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第6章「過去」13


『俺だけがスラム生まれじゃないだろ?』

 脳に直接話し掛けてくるような感覚を、ヤートは感じた。それは紛れも無い彼の声で、その声音には微かに寂しさがこもっているような気がした。

 目の前がいきなり高級住宅街に変わった。灰色の石造りの外壁からは、大陸東部独特の建築技術が見てとれる。スコールの多い東部では、昔から石造りの建物が主流だ。

「ここは、東部なのか?」

 ヤートが呟くと、後ろから小さな足音が響いてきた。走るリズムで近付いてくる足音に振り返ると、自分が知っているよりは幾分若い彼が走ってくるのが見えた。

『俺の両親は、世間一般で言うところの貴族だった』

 彼はヤートをすり抜けると、幻想の扉を開けて、家の中に入った。豪華な邸宅が並ぶなか、彼が入った屋敷は一際存在感を放っていた。ヤートの真正面にある大きな門からは、ここの住人が正真正銘の貴族だということが伺える。そんじょそこらの金持ちではない。巨万の富を持つ家だ。

 ヤートが突っ立っていると、すぐに場面は屋敷の中に変化した。暖かい空気が流れるなか、豪華なディナーが始まっている。チキンにスープにサラダに……そのどれもが美味しそうで、見たこともないソースが掛かっていたりする。

『俺は金に困ったことがない。だが、貴族のしきたりや学校が大嫌いで、いつも地下室にこもっていた……勉強や人間関係が嫌な訳じゃない。昔は……自分が同性愛者であることを恥じていたんだ』

 彼の辛そうな声が流れるなか、場面が学校の様子に変わった。制服や周りの生徒の顔を見る限り、ハイスクールのようだった。授業が終わった放課後休み。白のシャツに紺のボトムという制服姿の彼は、真っ直ぐ自分の家を目指して一人で歩いていた。

 下を向きながら歩く彼の表情は暗く、自分の知っている彼の姿からは全く想像出来ない。

『とにかく家族以外の同性と一緒に居るのが怖かった……好きになりそうで』

 校庭を歩く彼の目が、すぐ横を通る男子学生達に向けられた。二人でじゃれあいながら歩く学生達を、彼は足を止めて見詰めている。

『学校では友達は女子の誰が好きだという話ばかり。性教育では、男は女に出し入れするものだと教わった。男を好きだと自覚していた俺は、異端だった』

「なーにやってんの?」

 いきなり彼に飛び付く者がいた。美しい金髪の男子学生が、彼にしがみつきながら笑って聞いてくる。

「なにもしてねぇって。これから帰るんだから」

「一緒に帰ろ」

 満面の笑みでそう提案してきた男子学生に、彼もつい目を泳がせながら頷いた。猟奇殺人犯ではあるが、彼は本質的には人が良いのだろう。断りきれない自分に溜め息をついている彼に、ヤートは小さく笑った。仲よさ気にじゃれ合う二人の姿は掻き消え、暗闇に彼の声がこだまする。

『こいつは近所の幼なじみ。成績もスポーツも平凡だったけど、とにかく笑顔に惹かれるものがあった。俺の……何人目かはわからないが片思いの相手で、初めての恋人になった相手だ』

 暗闇の一角が光りを帯び、そこに綺麗に整頓された部屋の様子が浮かび上がってきた。部屋に置いてある調度品達は、一目見て高級品であることがわかった。

 ギシギシと軋むベッドの上で、彼ら二人は全裸で絡まりあっていた。濃厚な口づけを交わしながら互いの興奮を高めていく。柔らかい白のシーツを、男子学生――身につけていた学生服は既にベッドの下に落ちてしまっているが――が強く強く握り締めた。興奮と羞恥に染まるその表情を、彼は愛おしそうに見詰めている。

『初めてのセックスは全然上手くいかなくて……あいつを痛がらせるばかりだった。でも、痛がりながらも嫌がらずに受け入れてくれるあいつが可愛くて、俺は何度も何度も求めた』

 他人の情事は見たくないと思ったヤートだったが、場面は飛ぶように進んだ為、すぐに夜の闇が部屋を支配した。行為も一段落したのか、彼が初めて部屋の暗さに気付いて明かりをつけた。

 シーツに包まって涙を流しながら眠る恋人。彼は優しい手つきで髪を撫でてやる。恋人の口から甘い声が響き、彼は本当に幸せそうに微笑んだ。

『本当に大好きで、愛していた。でも、そんな暖かい日常ってのは、簡単に……脆く壊れるんだ』

 耳をつんざくブレーキ音が響き、いきなり場面が切り替わる。


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