怖姫
結女子は、清掃員の服を九条刑事に渡され、それを来て彼の車に乗り、プリンセス事務所の本社ビル前に出向いていた。
車の中にいは少し息苦しい空気が漂う。
目的地へ着くと、報道陣らしき人々が数名、ビルの前で首を長くして立っているのが見えた。
「今回の目的は薬やアダルト産業との取引に関わる証拠品の『手がかり』を探すことにある。もし何かすんごい物を見つけても、または何にも見つからなくて焦っても、深入りしちゃいけないよ。不法侵入で捕まっちゃうからね?」
重かった空気を割るように、わざとらしく明るい口調で言う九条刑事。
「まぁ、それも多少は覚悟していますけど。警察が不法侵入は出来ませんもんね。」
この日和の国は、『疑わしきは罰せず。』と言う仕来りがある。
証拠もなくただ『怪しい』と言うだけでは、強制捜査は無理強いできない。
それを逆手に取られ、数多の事件の尻尾を掴み損ねる事も多々あるが、不必要に疑われ、傷つく人もある世の中だ。
そういった常識は今回の件には悪く働いているものの、人々の生活を守るのには必要な決まり事だと、結女子にも分かっていた。
その決まり事を分かった上で、結女子は自分の責任で、この中に侵入する。
「前にも、警察が入ったんだけど、何でか何時も気付かれてしまってね。アイツら人の嘘が分かるみたいなんだ。」
「人の嘘が分かる?」
オウム返しで言い、結女子は拳を口元に当て、くすりと笑った。
「何か、面白かったかい?」
困った顔で笑い、眉間にしわを寄せる九条刑事に、結女子は両掌を振って否定した。
「いえいえ、何だか今仲良くしている男の子の事を思い出しちゃって。その子も「俺は人の嘘が分かるんだ。『言霊のトゲ』が見えるんだ。」何て言うんですよ。可愛いでしょ?」
まるで、自分の息子自慢をするような結女子。
その結女子の様子に苦情は口を曲げた。
「…それって、この前一緒にいた子?」
「ええ」
「ふぅん…。」
(しまった。)
結女子は顔を青くした。
九条刑事が左手でハンドルを握ったまま、顎を掴んで何か思案している。
それを見て、自分が梅吉の事を口にしたのを即座に後悔したが手遅れな結女子だった。
「巻き込みたくないんで、今回の事は絶対に言わないって決めてるんですけどね?」
何かをごり押しするように、結女子は九条刑事の横顔に言った。
その声は決して大きくは無かったが、確かに何かを訴えていた。
九条刑事は顎から指を外し、運転席に膝を着くのを止めた。
前屈を止め、上半身を正す。
そして結女子の顔を見て、涼し気に微笑む。
ただそれだけだった。
結女子は綺麗な美青年の微笑みを目の前に、口をあんぐり開けていた。
そして間々あってその不思議な睨み合いに勝つことを諦めると、肩をがくっり落としながら、しょんぼり車を降りた。
九条刑事はその様子を、車窓越しに横目で見ていた。
清掃員の姿をした結女子が、ビルの裏の従業員用出口に向うのを視線で追う。
プラカードも従業員の制服も、九条刑事が用意したものだ。
プラカードには、従業員用の写真が入っている。
勿論映っているのは結女子の顔だ。
今朝、急いで通りがかりの駅で取った証明写真を使っているので、映りがいまいちだが、今はそんな事を気にしている場合ではない。
真剣に、慎重に潜入せねばならないのだ。
結女子は握り拳を胸の前で作り、1人頷いた。
従業員出入口に入る前に、壁に大きな姿見があった。
結女子は再度、自分の格好が可笑しく無いか、確認した。
清掃員の制服が結女子の身体より、やや大きい。
ズボンは裾を巻き上げている。
多分この大きさなら、九条刑事も着れるハズだ。
彼はさほど幅のある体躯はしていない。
きっと大き目のサイズなら女性のワンピースも着れるだろう。
美青年なので違和感無く着こなせそうだ。
(自分がいなければ、九条刑事自身が自らこれらを使って、自分で乗り込んでいたのかな?)
結女子は姿見の前で、自分の前後ろを確認しながら、そんな事を考えていた。
自分の装いに、不自然さが無い事を確認すると、結女子は廊下を歩き、従業員出入口の受付の前で、自分の従業員用プラカードを、係員に見せると、会釈をして中へ入っていった。
結女子は色々な妄想や緊張を押し殺しながらも、ビル内への侵入に成功したのだ。
ほっとしたのも束の間、また結女子の脳内に、もしもの妄想が浮かび上がってきた。
(もし、九条刑事が、私に会う前は、自分で潜入するつもりだったのだとすれば、それは警察の誰かに、同業の誰かに、相談した上での事だろうか?)
初めての場所に、しかも身を装って来てるというのに、結女子はずっと、まとまらない思考に気を取られながら顰め面で動いていた。
そうこう結女子が思案しながら管理室に入ると、スーツの男が立ち上がり、結女子に歩み寄って来た。
(バレるかも知れない。)
緊張で胸が高鳴る結女子。
結女子が事務所に所属していた一人と、知り合いだったからと言って、それだけでバレるハズなんか無いだろう。
無いのに、結女子の脳内では、自分の行為がバレる事の裏付けを、幾つも幾つも、思い起こしていた。
「せせせ、清掃するので、で、しゃ、社長室の鍵を貸して下さい。」
途切れそうな小声で結女子が言う。
顔は、やっぱり顰め面だ。
間々あって、管理室の人間が結女子の顔を覗き込んだ。
(わぁあ、ばれる…!)
結女子は思わず目を強く閉じた。
しかし、コツコツという足音がすると「はいっ」っと言って管理室の男は、鍵を渡してくれた。
結女子は鍵を受け取り、勢いよく頭を下げると、取り急ぎ最上階の社長室に向った。
バタン。と、ドアが閉まると同時に、管理室の人間たちが喋り出す。
「何か、可哀想な子なのかな?」
「上の連中に薬盛られたんじゃないか?」
「如何にも、気の弱そうな、幸薄な美人だったなぁ。」
実は新顔の結女子が入って来た時から、管理室にいた数名の人間は背中を向けながらも、結女子の存在に興味を示し、ひそひそ話しをしていたのだが、結女子の気の弱そうな見た目から気を使い、挙動不審な彼女に下手に声をかける事を誰もしなかったのだ。
その事で自分が運よく、社長室の鍵を難無く受け取れた事を、結女子は知らない。
清掃用具は管理室のすぐ横の部屋に置いてあったので、苦もなく清掃カートが手に入った結女子。
何事にも巻き込まれやすい幸薄い印象の彼女だが、こういう運の良さもあるようだ。
良いも、悪いも引きが強い女だ。
しかし、結女子が清掃用具のカートを押しながら、最上階の社長室に辿り着くと、先客がいらした。
他に何の部屋も無い最上階ロビーに、社長室から響く声が、わんわんと駄々洩れであった。
声は、結女子の乗って来たエレベーター付近まで届いている。
「だから、あんたが先に出てけって言ってんのよ!」
「先輩だからって、そうやって指図すんの止めてもらえます?」
熱の籠った、衝撃波のように良く響く声と、青く沈んだ、冷たいほど冷静で凛とした声が交互に響く。
(九条刑事が、「今日は報道陣が来るから、社長は出勤しないだろう」って言ってたのに、他の人がいるみたい。どうしようかな?)
そう考えあぐねながらも、結女子は一応清掃カートを社長室の出入口前まで押して行き、中を確認してみる事にした。
しゃがみ込んで、ドアの隙間から、中を凝視する。
屈みこんで覗き見た部屋は、天井が高く、シャンデリアが飾られ、目の前には結女子が二人分隠れられそうな、大きな黒のレザーソファが置かれていた。
如何にも高そうなレザーソファアに、誰かが腰かけているのが見えた。
向かい側にも、人が座っているようだ。
魔界側の人間の顔も確認したいが、頭を上げたら、こちらの結女子が見つかってしまう。
細い指先で煙草を挟み、背をソファに預けている、目の前の人物の後頭部を、結女子は、じっと観察した。
茶色く染めた、ちりちりウェーブする髪が強気な印象を作っていた。
そのちりちり茶髪の女性が、煙を天井に思い切り吐いてから、また喋り出した。
「あんたは、もう十分ここで懐を肥やしただろうが!さっさと自立しなさいよ!」
「先輩こそ、どうして何時までもこの事務所に居座っているんですか?古参として出しゃばるのがお好きなんでしょ?今は殆どステージに何て立ってないのに、講師気取りで、出しゃばって、若い子手懐けようとすんの何なんですか?気が強くて男に相手にされないから、寂しいんですか?」
(声も冷たいけど、言ってる事はもっと冷たい!)
アラフォーの結女子は思わずしゃがみ込んだまま、両腕で自分を抱きしめた。
「男に相手にされないのは、あんたの方でしょ!?美人な癖に、そんな前髪で目元隠しちゃって!気位高すぎて、誰も近づいて来ない癖に!」
「この前髪は私のキャラづくりであり、恥じらいの表れ何です。先輩みたいに、厚顔無恥じゃ無いだけですぅ。先輩何か、姉御肌気取って、ガキ大将なだけの癖に。」
「うっさい!うっさい!うっさいわぁ!」
チリチリ茶髪の女性が、勢いよく立ち上がった。
距離があっても分かる程背が高い。170センチはあるだろう。
向かい側の白髪短髪の女性も、大きく息を吸って、大げさに吐くと、鼻で呼吸を整えてから、勢いよく立ち上り、そして叫んだ。
「若年性更年期障害!」
「洗脳犯のお前らよりは健康だ!」
「さっさと引退しちまえ!」
「しないわよ!まだこの会社に貰うもの貰って無いんだから!」
「人で無し!業突張り!うちの事務所で生活に困ってる子がどんだけいると思ってんだ!」
「こんな会社が無いと壊れてちまうような生活、もともと問題あんのよ!私が全部壊してやる!」
怒鳴り合う二人の威勢の良さに、結女子は社長室の外で膝を抱えてしゃがみ込み、震え、両手で両耳を塞いでいた。
「そんな酷い事、簡単に言うなんて、本当にあなたはどうしようもない馬鹿やろうですね。」
「はぁ、野郎じゃ無いんですけどぉ、れっきとした女だけどぉ!」
ちりちり茶髪の女性がふざけた口調で言い返すのに、むっと顔を顰める白髪短髪の女性。
口をへの字に曲げ、ちりちり茶髪の女性に掴みかかった。
「痛い!痛い!」
結女子は痛いという言葉に反応し、顔を上げ、社長室の中を再度覗き見た。
すると、白髪短髪の女性が、ちりちり茶髪の女性をソファのヘリに押し付け、前髪を引っ張っていた。
相手は上半身を仰け反らせ必死に抵抗している。
抵抗するちりちり茶髪の女性の爪先が、相手の手を掴む。
ピンクブラウンにネイルされた指が、白髪短髪の女性の肉に食い込んでいた。
すると、ドアの隙間から覗いていた結女子から白髪短髪の女性の顔が見えた。
(歌手の白雪だ!)
結女子が見聞きした白雪は、白雪というより、白氷を思わせる、痛みを伴う寒々しさを感じさせた。
彼女が言葉を放つほどに、空気が凍てつくようで、涼しさや柔らかさを思わす、愛らしい雪よりも、触れたら痛いほど手を傷つけ、身体の芯まで体温を奪ってしまいそうな、氷のような冷たさだ。
その寒々しい空気感を纏ったまま、白雪は更に叫ぶ相手の咽喉を掴もうとした。
「やっ、止めてください!」
結女子は思わず声を荒げ、勢いよくドアを開け、中に入った。
「誰なの?」
白雪が抑揚の無い声で結女子に尋ねた。
思わず相手を抑え込んでいた手を放す。
「あ、あの清掃のモノです。」
結女子は思わず姿勢を正し、素早く頭を下げた。
「すっすいません。」
何も悪くない筈なのに、相手の凍てつくような空気感に気負いする結女子。
きっと相手は年下のハズなのに、震えてしまう自分が酷く情けなかった。
「…あんたは、謝んなくていい。」
ちりちり茶髪の女性が姿勢を正し、咽喉を自分で押さえながら言った。
上半身を少し持ち上げ、彼女の顔を見る結女子。
エラの張った輪郭と、薄い唇。
大きな瞳の釣り目に、意思の強そうな真っ直ぐな眉。
チリチリ茶髪の女性は、がたいの良い、大きな身体と、白く艶のある女性らしい肌をしていた。
「あ、」
結女子はファイルでその女性の事を知っていた。
名前は黒井 華倫。
今は、殆ど歌手活動はしておらず、たまにドラマの脇役でちらほらテレビに出る程度だが、何時も存在感は抜群だ。
その男負けしない、強気でエネルギッシュな印象を活用し、悪の黒幕のラスボスのような役回りに起用されやすい。
随分前に余り表舞台には立たなくなったらしい。
今は事務所で若手の育成に回っていると言う話しだ。
現役アイドルの頃は、武仁の母と同じ七色アイドルのレッド担当だった人でもある。
「そっか、今日は社長がいないから、清掃するのね?」
黒井は何事も無かったように、結女子に向って普通に話し出した。
「はっはい!」
「今出るわ、調度そろそろ出ようと思ってたから。」
「すっすいません!」
「良いの、私が勝手にここを開けて貰っていたの。」
ラスボス感オーラの半端ない黒井を目の前に、声が上擦ってしまう結女子。
先程まで、急激に冷や汗をかき、肝を冷やしていたと言うのに、今度は胸が高鳴り、体温が、急激に上昇して来た。
ドラマでは悪役になる事が多く通称『怖姫』と称される黒井。
だが、実際結女子が目にした彼女は、男勝りな強きさと、女性的なシャープさを兼ね備えた、洗練された粋な風情を感じさせた。
彼女をまじかに、動悸、息切れしそうな勢いで、胸が高鳴る結女子。
(もしかして、私レズの気があったのか?)
と、どうでもいい妄想が膨らむほど、胸が高鳴っていた。
別にファンだったというわけでもなかった結女子。突然のトキメキに戸惑ってしまう。
「すいません!良かったら、サインもらえませんか?」
結女子は気が付いたらそう叫んでいた。
「良いわよ」
楽し気に笑う黒井は爽やかだった。
「私みたいな若い頃に一時期しか売れなかった人間、知ってる何て、あなた相当オタクなの?」
「先輩”オタク”は余り良い言葉ではありません。」
「はいはい」
さっきまで、取っ組み合いをしていたというのに、今はもう淡々としている二人のやり取りに、結女子はただ身をすぼめる他なかった。
「あ、でも書くものが…」
もじもじする結女子。
「いいわ、この紙で良い?」
黒井はソファの前のテーブルに置いてあった紙を取り、さっさとサインをし、結女子に渡した。
「あっ、ありがとうございます!!」
サインを受け取るものの、緊張で目を合わせられず、結女子は顔を赤らめたまま、目を閉じてそれを受け取った。
「じゃあ、ありがとうね。」
彼女はそう言うと、ばんばん大げさに結女子の背中を叩いてから、颯爽と立ち去っていった。
白雪も大人しくその後を歩き、すれ違いざま結女子に軽く会釈した。
白雪の長い前髪が目元から離れ、ちらりと大きな瞳が、一瞬だけ見えた。
ひんやりした印象で、目上にも喰ってかかる白雪だが、本来礼儀は忘れない人間のようだ。
小刻み良いヒールの音が、最上階ロビーを快活に奏でた。
「こわいけど、かっかっこいい…」
縮こまっていた癖に、ちゃっかり貰うものは貰う結女子だった。
結女子は暫くその背中を目で追ったまま、自分の目的をすっかり忘れていた。
その後黒井と白雪は、報道陣が来たために、会社から出られなくなっていた若手アイドル達を向へに行き、そのまま引きつれ、ビルの正面玄関に向った。
正面玄関が開くと同時に、報道陣たちが詰め寄った。
正面ロビーで報道陣たちの様子を見ていた九条刑事が、木の陰から、遠巻きにその様子を観察していた。
結女子を見送り、30分程立ったところだった。
正面ロビーから現れた黒井と白雪と、若手アイドル達。
先頭を黒いサングラスをかけた黒井が、ヒールの音を高らかに奏でながら、颯爽と歩いて前に出た。
そして待ちぼうけしていたであろう、報道陣達の前まで自ら歩み出る。
その後ろで若手アイドル達が、黒井の背中に身を隠すように、身を寄せ合っていた。
訝し気な顔隠しながら俯いている。
白雪はその怯える後輩たちの背中側に立っていた。
自動ドアの目の前に集まった報道陣を、黒井は仁王立ちで眺めた。
サングラス越しに、集まった群衆を右から左へ眺める。
「黒井さん!今回の事どう思われますか?」
「どう思うってどういうこと?仕事に行かなきゃいけないから、どいて頂戴。」
ああですか?こうですか?どうですか?
黒井の言葉は無視された。
質問の声とフラッシュが、ビル正面で乱射される。
若手アイドル達は、それらが何時自分に向けられるだろうと恐怖し、黒井の後ろで只々震えを堪えていた。
「やめてください。」
黒井の前を塞ぐように歩み出て、白雪がはっきりとした活舌で言い放った。
ただ淡々と、平静に、白雪が言い放った。
ただそれだけだった。
しかし、言い放たれた言葉に、報道陣達は氷結したように、硬直する。
「道を開けてください。」
淡々と、礼儀正しく、白雪がまた言葉を言い放った。
すると、報道陣は一言も喋らず、揃ってその場から、左右の群れに別れ始めた。
「苦しゅうない。苦しゅうない。」
報道陣が引き始めたのを見ると、黒井は大仰に首をたてにふり、白雪を通り越し、また先頭を歩き始めた。
白雪は何も言わず、身を翻し、後輩達の背中側に戻る。
純白のレギンスを履いた黒井の長い脚が、紅いヒールの音を掻き立てながら、コンクリートロードを颯爽と歩いて行く。
その様子は、はた目から見ると、まるで黒井が報道陣たちをヒールの音で威嚇し、その群れを蹴散らしているようだった。
白雪と他のアイドル達はただ後に続いた。
ずんずん進む黒井と、その後ろの子羊達。
すると突如、ビル前に大きなバスが現れた。
黒井はアイドル達をそのバスに乗るように促した。
「いそがず、あわてず」
大型車の乗車口で、不安げなアイドルの1人に黒井が声をかけた。
声をかけられた女の子は、まだきっと十代。
表情の読み取れないサングラスの奥に、少しまだ不安げな顔のまま、微笑み頷いた。
そうして、黒井は全員が大型車に乗ったのを確認すると、振り向いて、報道陣に向って大げさに腕を振った。
「じゃっあねぇーーー。」
ふざけた調子で押し切られてしまい、報道陣は面食らう。
「ありがとうございました。」
白々しいほど淡々と礼を言う白雪。
報道陣達に向って声をかけると、バスに足早に乗り込んだ。
すると、ぼんやり事の成り行きを見ていた報道陣達が、我に帰りった。
慌てながら、我先にとバスに詰め寄る。
黒井はその何とも珍妙な報道陣の様子を見て、大きな口でにかっと笑った。
そしてその珍妙な輩どもに背中を向ける。
大げさな腕ふりをし、大きく膝上げジャンプで自分もバスの中に乗り込んでいった。
「やっふー!」
バスは走り去って行ってしまった。
後に残された報道陣はただただ、あわあわするだけであった。
一方結女子はその時、そういう事が起こっているとはいざ知らず、従業員出入口の検問を、息が止まりそうな思いで潜り抜け、急ぎ足で九条刑事の車に戻って来ている途中だった。
「何か成果はあった?」
九条刑事が瞳孔が開きっぱなしになっている結女子に聞いた。
声を掛けられ、はっと我に帰り、九条に顔を向ける結女子。
「はい!サインをもらいました!」
結女子は真面目な顔で正直に答えた。
「そういう事じゃ無いだろう!」
九条刑事は叫んだ。
「でも、見てくださいよ。ほらほら。」
「え~俺はサイン何か興味ない…」
結女子が黒井にサインを貰った紙。
サインを書いてくれたその紙の裏側に、何かをやりとりする為の、地図と住所が書かれていた。
「これで、日時が分かればばっちりですね。」
「…ご都合主義にも程があるな。」
九条刑事は結女子から紙を摘み上げて取ると、その書かれている内容をじっくり凝視した。
「そのサインは私に下さいね?」
「はいはい」
九条刑事は携帯で写真だけ取ると、さっさとその紙を結女子に返してくれた。
その後結女子は着替えてから、東七奈の駅でピザを三枚買うと、真っ直ぐ田中宅に向った。
「こんにちわ~」
結女子は上機嫌で田中宅に訪れた。
「いらっしゃーい。おおお!やったーー!」
玄関に結女子を出迎えに来た梅吉が、特大用のピザの箱がビニールの袋に入ってるのを見て、ガッツポーズを取った。
その姿に結女子も顔をほころばせた。
クマが梅吉に続いて、手の水分をふき取りながら、台所から顔を出した。
三人が玄関先で騒いでいるのを聞きつけ、武仁も目を覚まし、階段を降りる。
武仁は階段の途中で身を屈めその三人の様子をみながら、苦い顔をしてから一人影の中で微笑んでいた。
「ごめんくださ~い」
今度は末恵が来た。
「えへへ、ケーキ買ってきちゃった。」
微笑んで白い箱を掲げる末恵。
「あれ?唱川さん?」
階段から降りて来た武仁が、末恵の苗字を呼んだ。
「あれ!?加藤君がいる!」
階段から表れた武仁に末恵は、表情筋を縦に広げて驚いた。
「お前ら、知り合いなの?」
「学校が同じ何だよ。」
「クラス違うけどね。」
梅吉が尋ねると、末恵と武仁が交互に答えた。
二人の間合いの良い返答に、梅吉は居心地の悪さを感じ、口を窄めた。
自分だけ学校に行っていない。と、言う疎外感を感じたからだ。
行き成りむくれっ面になる梅吉に、意味が分からず、二人は困惑した。
「二人は何処高校なの?」
「逸物高校です。」
結女子がピザの箱を抱えたまま質問すると、武仁が遠慮がちに答えた。
「ああ、じゃあ梅吉君と同じ高校だ!」
梅吉の顔を覗き込む結女子。
持っている、ピザの箱が傾いた。
クマが、無言でその箱に手を差し伸べ、結女子がその手に渡す。
「良かったね梅吉君。」
「…うん。」
梅吉は眉を顰めたまま、ほころびそうになる口元の下唇を噛んだ。
その場にほっとした空気が広がる。
「おじゃましまーーーーーす。」
結女子は梅吉のご機嫌を確認すると、さっさと田中宅の中へ入っていった。
クマもピザの箱を持ってその後に続く。
「ウメちゃん、ケーキ切り分けたの、一番に選んで良いからね?」
楽し気に末恵がそう言ったのを、梅吉は恥ずかしそうに、上目遣いで睨み付けた。
その梅吉の何とも言えない顔を、武仁も階段の壁に手を付きながら、歯をだして直視していた。
(始めて会うのに、兄弟みたいだな。)
通路向こうから、三人を眺めながら、結女子は思った。
居間にお皿に乗せ換えたピザを乗せ、用意したサラダを人数分並べた。
末恵のケーキは厳重に冷蔵庫に保管済みだ。
準備し終わり、五人がテーブルに着く頃には、午後一時になっていた。
ピザを食べ終わった後クマが、ケーキを切り分けていると、武仁がその顔を座ったまま見上げ、遠慮がちに尋ねた。
「テレビでニュースを見て良いですか?」
一瞬、みんなが武仁に無言で注目した。
「良いよ。」
クマが動きを停止させながら答えた。
「みんなどれにする?」
結女子が停止したクマの手から、ナイフを受け取り、切り分けられたケーキを梅吉達に選ばせ、お皿に分けた。
「僕はどれでも、良いです。」
武仁は言いながら、ニュース番組にチャンネルを合わせた。
武仁がチャンネルをニュース番組に合わせると、今朝結女子がいたプリンセス事務所での出来事が、編集され流れていた。
ニュース映像の見出しには『怖姫降臨!!』と、黒と赤の見出しで大げさに演出されていた。
テレビに映ったのは今朝方、結女子がいたビルでの映像。
元プリンセス事務所所属の元アイドルの不倫騒動と、過去の枕営業の疑惑について、疑問符を投げかける報道陣と、ビルと若手アイドル達を背中に仁王立ちする黒井華倫が映った。
「やめてください。」
と、言う声とほぼ同時に、黒井華倫が歩き出し、報道陣をかき分けて歩いて行く。
その映像には、けたたましい笑い声が入っていた。
「あれ?あんな人だっけ?」
何だか不自然な違和感を捉えた結女子。
つい言葉に出てしまう。
実は笑い声は後から報道陣が、黒井と似た声を後から編集で足したものだ。
勿論、結女子にとって黒井は、今日初めて会っただけの人間。
なので、捉えた違和感の意味も、違和感の理由も、何も具体的に説明出来たりはしない。
だがしかし、結女子の顔を曇らせるのには十分な要素だった。
「え?結女子、この恐いおばさん知ってるの?」
梅吉が結女子に聞いた。
「え?ええとね…。」
結女子が下手な愛想笑いをしながら、椅子の上で身を縮めた。
皆の視線が自分に注がれている事に焦る結女子。
俯き、髪をいじる結女子を、クマが呆れた顔で見ていた。
(何かあったってバレバレ何だよ。)
梅吉もフォークを咥えたまま呆れていた。
つられて他と揃って、戸惑う結女子を見つめていた武仁が、思いついたようにテレビのチャンネルを変えた。
また違うチャンネルで、また同じ内容の映像がテレビに映し出された。
その映像では、黒井とその後ろで怯えるように身を潜める若手アイドル達と、それに詰め寄る報道陣達が映っていた。
無言で仁王立ちのまま、報道陣の質問攻めに立ち往生する黒井の前に、さっと白髪短髪の女性が立つ。
言わずもがな、歌手の白雪だ。
「やめてください。」
その声と共に、報道陣の動きが止まった。
「「わ!」」
何の意識もせず、テレビを眺めていた梅吉と末恵が同時に声を上げた。
「どうしたの!?」
思わず、聞く武仁。
しかし、二人は答えなかった。
答えなかったと言うより、答えられなかった。
突然目の前で、流れた映像の衝撃が、二人には思いのほか強かったのだ。
「ねぇ、クマ。俺の部屋で三人でケーキ句って良い?」
間々あって梅吉がクマに尋ねた。
喋り方が何となく何時もより慕ったらづだ。
「何で?」
無言のクマに変わり、結女子が聞いた。
「ちょっと、ティーンだけで話したい事があるからさ。」
梅吉は視線を、クマから結女子に移した。
「まぁ、私達を中年扱いしてるの?」
結女子がふざけた調子で聞いた。
「違うよ、人生の先輩を尊んでるんだ。」
歯をむき出して梅吉が返した。
笑って見せようとしてるのに、目が笑っていないのを、本人は気が付いているだろうか。
結女子が自分の横に座っていたクマの顔を見た。
「いいぞ。」
クマが結女子の方を見てから言った。
「よっし!行くぞ!」
梅吉は自分のケーキと紅茶を手に取ると、武仁と末恵を引きつれて、さっさと居間を出て階段を上がっていった。
その背中を愛想笑いで見送る結女子。
まさか、「今朝は清掃員に化けて、本社のビルに乗り込んでいました。」何て言えるはずが無かった結女子は、自分が問いただされそうになった事が有耶無耶になり、ほっと胸を撫で下ろしていた。
点けたままのテレビを眺めながら、結女子とクマは、のんびり自分達のケーキを食べ始めた。