幕間 1 〜ハーデンベルギアの花をあなたに〜
夢とは誰しもが見るものだ。
起きている間にしろ、寝ている間にしろ。
───だが、それが必ずしも良い夢であるかと問われると必ずしもそうではない。
これは、数奇な運命を辿る少年の夢ではなくこの世界で大魔王と呼ばれる者の夢の断片と彼女から見た世界の一端の物語である。
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時は人魔竜大戦も終焉に近い頃まで遡る。
当時は戦争という事もあり世は荒れていた、つい最近迄隣人として親しくしていた者の家から食料を奪い、殺し合うといった事などが差程珍しく感じない程には、世の中は狂い、疲弊していた。
「ベルお姉ちゃん…今日もあんまり売れなかったね…」
幼いながらに顔立ちの整った暗めの紫色の髪を腰まで伸ばした少女が傍らで微笑む色素の抜けた白髪を肩まで伸ばした姉の手を引き家路に付く。
「そうねぇ…でも、お父さんとお母さんが残してくれた畑があるから他の人達に比べたら私達は恵まれているのよ?」
少女達の母親は魔族領では第一皇女という身分ある身ではあったがある日、人族の旅の男と強く惹かれ合い駆け落ちという形で魔族領でも辺境である土地に居を構え食物や花を育て、そしてそれを売る事で生計を立てていた。
だが、次女を産み落として暫くした後父親は流行病で病死し、母親も2年前に同じ病で亡くなった。
「うん……、ファラ、我慢出来るよ…?何時か首都に行って立派な騎士になるの!」
「ふふ…ファラは昔から騎士に憧れていたものね…?…そうだ、今日はファラの誕生日だったわね…売り物の残りで申し訳ないけど…」
「わぁ…胡蝶蘭…!良いの?」
「良いわよ?何時も頑張ってくれている御褒美、それにお姉ちゃんだってファラの名前の元になったお花をファラにあげたいんだもの♡お誕生日おめでとう…ファラ?」
「えへへ…お姉ちゃんだぁい好きっ!じゃあねじゃあね!お姉ちゃんの誕生日には───」
両親が居ない姉妹の生活は苦しく、育ち盛りのファラには食べ足りない日々は続いた。
何より、姉のベルはアルビノ…遺伝子疾患を患っていた。迷信として短命や太陽の下を歩けない、といった話はあるが実際にはそういう事は無いにしろ魔族という種の中では珍しく、後ろ指を刺される様な存在だった。
だが、それでも二人は幸せだった。貧しく、肩を寄せ合うような暮らしだったとしても家族が居るという安らぎが二人を包んでいたから。
そう、抗いようの無い死が二人を別つ迄は。
「───生きて…ファラ……!」
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「ッ!!!」
気付けば私は机から飛び起きていた、どうやら仮眠のつもりで目を瞑っている間に本格的に熟睡していたらしい。
「……あの時の夢を見るのは何時以来だったか…」
思えば奴と出逢う迄夢すら見ていなかった気がする、国の舵を取るというのは中々の激務だ、流石に寝た事すら無いとは言わないが奴と出逢って半年程経つがこの半年で私の身の回りは大きく変わったと言える。
先ず、あの就任式の後私は家臣である一部の大罪達の非難を受けた。当然といえば当然の結果であったがそれを黙らせたのは一年程タルタロス帝国にて自身が収める領地の歴史や国の舵取りを学ぶ為に閃雷のリリスの娘であるエリス嬢、嘗ての邪竜神であるアジ・ダハーカを伴い留学にやって来た曙の勇者の実力と才能であった。
最初に奴の餌食になったのは7人の魔王の中でも強い戦闘力を有すオルゲンであった。
オルゲンは憤怒を司る魔王であり戦闘時は20メートルはあろうかという竜に化け、怒りにより段階的に強さを増すオルゲンではあるが私が無理矢理持たせた神剣のたった一撃の峰打ち以てまる二日は昏倒させたのは記憶に新しい。
『あ、ありのまま起きた事を話すが先ず俺は当時かなりキレていたのは知ってるだろ?つまり7割方は本気だった俺をあのガキは『あ、多分この人ならこれくらいなら死なないよな』とか吐かしたんだ、俺はブチ切れたね、本気で喰い殺してやろうとした俺の首をギロチンが落ちたような感覚を覚えてる……人間の皮を被った悪魔か死神なんじゃねーのか?って今でも思ってるぜ。』
まぁ、奴が全てを救うという甘さを捨て、ただ戦うだけの戦闘狂と化せば少なくともこの世界で止められる者は限られてくるだろう。それは直接相対した私が一番理解している。
二番目に奴の餌食になったのはオルゲンとは比較的良好な関係を築いていた傲慢を司る魔王、パニアであった。
パニアは戦闘時は通常種のグリフォンとは体毛の性質からして異なるグリフォンへと代わる、嘗ては神々の王の戦車すら引いて宙を駆けた彼女の背に飛び乗り『翼を捥がれるのが嫌なら跳ぶのをやめてください、人が集まっているんですよ?』等と、聞こえたような気はしたが空中戦を瞬く間に制した際の歓声は私にとっては当たり前の結果に何を…と、覚めた視線で見ていたのを自覚している。
『し、死にたくないからあのガキを怒らせんのだけはやめとけ…少なくともアタシはファラ陛下の選択を支持するよ……あれは意図的に力を隠してるタイプのやつだ…今でも背中に伸し掛ってきた重圧を忘れちゃいないよ…』
七人の魔王の中でも武闘派と呼ばれる二人を同じ日に、それもほぼ同時刻に下したのは強さを信条とする魔族領の民にはそれだけで曙の勇者の力を見定めるには充分だったのか今ではたまに命知らずの猪武者や自殺志願者が我が城に訪れる有様だ。
そんな日々を半年程過ごし、当の本人はというと荒くれ者の巣窟と化していたアジ・ダハーカが収めていた領地に例の太陽の魔法を登録し魔法士協会が与えた研究費用総額、純白金貨5000枚(日本円にして5000億円)を用い研究所を建築している様だ。
雇用者である曙の勇者の意向により、建築に携わる者は専門の職人以外にも魔法の知識に富んだダークエルフや力仕事が得意なサイクロプスやオーク、果ては戦争で住処や家族を無くした女子供迄給仕役として取り立てている様である。
(……私の目に狂いは無かった、か)
戦争や魔法というのは時に人を狂わせるが奴は或る意味では善性に狂っているとも言える、時には自身が雇った者と肩を並べて建築にあたり、時には給仕の女子供と仲良く談笑を交わしながら料理を教えたりと……本当の意味で絶望を知っているからこそ周囲を支えようとする心根は周囲の者にもまた、支えられている様にすら映る。
『大魔王さんよ…あんたがあの坊主を何処で見付けたかとか、あんたが何を考えてるかとか小難しい事を考えるのがきれぇな俺達ドワーフ族は興味はねぇさ。……だが、あんたが選んだあの坊主は当たりだぜ?ちょいと危なっかしい処はあるがありゃあ良い漢になる、数年後が楽しみなガキだ……あんたが支えてやりな?』
あるドワーフ族の技術者が言っていた言葉を思い出し思わず口元が綻ぶのが解る、半年足らずであの気難しい種族で名高いドワーフ族の大半にすら認められる人柄なら私が支えてやらずとも良い気もするが……隣で淫蕩を司る魔王であり秘書として仕事に従事しているネイアは穏やかに微笑んでいた。
「……何用か、ネイア。私の顔がそんなに面白いか?」
クスクスと笑うネイアはサキュバスらしい、と言えば種族差別になるが所謂グラマラスな体付きをしており一晩で千人斬りを果たした等と性的な意味合いでは右に出る者は居ない女だ、眼鏡のレンズ越しから私を見詰める視線に僅かばかりの苛立ちをぶつけながら問う私にネイアは首を振る。
「いいえ?……ただ、大魔王様が唾を付けないのであればあれ程の逸材ですもの…私が唾を付けてしまうかもしれませんよ?サキュバス界隈でも、城の給仕係にもウケが良いんですよ?曙の勇者様」
……知っている、昨日も廊下ですれ違ったメイド達が黄色い声をあげて話していたのを私は耳にしたからだ。
「……好きにすれば良い、だが奴にはエリスとい「…貴女は、どうなんですか?」……なにを言いたい?」
ネイアにしてはやけに突っかかる事に戸惑いを覚えるが言わんとすることを理解出来ないとばかりに肩を竦める。
「……言葉通りの意味です、私は大魔王ではなく私の親友だったベルの妹であるファラに訊ねています…ファラ、貴女は彼に何を望んでいるのですか?」
何を望んでいる、か…
「…彼奴に何が出来るのかを見たい、姉さんと同じ目をした……私の為に生命を捨てた姉さんと同じ雰囲気を纏った彼奴がこの世界をどう変えて行くのが見たい…それだけだ」
それは確かだ、私は姉さんの願いも背負い歩んできた。…そんな姉さんと似た様な空気を纏う彼奴がどんな歩み方をするのか見てみたいんだ。
だが、ネイアは首を振りながら伸びをする。
「なるほど、……そういえば、今日はベルの誕生日でしたね。…今日の仕事は私がやっておきますので久しぶりにお墓参りに行って下さい」
毎年墓参りはしていたが、どんな風の吹き回しか業務を手伝うではなく引ったくるように書類に目を通し始めるネイアに何も言えなくなり部屋を後にする事にする。
「……ベルの言葉に隠された真実を、どうか見誤らないで下さいね…ファラ」
等という言葉が聞こえた気もしたが、私は帝都へと花を買いに赴く。
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目当ての店に着くと店主であるダークエルフの女店主が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませー…あ、ファラ陛下!今年も何時ものお花でよろしいでしょうか?」
「あぁ、それで頼む」
「かしこまりました〜、そういえば今年は曙の勇者様も先程この花をお買い求めになられたんですよ?偶然ってあるんですね!」
ほう、奴も……というか先程、だと?
本来は墓に備えるものではない花に適切な処置をして貰いながら鉢に添える店主は不思議な偶然もあるものだと微笑む。
(……まさか、な…)
幾ら奴がお人好しでもそんな偶然はあるまい
…だが、もしもという事もある為私は店主へと訊ねる。
「すまぬ、奴は何処へどの方向に歩いていったか解るか?」
「はぁ、確か墓地のある北東方面に歩いていった気がしますねぇ…あ、仕上がりましたよ?」
「そうか、…あぁ、ありがとう…代金を支払おう」
毎度ありがとうございましたー、という声を背に私は奴が歩いたであろう道を歩く。
(……馬鹿馬鹿しい…これではまるで…)
ネイアに焚き付けられたというのも理由の一つではあるが、それもこれも奴が姉さんに似ているのが悪いんだ、性別も顔立ちも異なる癖に纏う雰囲気や在り方が似ているから…
墓地に着くと或る意味予想通りと言うべきか…奴は姉さんの墓の前にハーデンベルギアの花を供え手を合わせていた。
「……何故貴様が?」
「…あ、ファラ陛下……ネイアさんに聞いたんです、毎年ファラ陛下がこの花を供えていたって…疲れて寝ていた様でしたからなら私が…と、…差し出がましい事をしてしまいましたか?」
……ネイアめ、謀ったな…
思わず舌打ちをしてしまいそうになるが元々は執務中に仮眠を取っていた私が悪い、既に供えられた鉢と寄り添わせる様に供え手を合わせると首を振る。
「……構わん、寧ろ要らん気遣いをさせたな…赦せ」
何故此奴の前では素直になれないのか、ぶっきらぼうに謝罪をする私に対しても穏やかに微笑む姿が姉さんを連想させる為此奴のこの笑顔は正直狡いと思う。
「いえ、私が供えたかっただけですから……私も、赤ん坊の頃に姉を亡くしていますから…」
…拾われた時の事を言っているのだろうか、まぁ…此奴なら生まれて間もない頃の記憶を持っていたとしても差程不思議には思わないが。
「……申し訳ありません、…行きましょ「…ならば…」…?」
「ならば、忘れてやらねば良い…過去に囚われるな、等とは所詮は他人事だから言えるのだ。…誰が忘れても貴様が貴様の姉を忘れぬ限り、貴様の姉は貴様の中で生き続ける…過去に囚われるのではなく、過去を抱えて生き続ければ良いだけの事だ」
思わず口を吐く言葉は、私自身が姉さんを忘れないという証左か。
「……帰るぞ、今日は貴様が作った菓子が食べたい。私に申し訳ないと思うならそれでチャラにしてやる」
「……ふふ、解りました。今日は何を作りましょうかね───」
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眠っている間に見る夢とは過去の記憶が作り出す記憶の残滓…。
起きている間に見る夢は自身が追い求める未来のカタチ…。
何方もヒトをヒトたらしめる要因の一つではあるが、過去を変えられる者は居ないだろう。
時には慟哭し、後悔し、傷を負わされたと嘆く様な事もあるだろう。
───それでも、未来をより良きものに変える努力は出来る。
墓に背を向ける二つの背、それを見守る白髪の少女は穏やかに微笑む…独りぼっちだった妹の未来が、たった一人の少年に出逢った事で変わった事を心の底から安堵するかのように。
ありがとう… と、少年が半年前に聞こえた声が、再び紡がれる墓にはハーデンベルギアの花が寄り添う様に供えられていた。




