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「高橋さん、来週の金曜日の夜空いてますか?」
「はい、大丈夫です。というより予定がある日がないです」
「ふふ、気を使ってくださらなくて良いですよ。では、金曜日にお願いします」
職場に変わった人がいる、佐藤さんという女性。
教育担当でもないし、役職はないけれどベテラン。
誰にでも優しくて、いつも穏やかな笑顔で、ちょっとした失敗が多くて、ものすごくチョコレート好きなんだ。
以前、佐藤さんの大好きなケーキ屋に連れて行ってもらえる約束をした。
来週の金曜日、あと10日ある。
仕事がある日だし服装はこのままスーツでいいかな。
ケーキ屋の後はお茶とか飲む時間はないかな・・・夕飯は誘えないか。
仕事よりも色んな妄想が捗ってしまう。
桃瀬先輩と塩崎がニヤニヤしている気がするので、仕事に集中する。
「高橋、今日飲みにいこーぜ」
「今日は絶対ダメだ。明日に備えて、早く寝るんだ」
「遠足前の小学生みたいな返事だな、お前らしいけど」
「いやぁ、トラブルがあって行けません、とか嫌だからね。準備は万全にしたい」
「そんなこと言ってると残業になるぞ?」
塩崎にからかわれつつ、淡々と仕事をこなす。
とうとう明日は佐藤さんとケーキ屋に行くのだから、今日のうちに色々片付けておきたい。
楽しみな予定があると、本当に仕事が捗っていいもんだ。
「ええっ、はい・・・はい。ではご連絡をお待ちしています」
取引先からの電話に思わず素が出てしまいそうになり、堪える。
今日の夕方もしくは夜、下手したら明日の午前中、取引先から大切な連絡が来る。
俺が連絡を取らなければ仕事が進まないので、残業が確定した瞬間だった。
しかもいつ終わるか分からない残業、待ちますなんて言わなきゃ良かった・・・。
待つしかないんだけどもと回復するまで5分くらい、机に突っ伏していた。
顔を上げると、目の前に珍しいお菓子。
チョコレート生地の一口サイズのワッフル。
誰がどうしてくれたかなんて明白で、でもそれをアピールすることもなく、さっきまでと同じように席について仕事をしている佐藤さんを、パソコンの隙間から見つめる。
「あの、残業することになりまして、今日の予定はキャンセルさせてください。良ければまた今度お願いします。」
断りたくないけど断らないといけない。
せっかく誘ってもらえたのに、せっかく時間を取ってもらったのに、申し訳なくて顔も見られない。
「そうですね、また今度行きましょう。残業頑張ってくださいね」
いつも通りの佐藤さんの微笑みに癒されつつも、残念そうではないことに俺のほうが残念になる。
そうだよね、チョコレート好きってくらいの共通点しかない後輩なんだから、そんなもんだよ。
自分に言い聞かせて、仕事に戻る。
連絡待ちの俺を気遣って塩崎は残業していた。
「佐藤さん、今日は定時ダッシュの日なの?」
「あれ?定時ダッシュしたの?俺とお店に行くはずだったけど、月1の日ではないはず・・・」
佐藤さんは定時ダッシュしていたらしいけど、全く気付いていなかった。
約束がなしになったから、他の人と行ったのかな?などと考えながら、またパソコンに向かう。
いつになったら連絡があるんだろうか。
義理で残業してくれている塩崎のためにコーヒーを買いに行く。
「はぁ、佐藤さんとデートしたかったなぁ」
思わずため息と共に本音が出る。
いつの間にかデートの設定にしていた自分に驚く。
自動販売機からコーヒーを取り出して振り返って、固まる。
「あの、これ、お店で売っているマカロンなんですけど、買って戻ってきたんです。塩崎さんと食べてください。また今度・・・デートしましょう」
チョコレートの魔法で小さく見える佐藤さんが目の前にいた。
箱を俺の胸に押し付け、慌てて俺が受け取ったのを見ると、お疲れさまでしたとダッシュする佐藤さん。
本音を聞かれていたことを悟った俺は、頷くしか出来なかった。
彼女を呼び止めることも出来ずフリーズしていた俺は、ひとまず塩崎に報告する。
「でででで、デートの約束してたっ。どうしよ、可愛すぎる」
耳の周りが、頬の当たりが赤くなっていた気がするんだと言えず、塩崎の肩をバシバシ叩いてしまう。
「何を言っているかわかんないよ、高橋っ。痛いから!」
マカロンを味わう間もなく取引先からの電話を受け、退勤する。
近場の定食屋で夕飯を食べながら、事の次第を聞いた塩崎はニヤニヤとからかってくる。
「もう結婚してしまえ。んで、俺にブーケトス寄越せ」
「・・・・無理ぃ・・・」
後日談:
マカロンは塩崎と分けようとしたけれど、ブーケのほうがいいと突っぱねられる。
全部おいしく頂いて、お返しを探して街に出たけど、花しか目に入ってこなかった。
最後までお読みいただきありがとうございました。