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第五楽章~医師~

 さて、話を再びあやめの方へ戻そう。

 あやめは昼食を食べ終わると、如月医院へと戻った。ノエルと別れて診察室の前に立つ。

 やがて午前の最後の受診を終えたと見られる人が診察室から出てきた。精神科というとどんな人が来ているのだろうかと心配していたが、普通の若い女性だった。

「ありがとうございました」

 扉を閉める前に女性は一つ礼をする。

「お大事にしてください」

 診察室の中から聞こえてきたのは優しそうな男性の声だった。あやめはほっとする。どうやら、「良い人」というノエルの評価は間違いないらしい。

 しかし、もう少し待っていると、今度は乱暴にあやめを呼ぶ声が聞こえきた。

「雫石さん、入って!」

 驚いた。先ほどの優しそうな声とは180°違う。診察室に如月医師の他に誰かがいるということか。しかし診察室に入ると、そこには長身痩躯の白衣の男性が一人いるだけだった。外見からするとあやめよりは年上、30歳前後だろうか。

「どのような用ですか。忙しいんで、手短にお願いします」

 挨拶もなし。こちらを見ようともしない。ずいぶん失礼な態度だ。この男は如月医師ではないのか、とあやめは疑ったが、胸元のネームプレートには「如月 修二」と書かれている。どういうことだ、ノエルから聞いていた話とはずいぶんと違う。

「お忙しいところお時間をいただきありがとうございます。わたくし、弁護士の雫石あやめと申します」

 それでも、あやめはあれこれ考えるのをやめ、意識を仕事モードに切り替える。照を説き伏せたあの状態である。こうなれば、あやめに怖いものはない。

 しかし、あやめが挨拶をすませると、修二は驚いたようにあやめの方を見て、それから急に声色を変えた。

「あ、これはどうもお待たせしてすいません。私はこの病院の精神科の代表の如月修二と申します。いやー、突然弁護士の先生が来るなんて聞いてたから、ちょっと緊張しちゃってて。怖い顔をしていたかもしれません。すいませんね、アハハ」

 先ほどとは逆の変化に、あやめは再び驚かされる。弁護士と聞いて緊張していたと言っても、さすがにこの豹変のしかたはひどい。

 しかし、突然態度が豹変したなどと初対面の人間に指摘するわけにもいかない。とりあえずは本題に入る。

「先生の患者さんの中に、『久々湊照』という患者がいるかと思うのですが、覚えていらっしゃいますでしょうか」

 ぴくりと右側の眉が動いた。どうやら照のことを覚えてはいるようだ。珍しい苗字なので、記憶に残りやすいのだろう。

「ええ。久々湊さんね。以前通っていただいておりましたが」笑みを崩さずに答える。

「いつぐらいのことでしょうか?」

 如月は困ったように眉を顰めた。

「申し訳ありません。一応個人情報というものがあるんで、雫石さんが久々湊さんとどういう関係なのか分からないと、そういったものは教えられないんです」

 なるほど。それはもっともだ。あやめは事情を話す。特に、照が医師による治療を受けることを拒否しており、その理由として医師に匙を投げられと言っているという部分を強調して。

 しかしあやめの予想通り、修二はその話を否定した。

「いえ、ウチとしては診療拒否をしたことはないですよ。むしろ、久々湊さんの方に治療を受ける意思がないようでしたが……。半年ほど前を最後に、治療に来なくなってしまったんです」

 やはり。これで照の言い分が嘘であるという裏付けが取れた。首根っこを捕まえてでも治療を受けさせる土台ができたというわけだ。

「やはりそうでしたか。通常医師が患者を拒否するというのはあまりありませんものね」

「ええ。医は仁術ですからね。どのような患者さんでも、その人の人生がより良くなるように病気の治療にあたるのが我々の仕事です」

 立派な医師だとあやめは思う。しかし、それだけに最初の態度が心にひっかかる。あの横柄な態度は一体なんだったのだろうか。

 まあとにかく、久々湊に治療を受けさせるための第一歩は達成できた。

「ちなみに、久々湊さんの病状はギャンブル依存症の中では重いほうなのですか?」

「ええ。かなり重いほうですね」

 修二の説明によると、ギャンブル依存症というのはそれによって日常生活にどの程度支障をきたしているかが病気の重さの重要なバロメーターらしい。なるほど、それならば照が重症であるというのは疑いのないところだろう。

「治る見込みはありますか?」

「もちろんですよ。ただし、本人にきちんと治す気があれば、ですが」

「なるほど」

 確かにその通りだ。どんな名医でも、病人が治すという気持ちを持っていなければどうにもできないだろう。精神科という分野になればそれはなおさらだ。

「それでは、近いうちに久々湊さんに来ていただくようにします。今日はお忙しいところどうもありがとうございました」

 あやめはぺこりと頭を下げる。しかし、立ち上がって部屋を出ようとした時……

「雫石さん、お昼はとられました?」

 突然の質問だった。あやめは目を丸めて修二に視線を戻す。

「ええ、つい先ほど。それがどうかしましたか?」

 そう答えると、一瞬修二の表情が曇った。

「いえ、それならいいんです。久々湊さんの治療について相談や質問がありましたら、またお越しください。今度はお待たせするようなことはしませんから」

 突然お昼ご飯のことを聞き出すとは一体どういうことだろうかと思う。しかし、それならいいと向こうから切り上げられてしまった以上、追及もしづらい。

「じゃあ、雫石さん、久々湊さんを連れて、また来てくださいね」

 修二はにっこりと微笑んだ。

「あ、ええ。そうですね。また」

 言葉の意味が分かってほっとしたあやめは診察室を引き上げた。

 病院を出て、今日の目的が達成できた旨の報告を入れるために誠に電話をする。

「あ、もしもし。仲町さん?お仕事中ごめんなさい。ええ。病院のほうは終わりました。しっかりと裏は取れたから、これで久々湊さんも観念すると思います」

「それはよかったです。でも、実はちょっとお話がありまして……」

 あやめは大方照が新たな借金を作ろうとしたのだろうと予想した。照のギャンブル依存症は早々治るものではない。誠も仕事がある以上二十四時間監視はしていられないことを考えれば、それは仕方ない。治療の土台はできたので、ここから新たな借金を作らせずに誠の借金を優先的に返済させていていけばいい。そう思った。

 しかし、誠の口から出た言葉は、そうではなかった。

「今回の依頼はなかったことにしていただきたいんです……」

「そうですか、わかりました。大丈夫です……って、ええっ!!」

 あやめの声が夏空に響いた。


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