第一楽章~出会い~
こんにちは。芦田孝祐と申します。しがない趣味作家です。
自己紹介は嫌われると思うので短めに。
最近ミステリー系とかに挑戦していて、その反動で馬鹿な小説を書きたくなって書いたものです。構想は最後まであり、多分10万字以内には収まるんじゃないかなと思っています。ラブコメのつもりで書きましたが、圧倒的にコメディ要素の強さなので、その旨ご了承ください。
では、拙い作品ですがよろしくお願いいたします。
※未成年者は、競馬法の第28条により、「勝馬投票券」を購入し、または譲り受けることはできません。なお、この物語は競馬を知らなくても楽しめる、もっと言えば競馬はほとんど関係ありませんので、ご安心およびご了承ください。
『競馬は人生の縮図であり、これほど内容の詰まった小説はほかにない』と、かのアーネスト・ヘミングウェイは言ったとか言わないとか。
この日も競馬場は多くの人がごった返している。きっとそれぞれがそれぞれの人生を熱狂を持って楽しんでいるのだろう。特に、今スタートしたのは最終レースだ。今日の勝ち分を注ぎ込んだ者、今日の負け分を取り戻さんとする者、いずれにせよ、大勝負をかけている人は少なくない。
しかし、今皆さんの目の前に登場したパンツスーツにツインテールの美女は、そのいずれでもない。この時間帯の東京競馬場には非常に希少な、「退場者」ではなく「入場者」として二階スタンドを歩く。しかも、カッカッ、というその歩く調子は極めて精確で、まるで滑らかな機械仕掛けである。そしてその後方を、小柄な男が一人不安げについていっている。
女は足を止めた。目的の男を見つけたのである。
「債務を返済せずに競馬ですか。感心しませんね」
その女、雫石あやめは冷淡に言った。
周囲の男たちはあやめの方を振り向く。競馬場にそぐわない外見のあやめは、少しの言動で周囲の注目を集めるのだ。もしかすると、振り向いた男たちの中には、「債務」という言葉に後ろめたいものがある者もいるのかもしれない。
しかし、その言葉が向けられた張本人はあやめの方を見向きもしない。ターフ(競走馬が走る芝生の場所)に首ったけである。
「差せー!」あやめ達に背を向けたままその男は叫ぶ。
「あはは、こういう人なんです」仲町誠はあやめに笑いながら言った。
「笑い事ではありません」
あやめが語気を強くしてそう言うと、誠は自分に非はないのに思わずたじろいでしまった。「あう……そうですね」
二人のやり取りは周囲から大いに注目を集めているが、目的の男は一向に気にする様子はなく、さらにレースに熱中する。
「何やってんだ!おい!伸びろ!」
だが、その声援にも関わらず、レースは前にいた馬がそのままゴール板に雪崩れ込む形で決着した。どうやら男の予想は外れたらしい。
「はああ……」男は情けない声を出してその場で項垂れる。
「最終レースが終わりましたから、もう少ししたら聞く耳を持ってくれると思います」誠はあやめに耳打ちをした。
しかし、あやめは誠の言葉を無視して男に声をかける。男の都合に合わせて話しかけるのではなく、自分たちの都合と男の都合がたまたま一致しているのだ、と自分自身に言い聞かせながら。
「久々湊さん」
名前を呼ばれた張本人はピクリと反応を見せた。しかし、振り向く気配はない。どうやら今回は意図的に無視しているようである。
「ダメです。今は外した直後だから極めて機嫌が悪いです。もう少し待ちましょう!」
そう言ってあやめを止めようとした誠だが、頑固なあやめにはそれが逆に火に油を注ぐ形となった。もう一度声を大きくしつつ、久々湊の肩に手をかけて強引に振り向かせる。
「久々湊さん!」
そうして無理矢理振り向かせられたその顔は、誠の指摘通り般若の形相であった。気の弱いは誠はもう何度も見た顔であるというのに、思わず半歩仰け反ってしまう。
「何か、ご用ですか?お嬢さん」
明らかに怒気に満ちた丁寧な言葉遣いがかえって迫力を増す。
しかし、あやめは久々湊の迫力に一歩も引かずに言い返す。
「『お嬢さん』ではありません。私は雫石あやめと申します。きちんと名前で呼んでいただけますか?」
この瞬間、誠は久々湊の頭のあたりで「プツン」という音を聞いた。人が怒った時、本当に「プツン」という音が鳴るわけはない。もし本当に音がするほど盛大に頭の血管が切れたら、救急車を呼ぶ必要がある。しかし、仲町誠は確かにその音を聞いた。
「『ご用は何ですか』っつってんだろが!!質問に質問で返しちゃいけませんって、小学校で習わなかったか!?ああっ!?」
誠は思わず「ひぃっ」という声をあげて尻もちをつく。
しかしそれでも、あやめの表情は変わらない。
「仲町誠様の代理人として債権の回収にお伺いしました」
決闘に挑むフランスの銃士も、こうまで毅然とはしていなかったことであろう。
「ああ?債権の回収だあ?」
男の憤怒の表情に1%だけ疑問の表情が入る。
「はい。仲町様から一番最初の催促を受けた昨年5月から、14か月間に渡って債務の返済が滞っております。なので、元金と今日までの利息を合計して87万円の返済をお願いいたします」
そう言うと、久々湊の表情が幾分冷静になった。心当たりはあるらしい。しかし、数秒ほどの間を置いて再び眉をしかめる。
「なるほど。用件は分かった。だけど、あんたは一体何なの?代理人とか言うけど、誠は元気そうに後ろにいるじゃん。何のための代理人?」
あやめは内ポケットから名刺を取り出す。
「申し遅れました」
名刺には、「雫石法律事務所 弁護士 雫石あやめ」と書かれている。
「数えきれないほどの回数の催促にも関わらず一円も返済がなされていないということで、私を代理人として立てることを仲町様は選択致しました。もしこのまま返済の意思が認められなければ、訴訟を起こすことになります」
そこまで話すと、ようやく状況が飲み込めたらしい、久々湊は額に手を当てて上を向いた。
「かあーっ!誠!お前、弁護士なんかに頼んだの?そんなことしなくてもちゃんと金は返すってのに。分かんないかなあ、全くもう。弁護士のセンセに頼んだら、手数料だって馬鹿にならないだろうが!」
そう言ってから視線を誠に向けると、ひと睨みされた誠はびくりと体を震わせる。肉食動物に睨まれた小動物のごとく。
しかし、あやめはそんな二人にお構いなしに淡々と説明を続ける。
「先ほど申し上げましたよね。何度返済の催促をしても一円も返済がなされていない、と。世間ではそれは一般に『返済の意思が認められない』と解されます」
久々湊は再び顔を歪ませた。
「あのなあ、今は誠と話してるんだ。ちょっと黙っててくれねえかな」
「『代理人』ですので、私は仲町さんに代わってあなたと交渉する立場にあります」
ピシャリ。その冷徹な物言いに、久々湊もようやく一歩譲る。
「……まったく。そんなお堅いこっちゃせっかくの美人さんももったいねえぞ。まあいい。でも、金額ちょっと大きくねえか?」」
そう言うと、あやめは今度は鞄から書類を一枚取り出す。
「仲町さんのメモを元に計算されたものです。異論がある場合は仰ってください」
用紙には、借りた金額と日付、それに利息がきちんと書き込まれている。
「かあーっ、メモとってたとか律儀くんかよ!おい、誠ぉ!」
ここまでくると、さすがの久々湊の勢いも陰ってくる。どうやら誠に対して借金があることは認めている様子だ。
「でも、返済って言われてもさあ、俺、今全額すっちゃったばっかりなんだけど」急に塩らしくなった声で両手をパーにして肩から上にあげる。「素寒貧」のアピールである。「調べてみてくれよ。ポケットの財布には小銭しかないから。数百円くらいかな?それでいいんだったら返せるけど」
普段の久々湊に戻ったことを確認した誠は安堵の表情を見せる。しかし、あやめは先ほどまでと同様に冷徹に言葉をつづける。
「かしこまりました。そうなると、訴状を出して裁判所に『仮執行宣言付支払い督促』を出していただき、それから資産の差し押さえに入ります」
「差し押さえ?」久々湊は驚きの声をあげる。
「債権者である仲町さんの権利を守るためですから、仕方ありません。もし久々湊様に返済の意思が確認できれば、相談の上返済計画を作成し、それにそって返済をしていただくという方法もありますが……」
「それ!それにしよう!」
先ほどまでの強気な様子とはうって変わり、今では傍から見ても久々湊の立場が下であることが分かる。
「では、一旦私の事務所に来ていただきましょうか。ああ、その前に久々湊さんのお宅で現在の収入状況などが分かるものを確認するのが優先ですか」そう言うと、ようやくあやめはビジネス用のスマイルを浮かべた。「確か仲町さんと同じアパートでしたよね?お邪魔してもよろしいでしょうか?」
にっこり笑っているはずなのだが、そこには先ほどの久々湊とは違う意味での迫力がある。
「はい……」
その様子に、猛獣を飼いならした動物園の職員を仲町誠は思い浮かべた。
以上が、雫石あやめと久々湊照の出会いであった。