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第2-9話 ツー・スペンド・デイリーライフ

 獣鏖(じゅうおう)神聖隊(しんせいたい)の面々と特訓を行った翌日。アベルは戦いに身を置くことなくゆっくりとくつろいでいた。魔獣討伐に出て行ってもいいのだが、アベルはこの町に来てから特訓をするばかりで周囲の環境をまともに知ることが出来ていない。この状況で魔獣狩りに向かうのはいささか無理がある。それにあの一件があってから、サリバン達のいない状況でラケルから目を離すのが難しくなってしまった。


 新天地での友人が多いわけでもない彼がラケルの身を誰かに預けるわけにもいかず、アベルは剣を振るうようなことを何もせずにまったりとした時間を過ごしていた。とはいえ、町に来て一週間も経っていないにも拘らず、非常に濃密な日々を過ごしている彼らにとっていい休息になるだろう。


 町のカフェで紅茶の入ったカップを前にぼーっと空を見上げているアベル。空では一匹の鳥が優雅に羽ばたいており、その後ろを少し小さめの鳥が着いていこうと必死で羽ばたいている。その二匹を見て親子であろうかと考えるアベルは、叔父のことを思い出す。仕事はうまくいっているだろうか、俺がいなくなったことで何か不便は起こっていないだろうか。考え始めると怒涛の勢いで思考が湧き上がってくる。


 が、それらはすぐに煙のように消えていく。商売を多少かじった程度の彼がいなくなったところで経営がどうこうなるようなやわな人間ではないからだ。十年ほど付き合ってきてそんなことは重々承知している。故に心配無用であるという結論が浮かび上がり、次第に叔父のことは脳裏から消えていった。 


 紅茶でのどを潤しながら空を飛ぶ二匹の鳥を眺めるアベル。そんな彼の耳に鈴のような音が届く。


「あの……」


「んあ? ああ、どうしたの?」


 彼に声をかけてきたのは対面で同じように紅茶を飲んでいたラケルである。意を決したといった表情で唇を真一文字に絞っている彼女は深く息を吸い込むと喉を震わせた。


「私に、文字を教えてくれませんか?」


「別にいいよ。じゃあ善は急げっていうし一回道具でもそろえてやろっか」


 アベルは彼女の頼みに迷うことなく即座に了承した。学びを求めるのは人間の深く刻み込まれた本能のようなものである。彼女が学びたいというならばアベルはそれを否定するつもりはない。文字が読めるように教えることくらい片手間でもできる。


「わかりました。お願いします!」


 テーブルに頭がつきそうなほど頭を深く下げたラケル。そんな彼女を見てクスリと笑ったアベルは紅茶の分の代金を払って立ち上がり歩き始める。店員に頭を下げたラケルもそれに続いて歩き始める。そんな二人の頭上を鳥が飛び、どこかへ去っていった。




























 数時間ほどが経過し、宿で勉強をしていた二人は一息ついていた。雑貨屋で適当に文字を書けるものを調達した二人は、宿に籠り文字の勉強を始めた。


 最初こそ文字の判別にすら困っていたラケルであったが、文字というものに対して何もわからないという真っ白な状態が功を奏したのか、徐々に理解力を発揮していき、現状ではおおよその文字の判別が出来るようになっていた。


「ふう、やっぱり何かを勉強するのは大変ですね……」


「まだまだこれからさ。単語、複数の単語で意味を成す熟語、意味は全く違うのになぜか同じ文字の並びになる単語。覚えることは山のようにあるよ」


「それは……、大変ですね」


 アベルが無情にも現実を突きつけると思わず苦笑いを浮かべ他人事のような口ぶりになるラケル。そんな彼女を見てフォローを入れることにしたアベルは言葉を選び発する。


「まあ、使ってるっていうことで紐づけができるのも多いからそこまで苦労することはないと思うよ」


「まだまだ先は長いですね。私、頑張ります」


「そういえばさ。ラケルちゃんはなんでいきなり文字を学びたいなんて言い出したの?」


「え? それは……、単純に読めたほうがこれから楽だと思ったからです。いちいちアベルさんに読んでもらうのも手間ですし」


「それもそっか」


 ラケルの答えを聞いてアベルは納得する。しかし、ラケルの答えは答えとしては半分である。残りの半分は、いつか魔技を覚えたい。そのための下準備である。アベルがカルミリアたちと特訓をした日、ラケルは眠る前に自分が彼について歩くうえでの自分の意味を考えた。

 

 結果として自分は単なる足手まといでしかないという結論に至る。ちゃんとした教養があり、世間の常識を知る彼は一人で旅をするにも困らないだろう。常人以上の身体能力があり、神装という世界最高基準の武器を持つため、戦闘能力も高い。足りない経験値は戦闘を重ねていけば上がっていくだろう。


 となれば彼女が入り込む猶予はどこにもない。汗を拭くための布を手渡し、お茶を入れる。自分にできるのは高々この程度。守られるだけの存在であり、いつか自分の存在が足を引っ張ることになるだろう。


 だからこそ、守ることはできなくともせめてそばにいることが許される程度の力を身につけたい。彼女はヘリオスたちと話すうちにそう考えるようになっていたのだった。物凄い速度で成長していくアベルに自分程度が追い付けるのだろうか。不安もたくさんがる。その上、雲をつかむようなおぼろげで曖昧な話であるが、彼女はその目標に辿り着けるように努力を積み重ねていこうと決心していた。




















 そんな彼女の考えなど露とも知らず沈みゆく太陽を眺めるアベル。そんな彼の耳に届く扉を叩くノック音。自分を呼ぶ存在に問いかける。


「誰だ?」


「俺だよ俺」


 扉の向こう側から響いてきたのはサリバンの声。彼の声で扉の方に向かったアベルが扉を開けると、その向こうには声の通りサリバンとナリスが立っていた。


「やっほー、アベルさん久しぶり。元気だった?」


「おかげさまで。そんなことよりどうしたんだ?」


「いや、まだ飯食べてないんだったら一緒にどうかと思ってな。何なら奢るしよ」


「ああ、じゃあ行かせてもらうよ。準備するからちょっと待っててくれ」


「わかった。じゃあ下で待ってるぜ」


 そういうと二人は歩きだしアベルたちの前から姿を消した。それを見届けたアベルは扉を閉めると机の前で文字の書かれた紙を見つめていたラケルに声をかける。


「サリバン達が飯食べに行こうって」


「わかりました。準備しますね」


 そういうとラケルは立ち上がり身だしなみを整え、机の上の勉強道具をしまう。そして扉の近くまで移動したのを確認すると、出発する準備ができたと判断しアベルは扉を開け、サリバン達のもとへと向かった。























 先に店で待っている残りの三人と合流するために町の中を進む四人。お互いに気兼ねなく話せる存在がいて、それ以外の相手でも気にすることなく話せるため、四人はお互いの近況報告をしながら店に向かっていた。


 そんな彼らの足を止める存在が対面から現れる。獣鏖(じゅうおう)神聖隊(しんせいたい)の面々である。今回はカルミリアがおらず、代わりにヘリオスが兵士たちを先導している。


「あ、悪いけど先に行っててくれる?」


 後ろを歩く兵士たちに声をかけたヘリオスは人当たりのいい笑みを浮かべながら四人に近づいていく。


「お久しぶり。皆さんお元気だった?」


「お久しぶりです~。私たちはずっと元気でしたよ~」


 彼の声に応えたのはナリスであり、旧知の友人のような軽いノリで答える。声で応答しなかったアベルとラケルは会釈をし、サリバンは無言のまま、彼の存在を見つめていた。


「これから皆様方お食事? いいなぁ、オジサンたちこれから隊長の命令で町の外の調査に行くんだよね。近くの村の魔獣討伐してきたばっかりなのねぇ?」


「へぇ~、大変ですね。頑張ってくださいね!」


「かわいい子に言われたらなんだか元気出てきたよ。ありがとね」


 少々の他愛もない会話を繰り広げて立ち去ろうとするヘリオス。しかし、何かを思い出したように表情を変えるとサリバンの前で立ち止まる。


「……何か用か?」


「いやぁね。最近このあたりの魔獣の動きがかなり活発化してきてるから一応ナリスちゃんたちのよしみで伝えておこうと思ってね」


 ここで軽々とした笑みを浮かべていたヘリオスの表情が一変し歴戦の勇士を思わせるものへと変化する。


「それもかなり広範囲で活発化してる。それとは対照的にこの町の近くの魔獣はほとんど姿が見えなくなってる。何か起こるかもしれないから一応頭に止めておいてほしい」


 しかし、その一言を伝えると元の表情に戻り、それじゃあね~、の一言とともに去っていく。その背中を見送ったアベルたちは再び歩き始める。が、サリバンが難しい表情を浮かべており、それを見たアベルは声をかける。


「どうしたよ。そんな苦虫かみつぶしたような顔で」


「……ああ、別になんでもねえ」


「お前、前にあの人たちに会った時には普通に接してたように見えたけどもしかしてお前もあの人たちのこと嫌いなのか?」


 そんなアベルの指摘にサリバンは肩をびくりと震わせる。その様子を見てうすうす察しがついたアベルであったが、あえて何も言わずに向こうの出方を窺う。すると彼の目論見通りサリバンは口を開き言葉を紡ぎ始める。


「好きか嫌いかって言われれば、俺は嫌いだよ」


「けどリーダーとしてあからさまに悪意を見せんのはだめだと思って隠してんだよ」


 先ほどの様子を見て、あれでは隠しているとは言えないのではないだろうか、と思ったアベルであったがそのことを口に出す前に本人から直接補足が入る。


「あのくらいだったらセーフだしな。それに俺は連中否定するつもりもねえんだよ。戦闘能力も情報収集能力も全体的に高くまとまってる。そこらの冒険者が一生かけても到達できねえ能力を全員が持ってるんだからな。それを声高々に自慢するのがムカつくってだけで」


 ひとしきり不満を露にしたところで舌打ちを打ったサリバン。


「あ~あ! 俺も早く師匠クラスの実力になれるようにならねえとなぁ!」


 人通りの多い道であるにも拘らず声を張り上げたサリバン。人目を集めるのも気にせずに声を上げた彼の宣言を聞き届けたアベルであったが、その中に気になることを見つけ問いかけた。


「お前、師匠なんていたんだな」


「あ? ああ、いるよ。俺の師匠はな……」


「リーダー! もうついてるよー! はいんないのー!?」


 二人の会話はナリスの声に遮られる。既に彼らは三人が待つ店についていたらしい。そのことに気づいたアベルとサリバンは話を切り上げ慌てた様子で店に入っていった。その後、その話が掘り返されることはなく、本人たちもすっかり忘れてしまっていた。























「やっぱりか……、ここにも魔獣が来た形跡がある。だけど……」


「ダメだぁ、やっぱり近くに魔獣はいねえぜオッサン。どうなってんだ、こんなに魔獣がいないことなんてあるかぁ?」


 町の外に調査に出ていたヘリオスたちは町の周囲に魔獣が一切いないことに首を傾げる。町の近くであっても二、三体ほどの魔獣がいる。にも拘らず町の周囲には一切の魔獣がおらず、残っているのはいたという痕跡だけである。


「でも俺たちの近くの他の部隊のとこは魔獣が増えてて大変らしい。俺たちのところから移って行ってるってことか?」


「何か嫌な予感がするな……」


 異常事態に何か嫌な予感を覚え、これから来る嵐に備え心構えを作るヘリオスたち。


 そんな彼らを木の上から見下ろしている存在が二人。


「ご報告です。例の連中もやっと因子が定着したらしく早く戦わせろと騒いでいます」


「ご苦労様です。確かにそろそろ頃あいかもしれませんね。魔獣の誘導も十分できていますからそろそろけしかけてみましょうか」


 歴戦の勇士であるヘリオスたちに気づかれないまま、会話を繰り広げる二人。月の光の下、何かしらの謀略を巡らせる二人。これからのことを想像し口角を吊り上げた。


「それでは彼らに伝えてください。もうすぐ出番だと」


「かしこまりました」


 部下と思しき男に伝えた仮面の男。それとともに部下は一瞬のうちにその場からいなくなる。そしてその場に佇む仮面の男もその場から立ち去ろうとする。が、そんな彼を静止するように彼の首元に槍の穂先が当てられる。


「随分と面白い話をしているじゃないか。私にも聞かせてくれ」


 仮面の男の背後で佇んでいるのはカルミリアであり、鋭い視線で男を睨みつけており逃がさないという意思を見せつけている。そんな彼女に圧され身震いした男はゆっくりと口を開いた。


「完全に景色と同化して気配も消していたんですがねぇ……」


「景色と同化して見えなくなって気配を消す努力はしていても、貴様のような気配があればすぐにわかる。悪意に満ち満ちている気配だ」


「さすがは神装使い。あらゆる分野が傑出している」


「御託はいい。話を聞かせてもらおう」


 話を切り上げたカルミリアは槍の穂先をさらに強く男の首元に押し当てる。それにもかかわらず男は怯えた様子もなく平然とした口調で彼女の言葉に答える。


「お断りします、と言ったら?」


「逃げられるとでも?」


「逃げられますとも」


 その声とともに男の身体が一瞬のうちに魔力に包まれる。それを即座に感じ取り、何かしらの魔技が発動しようとしていると判断したカルミリアは男の首を刎ねんと槍を薙ぐ。炎を纏ったある種神がかりなその一撃は確実に首を吹き飛ばせるはずだった。


 しかし、穂先が男の首に触れようとした直前、男の姿は、まるで存在そのものが最初からなかったかのように掻き消え、一撃が虚空を切ることになった。


 夜の闇を振り払わんと放たれたその一撃で、さすがにヘリオスたちも彼女の存在に気が付き、慌てた様子で駆けよってくる。しかし、本人には彼らの存在は映っていない。


(チッ、逃げられたか。しかし手ごたえはあった。しばらくは動けまい)


 彼女は手のひらにはっきりとした手ごたえを感じていた。逃げられる直前、槍でわずかに男の首を捉えていたのだ。超高温に熱せられた一撃を首に掠めたのだ。常人でなくてもただでは済まない。しばらく何もできないはずだと推測したカルミリアは男の正体を突き止めるべく声を上げる。


「先ほどまでこの場にいた男の調査を行うぞ! まだそう遠くに入っていないはずだ!!!」 


 そんな彼女の声にはっきりと肯定の意志を見せた兵士たちはいくらかの部隊に分かれると周囲の探索に移り始める。夜を徹しての仮面の男の捜索であったが、男の足取りすら掴むことが出来ず空振りに終わってしまうのだった。


 その一方で逃げのびることに成功した仮面の男であったが、彼の負った傷は決して浅いものではなかった。


「全く……、ゲホッ、これだから神装使いというのはゲホッゲヒュ、始末が悪い……」


 男の首からは傷がついたにもかかわらず全くが血が出ていない。代わりに水蒸気が上がっていた。患部が持っている熱で傷口が焼かれ、代わりに肌の水分が蒸気となって身体から流れ出しているのだ。どれだけの熱量があればこれほどのことを起こせるのだろうか。


 首の激痛に耐えながら移動する仮面の男。男の口から恨み言が漏れる。


「次会った時には確実に息の根を止めてやりましょう……」


 その一言だけを残し、男は夜の闇の中へ消えていった。




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