始まり始まり
初めての作品の初めての投稿です。
「戻りました」
「佐藤さん、お疲れ様です」
「あ、高橋さん。これ良ければどうぞ」
職場に変わった人がいる、佐藤さんという女性。
教育担当でもないし、役職はないけれどベテラン。
誰にでも優しくて、いつも穏やかな笑顔で、ちょっとした失敗が多くて、ものすごくチョコレート好きなんだ。
「いつもありがとうございます。今日は苺の粒チョコですか」
「はい、午後は集中が切れますからねぇ。ちょっとさぼって摘まんでも許されるはずです」
佐藤さんは職場の皆によくチョコレートを配ってくれる。
押し付けることはないし、アレルギーとかも把握したうえで渡してくれる。
さぼっても良いなんて言ってくれる先輩はあまりいないだろうから、ちょっと嬉しい。
その場でチョコを開けて食べた俺に、ニコニコしながら佐藤さんは仕事に戻る。
午後の仕事を頑張れそうな気がして、俺も席に戻る。
「高橋ー、昼休憩後にすぐ休憩とは余程暇なのか?仕事はいくらでもあるぞ?」
教育担当だった酒谷主任の鋭い視線に一瞬で固まる。
あまりに仕事が出来ない新人の俺を、心が折れない程度に鍛えてくれた人だけど、やっぱり怖い。
いつもより迫力が増している主任の顔もまともに見られなかったが、ふと顔を上げると主任の顔が腫れている気がした。
「主任、顔どうしたんですか?」
思わず質問してしまい、「あぁ?」という低い声が聞こえたような気がして、倒れそうになる。
主任を怒らせると色々と後で面倒なのは、新人の1年間で嫌というほど思い知らされた。
体の硬直はもはや蛇に睨まれた蛙と同じだと思う。
死にそうなほど緊張した蛙の汗は薬なんだっけ?とどうでも良い考えまで浮かんできて、目が泳ぐ。
ただ、予想と違って、怒りではなく悲しみの表情に変化した主任はつぶやく。
「右の奥歯が痛いんだ。たぶん虫歯なんだろうが、歯医者に行きたくない」
えっと、子供か?と突っ込みを入れなかった俺は偉い、はず。
なんとかうまく主任をなだめて、怒られずにここからいなくなれる言葉を探した。
「それは・・・つらいですね。痛み止めとか飲んで早めに受診するしかないんでしょうか。お疲れ様です」
体調を気にかけています、頑張ってという表情まで作り、後退る。
「そうか、そんなに気かけてくれるなら今日歯医者に行ってくる。俺の仕事は高橋に頼むな」
悪魔の微笑みで死刑宣告をしてきた主任に、嫌とは言えず、大人しく仕事を受け取る。
席に着くといつのまにか苺の粒チョコが増えていた。
主任の体調がよくなるお手伝いをするんだと自分をなだめて、いつもよりちょっぴり残業した。
後日談:
虫歯が気になった俺は子供の頃以来の歯医者に行った。
会社が近いからと選んだけど、佐藤さんと会った。
歯医者は怖いなんて言い出せないまま診察が始まり、全く恐怖感を与えることなく進むことに、昔との違いが大きくただただ驚いた。
主任は歯医者通いになったようで、同期の塩崎にも早めの受診を勧めておいた。
最後まで読んでいただきありがとうござました