第四楽章~取り立て~
さて、ここで話は少し遡り、両面作戦のもう一面に移る。照と誠の朝である。
出勤前に誠が照の元を訪ねると、意外にも照はすでに起きていた。普段は照が仕事に出かけてからようやく起きてくるというのに、今日は早い。
「おはようございます。照さん」
「おはよ。ちょうど良かったよ」
「え?ちょうど良かったって?」
再度医者に行くように説得にあたるつもりでいたので、てっきり照は逃げ回るかと思っていた。ちょうど良かったとはどういうことか。
「昨日言ったとおり。数百円しかない。金を貸してくれ」
信じられない申し出に、さすがの誠もイラっとくる。
「照さんそりゃないですよ。僕は照さんに借金の返済をお願いしているんですよ。貸すわけないじゃないですか」
当然である。しかし、照はそれに対して極めて残念そうにする。
「あ~あ。お前も薄情になったな。そっかそっか。いいよ、じゃあ。他のところから借りるから」
誠はぎょっとした。昨日あやめが言っていた言が頭の中で再生される。-久々湊さんは多重債務状態だから、一番恐れなくてはいけないのは新しい借金を作られることです。これ以上の借金は破産の可能性を高め、これはそのまま仲町さんの貸したお金が返ってこなくなる可能性が高まることになります。ですから、私は病院に行ってきますけど、照さんが新しい借金をしないように細目に見ていてください―
誠はぶんぶんと頭と手を振る。
「ダメですダメです!お金は借りないでください!保険証すらない照さんが借りるところっていったら、とんでもない高利のところなんですから」
照はタコのように口を尖らせる。
「そんなこと言ってもよお、さっきも言ったけど今俺の手元には数百円しかないんだぞ。これじゃあ今日の食事にすら事欠くだろ。それともあれか?俺に飢死しろっていうのか?死んだらそれこそ金なんて返ってこないぞ」
確かに、飢死するかどうかはともかくとして、この状態の照に新しい借金をするなと口で言っても無理なのは火を見るよりも明らかだった。思い切って今日の食費くらいは貸してやった方がいいものか。
しばし考えていると、誠の背後に差し込んでいた朝の陽射しが突然途切れた。音もせず扉が閉まるはずはないのにと思いながら振り向くと、そこには誠をすっぽり体の中に入れてしまえそうなほどの大男が立っていた。
「久々湊さん、今日返済日なんですが」
誠は口をぱくぱくさせる。大きな体とスキンヘッドの頭が相まって、見た目の怖さは照の比ではない。口調も丁寧ではあるが、ドスがきいているといった感じだ。
「あ、そうだったっけ」
対称的に照は落ち着いている。なぜだ。昨日確認したが、今日の照には数百円しか金がないはずである。どうして平気でいられるのか。もしかしたら、印象と違ってこの借金取りは物分かりが良いのかもしれない。
「はい。返せないというのなら、少々痛い目を見てもらいますよ」
そんなわけがなかった。口では少々と言っているが、人間を一人コンクリートに詰めて海に沈めるくらいのことは平気でしそうな迫力が滲み出ている。
誠はすっかり動転する。話が通じる相手ではなさそうだ。しかし、照が殺されては自分の借金は返ってこない。なんとかこの男から照を守らなくてはいけない。
しかし、誠の懸命の思考にも関わらず、照の口からは耳を疑うような言葉が出た。
「金はこいつが立て替えてくれるから、こいつから受け取ってくれよ」
何を言っているんだ、この人は。誠はすぐ否定しようとしたが、体が固まってしまって動かない。
「へえ。こちらのお兄さんが。久々湊さん、いいお友達をお持ちですね」スキンヘッドは誠を見下ろしながら如何にも悪そうに目を細める。「お兄さん、返済額は10万円に利子がついて11万円になりますが」
その迫力に誠はますます何も言えなくなってしまう。口を結んだまま首を横にふるのがやっとだ。
「え?返してくれないんですかい?」
返すも何も、自分は一銭もお前から金を借りてない、と言おうとするが、完全にビビってしまってやはり口が動いてくれない。
「誠はこう見えて鳶やってて、けっこう稼いでるんだよ。たったの11万円ならすぐに払えるよ」
冗談じゃない、と思う。必死に稼いだお金を無駄遣いせずにきちんと貯めているのは、ノエルと結婚する時に入り用になることを見越して貯めているのである。なのに、それを照の借金の返済などに充てられてはたまらない。
「ま、今日は金利の1万だけ払ってもらうだけでもいいんですけどね。そしたらまた金利が発生して、うちとしてはそれだけ儲かりますから」
スキンヘッドが言う。
この時、誠の思考は真にヘタレの極みへと近づいた。先ほどまで言われていた11万円という金額に比べたら、1万円という金額は少なく思えたのだ。このまま強情に拒んでいたら、この男に何をされるかわからない。それだったら1万円くらい払ってやった方が、照の破産のリスクも回避できて良いではないか、という思考が働いた。
「わ、わかりました。1万円なら。でも、僕が立て替えるのは今回だけですからね!」
「さっすが誠!いやー、持つべきは友達ですなあ」照は機嫌良さげに全力の拍手で誠を賞賛する。嬉しくない。
誠が財布から1万円札を出すと、スキンヘッドは慣れた手つきで懐にしまう。
「申し遅れましたが、私は風祭と申します。今後もお付き合いがあるかもしれませんので」
金を受け取ると、名刺を差し出してくる。もう一切付き合う気などないと叩き返してやりたかったが、誠にはやはりそんなことはできず、腰を引きながら受け取る。
「毎度」
そう言って風祭は立ち去ろうとした。しかし……
「今日の軍資金ないから、追加で10万貸してくんない」
照は屈託のない明るい顔で風祭にそう言った。
温厚な誠もついに照に向かって飛びかかる。。
「照さん!僕は照さんが借金を返せないって言うから1万円立て替えたんですよ!なのに追加で貸してくれって、どういうことですか!だいたい、こんな返済の見込みがない人に追加融資なんてしてくれるわけないでしょう!」
「貸しますよ」
背後の風祭からの思わぬ言葉に、誠はピタリと固まる。
「久々湊さんはとんでもないギャンブル狂ですが、今まできちんと返してきた実績がありますからね」
嘘だ。恐らくこれは照に「誠という財布」が見つかったから言っているだけだ。誠は泣きたくなってきた。もはや照に貸しているお金など諦めて、本当に照に痛い目にあってもらったほうが良いような気がしてくる。
「ハッハハ。ま、そういうことさ。大丈夫だって。風祭のおっさんも言ってるだろ、今までだって返してきたって。今回だって借りた元手でちょちょいと増やして返済よ。大きく儲かったら誠の借金だってすぐに返せる。悪い話じゃないだろう?」
とんでもなくおかしなことを言っているのに、あまりに自信満々なためになんだか誠の方がおかしなことを言っているような気分になってきてしまう。
「あーっ!」
誠はついに発狂すると、ダッシュで近くのコンビニへ行き、信じられないほどの速度で帰ってくる。
「おー、さすが鳶職。体が動くねえ」照は嬉しそうに笑っている。
「はい、これ10万円!これでいいでしょ。だから今日この人からは借りない!いいですね!」
今日一番の剣幕でまくし立てる。
「なーんだ。うるさいこと言わずに最初っからそうしてくれば良かったのに」照はさも嬉しそうにその10万円を確認する。
「なんだ。結局私からは借りないんですか。では、また次の返済日にお会いしましょう」
風祭はそう言って照たちのアパートから去っていく。
風祭がいなくなると、恐怖から解放された誠はずいぶんと冷静になった。そして、自分のした行動がかなりの確率で11万円をドブに捨てることになる行為だと理解した。
「やっぱりさっきのなし!返してください!」
照にそう言って掴みかかろうとしたが、照はうまいこと誠の脇をすり抜けて玄関の方へ抜けていく。
「ハッハハ。頻繁に借金取りと追いかけっこしてるからな。鳶職の誠と言えどもそう簡単には捕まらんよ。勝ったらきちんと返してやるから安心しとけって!」そう言って照はアパートを飛び出ていってしまった。その姿、はぐれメタルのごとし。
誠はもはや追いかける気力もなかった。
諦めて自分のメモに11万円を書き加える。これで貸しは総額98万円。大台は目の前である。