと気にせず首を伸ばしラケルの柔肌を傷つけようと足を前に進める。
「ヒイイイィィィ!!!」
あまりにも強い恐怖でやっと声が出たラケルであったが、だから何だというのだろうか。もはや彼女の一人の力では逃げることもできない。
(誰か……、助けて……)
目を瞑り恐怖に震えながら最後の望みにかけ祈るラケル。しかし、一縷の望みであるアベルは深く傷つき助けに来ることはできない。魔獣の身体を押しとどめていた最後の砦が壊されとうとう魔獣の牙や爪がラケルに届くようになった。あとはその牙をラケルに突き立てるのみ。
しかし、天は彼女を見逃さなかった。打つ手なしとギュッと目を瞑ったラケル。しかし、彼女の身体にそれ以上の痛みが走ることはなかった。代わりに迫りくる魔獣の頭を矢が突き抜けており、白目をむいてゆっくりと倒れた。
何が起こっているのかわからないラケル。それはもう一体の魔獣も同じであり、矢の飛んできた方向に首を傾けた。が、その瞬間、再び矢が飛んできて魔獣の眉間を貫く。
目の前で瞬く間に魔獣が二体やられたことを処理しきれず、きょとんとした表情を浮かべるラケル。そんな彼女に巨大な人型の影がかかる。
「いやぁ、魔獣が妙なことしてるから何かと思ったけどまさか若い女の子がいるとは。大丈夫かい?」
ラケルに向かって伸ばされる巨大な手。手だけで頭を包み込んでしまえそうなほど大きいその手を掴み瓦礫の山から出たラケルは男の全貌を視認する。周りと比べて大きいはずのアベルよりもさらに一回り程大きく、全身の筋肉が丸太のように太い。腰元には棍棒と装飾の施された弓が携えられている。あまりの巨大さに彼女は天を見上げるような感覚を覚えた。
「ん? 少し怪我をしてるみたいだの? とりあえずこれでも呑んどきなさい」
男はラケルの腹部に視線をやると腰もとから液体の入った瓶を取り出し彼女に手渡す。目の前で振られる瓶を受け取ったラケルは恐る恐る瓶を開けると男を見上げた。そんな彼女を見て意図を察した男はもう一つ瓶を取り出すとその中身を一気に飲み干し、笑みを浮かべガッツポーズをして見せた。
それを見て安心感を得たラケルは瓶の中身を飲み込んだ。すると彼女の身体を鈍く苦しめていた痛みが一瞬にして消える。その効果に驚いたラケル。彼女の身体が治ったことを確認した男は彼女に再び声をかける。
「さあ、傷も治ったことだしひとまずここから離れよう。また魔獣がやってくるとも限らんからの」
しかし、ラケルは一瞬戸惑った後、その言葉に答えを返す。
「いえ……。私、ここで待ってる人がいるんです。危険だってわかっているんですけど。ここから離れるわけにはいかないんです。ごめんなさい……」
アベルとの約束を守るため、男の言葉に逆らおうとするラケル。そんな彼女を説得しようと試みる男であったが、彼女の眼の奥を見てその気を奪われてしまう。
「わかった。そこまで言うんだったらここに残るといい。私も付き合わせてもらおうかな」
「えっと、何から何までありがとうございます」
「なあに、年食ったジジイの気遣いさ。ありがたく受け取っておきんさい」
男の言葉を聞きペコリと頭を下げたラケルはアベルの向かった方向を見つめた。彼女にできるアベルの帰還という唯一のことを実践すべく、両手を合わせるのだった。
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