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第4章「砂漠の薔薇」13


 急所を狙うレイルの攻撃に、エイトは驚愕の表情をして――受け止めた。

 今度はレイルが驚愕する番だった。鋭利なカギ爪に搦め捕られた右手の剣は、がっちりと噛み合っていてレイルの力では抜けない。レイルの目の前にエイトの笑顔があった。その目は淀んではいるがちゃんとこちらを見据えている。

「情報通り、フェンリル最速のぶちギレる速さだったな」

「てめー……薬が切れたのは芝居かよ」

 レイルは舌打ち。

「そうだよ。あんたは下品な男が嫌いらしいからな。頭に血が上ったあんたの攻撃は簡単に見切れたぜ? オレは薬に頼らなくてもあんたと同等までスピードが出せるように訓練されてる」

 エイトはそう言ってレイルに密着してくる。左手の剣は自由だが、彼の攻撃範囲に入っているので動けない。純粋な殴り合いになれば、こちらがパワー負けする。

「……全部芝居かよ?」

「まさか! オレがあんたを飼い馴らしたいのは本当だぜ。現にアッチはさっきから抑えが効かなくて困ったもんだ」

 そう言って涎を垂らすエイトは、レイルを床に押し倒した。カギ爪を払い右手の剣が遠くに吹き飛ばされる。握っていたレイルの右手も衝撃で痛んだが、今はそんな小さなことを言っている場合ではない。

 この場で汚い男に犯されそうだ。

――どうする?

 完全なマウントを取ったエイトは、勝ち誇った表情でレイルの耳元に顔を埋める。髪の毛や耳に涎がついて不快だ。股間を蹴り上げたいが、上手くバランスを取って避けられる。

「止めといた方が良いぜ……」

 そう小さく呟いたレイルに、エイトは大笑いする。

「ちょっとはしおらしくなったじゃないか!! へへへ、そりゃそうだよな! 剣も魔法にも頼れずにただの女になっちまったんだもんな!!」

 レイルのシャツの胸元にカギ爪の先を引っ掻けてニヤニヤ笑うエイトに、レイルは上目遣いに言った。

「てめーみたいな馬鹿な男ばかりだから、私はここまで生きてこれたんだ。私のセックスは痺れるんだぜ?」

 レイルはなまめかしい手つきでエイトの腕に触れた。

――どうやって殺そう?

 その痺れるような快感に、エイトは戸惑った顔をする。

「な、何言ってやがる! 魔法を唱える暇なんてやってな……っ!!」

 突然襲って来た雷の衝撃に、エイトはそこまで言うのがやっとだった。空気が割れるような絶叫が響く。

 半分吹き飛ぶようにして距離を開けたエイトは、荒い息遣いのままレイルを睨みつけた。淀んだ眼球は血走っており、下手なモンスターよりもよっぽど獣らしい。

「私のこと研究してんだろ? 体内発電してるのは気付かなかったみたいだな。触れた人間の身体に電気を通すなんて簡単。どうだった? 気持ち良かっただろ?」

「このクソアマぁ!!」

「止めとけよ。神経が中身から焼け焦げてんだ。動けねーよ」

「んなこと、関係ねぇ!!!」

 未だ稲光が走る身体で、エイトは突進してきた。その有り得ないタフさにレイルは驚いたが、冷静に軌道を見切る。

 直撃は避けて左手の剣で応戦するが、エイトは先程のダメージなど無かったかのように打撃を放ってくる。片手だけでは防ぎきれないレイルは舌打ち。その様子にエイトはニヤつき、渾身の力で爪を振るった。

 しかしその攻撃は空を切る。レイルは攻撃の直前に高く宙に跳び上がっていた。そのまま落下の勢いに乗り、エイトの胸に深々と剣を突き立てる。エイトの口からどす黒い血が噴き出す。

「……ぅ、が」

「まだ生きてんのかよ。お薬様様だな」

 剣を引き抜くレイルの足元にエイトは崩れるようにして倒れた。焦点の合わない淀んだ目で、レイルを見上げてくる。

「あんたの作戦は読めてたよ。私が苛立つ行動を続けてその隙を突く。リーダーによく怒られるんだ。『お前は沸点が低過ぎる』って」

 レイルの言葉にエイトは血を吐いて答えた。今のは小さく笑ったのだろう。レイルも経験があるのでわかる。

「あんた、やり方は上手かった。惜しかったのは右手の剣を弾いたことだ。左だったら、まだ勝機はあったぜ?」

 レイルはそう言って袖を捲り左腕の地肌を見せる。エイトの目が驚きに見開かれた。その反応で充分満足したレイルは、彼にトドメを刺そうと剣を振り上げ――猛烈な殺気に飛び退いた。

 一瞬前までレイルがいた場所に爪による打撃が打ち込まれ、豪奢な絨毯が下の床ごと弾け飛ぶ。飛び散る赤い絨毯の残骸が、あと一歩で自分の血肉になるところだった。

 血まみれのエイトが片膝をついている。攻撃を終えた体勢のまま、ひゅーひゅーと空気が抜けるような呼吸をしている。内蔵から表皮にかけて走り抜けた雷は、彼の組織を確実に死滅寸前まで追い込んでいた。しかし、薬によりあらゆる運動神経が鋭敏化された肉体は、逆に痛みによる感覚には鈍感になっている。

 彼は自分が瀕死の重傷を負っていることに気付いていない。

「お、オレは……フェンリ、ルに……代わ、る人材っ」

 エイトの裂けた喉から絞り出すような声が漏れる。

――そうか、お前は狂犬になりたいのか。

 レイルは静かに剣を構える。哀れな目の前の狂人に、本当の狂犬の姿を見せてやる。

「うおぉぉぉ!!」

 エイトは雄叫びを上げて廊下の奥へ駆け出した。思わず身構えたレイルの目に、走り去るエイトの背中が目に入った。首筋から覗いたコードが右耳まで繋がっている。それが無線機だと気付いた瞬間、レイルは飛ばされた剣を拾い上げ、全速力でエイトを追いかけた。

 先程の会話はフェンリルと一部の人間しか知らない機密事項だった。瀕死の相手に油断していた自分が全て悪いのだが、あの無線がどこまで広げているかを確認し後始末をする必要があった。

 雄叫びを上げながら奥へと逃走するエイト。レイルと同じスピードを出せるだけあり、距離が縮まらない。

 遂にエイトは長い廊下の終着点に差し掛かり、カギ爪を装着したままの手で器用に扉を開けて出て行った。レイルもすぐに開けっ放しの扉に飛び込む。

 中は薄暗い空間だった。エントランスとほぼ同じ造りだが、照明器具に明かりが点っていない為、窓から入る月明かりだけでぼんやりと白く照らされている。人の気配はない。

――どこに隠れた?

 苛立った舌打ちをしながらレイルは周りを見渡す。真っ正面――レイルが入って来たのが右の扉なので、左の扉になる――の扉が勢い良く開き、黒い人影が飛び込んで来た。

 レイルとほとんど同じ、無駄の無い動きで人影はレイルに密着。そのままレイルの眉間に銃口を押し当てた。しかし影が発砲することはなかった。レイルの剣がその人物の首筋に当てられていたからだ。

 背筋に伝う冷や汗を感じながら、レイルはクリスの言葉を思い出していた。

――このキレやすい性格はどうにかしないとな。


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