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第4章「砂漠の薔薇」7


 走り出そうとしていた少年は、びくりと大きく肩を震わせ、こちらをぎこちなく振り返った。その目は涙で大きく潤み、視線もしっかりとレイルを――血が滴った剣を見ていた。

 腰を抜かしてしまった少年の姿を見届けると、レイルは数分で全員を抹殺した。二十個の血だまりを作成し、レイルはまだ座り込んでいた少年の首に剣先を突き付ける。

 少年の身体が大きく震えだし、抱えていた骸が布からこぼれ落ちた。骸には赤黒いヘドロが付着しており、ところどころ腐敗が始まっている。

 レイルは布の中に金色に光るネックレスを見付けた。レイルが目を細めると、少年は布でそれを慌てて隠す。

「手癖の悪いガキだな。目が見えねーってのも嘘だろ?」

 少年がレイルを睨みつけてきた。どうやらごまかすのは諦めたらしい。

「……そう言ったら、みんながご飯くれたから」

「ご飯もらって守ってもらって……倒してもらったチンピラからはネックレスを奪うのか」

「……あいつら死んじゃったもん!! 死んだら何をしても良いんだもん!!」

「てめーにその権利はねーよ!!」

 レイルは少年の身体を蹴り飛ばした。軽い少年の身体は簡単に宙を舞い、痛々しい音を立てて地面に落ちる。鼻血を流しながら起き上がった少年は、それでも強い瞳でこちらを睨みつけている。

「ボクは弟を守ってるんだもん!! それくらいしてもらって当然だもん!!」

「その死体をか?」

「ボクの弟だもん!!」

「嘘ついてんじゃねえ!! そいつはてめーの為に死んでねーだろ!?」

 レイルの言葉に、少年が狼狽えた。口をパクパクさせながら反論する言葉を探している。

「その赤黒いヘドロ、話によれば人体を数日で溶かすみたいじゃねーか。そんなの小さな頭蓋骨程度ならすぐのはずだ。なら残る答えは……死体を取り替えてる、しか考えられねーよ」

 少年を睨んだまま話すレイルに、彼は暫く黙った後、小さな声で答えた。

「……弟が死んだ時、すぐに持ってかれそうになったの。別れたくなくて頭だけ貰ったの……でも、すぐこの黒いののせいで無くなって……」

「何人目なんだ?」

「十人、くらい。弟じゃないのは悲しかったけど、これを抱いていたらみんなが優しくしてくれたから」

 ふざけんな、とレイルは呟いた。

 少年は布からネックレスを取り出すと、ボロボロのズボンのポケットにねじ込む。そこにはルークから貰った札も入っていた。骸と布をその場に残して、立ち上がる。

「おい、持ってかねーのか?」

「うん……だって、みんなもう優しくしてくれないんだもん。もう君にあげる食べ物はないよって。優しくしてくれないのに、そんなの持ってる必要ないよ」

 そう言い残して入口に向かって歩き出した少年の身体を、レイルの剣が貫いた。少年の口や剣が貫通している左胸から、大量の血が吹き出す。

「それはお前が甘えるだけで、優しさを見せなかったからだろ? 守るべき存在を簡単に捨てちまうような奴を、本当に守ってくれる人間がいると思うのか?」

 レイルは剣を閃かせ、少年の身体を塵と化した。小さな赤い血だまりを見下ろしレイルは溜め息をつくと、足早に工場跡を後にする。

 外は夕暮れの光に包まれている。

 市場に向かって走っていると、激しい吐き気を覚えて立ち止まった。返り血すら浴びていないのに、濃厚な血の臭いが頭の中に延々と再生される。これは本物の感覚ではない。

 遠い昔の――初めて憎い相手を楽しんで殺した時の記憶だ。彼らは五人の男で、レイルを以前ボロボロにした、人間の皮を被った悪魔達。全員身体を切り刻まれ、原型を留めている者はいない。こんなものを思い出すなんてどうかしている、とレイルは自嘲する。

 先程の話を聞いた時からだ。あのクズ共の話を聞いてから、レイルの心には何かが引っ掛かるような違和感があった。だが、いくら考えても理由がわからない。夜が近い空を見上げ、レイルは気合いを入れ直した。考えてもわからないことは後回しだ。

 夜にはきっと事が起こる。何があってもヤートを守る、とレイルは心の中で強く誓う。自分の手は汚さずに、飼い主面している奴らの思い通りにはさせない。

 レイルは再び走り出す。迷いを振り払うように、全速力で走っていく。









 収穫祭は夜には終了する。砂漠の夜は冷えるためだ。撤収準備をする屋台から少し離れた路地裏で、五人は全員無事に合流した。全員の顔を確認していたクリスの目が、レイルで止まる。

「……一時間程前から軍の動きが活発になってる。なんでも、スラムで大量の血痕を残してその主達が消えたらしい」

「……ふーん、それで?」

 あくまでしらを切るレイルに、クリスは溜め息をつきながら言う。

「こんな芸当、ブラッドミキサーと呼ばれたお前しか出来ない。目立つ行動は慎めと言ったな?」

「これはルークの馬鹿の尻拭いだって」

 レイルがすかさずルークに振った。こんなタイミングで、勘弁して欲しい。

「え、俺!? ……まぁ、あの男の子のこと任せたけど、助けるために殺しまでは……」

 ルークはフォローに入ろうとして、言葉に詰まった。あたふたと泳がせていた目をレイルに戻す。

「……あの男の子も、殺したのか?」

「……」

 レイルはルークに視線は合わせたが、何も言わなかった。それが全ての答えだと悟り、ルークは怒りが込み上げてくる。

「なんでだよ!?」

「ルーク!! 任務外のことにわざわざ深入りするんじゃねーよ」

 それまでつまらなそうにタバコを吸っていたロックが仲裁に入ってきた。

「僕は詳しいことは知らないけど、レイルがこの状況で意味もなく他人を殺すような女じゃないことはわかってる」

「……俺もわかってるよ」

 ロックの勝ち誇ったような言葉には、ルークも同意するしかない。確実に彼が正しい。

「なら、それだけの理由があった。その理由は?」

「それは後回しだ。動くぞ」

 ロックがレイルに聞き出そうとした瞬間、クリスが皆を促した。既に足早に歩き始めている。彼の足は街の外れ、特務部隊の南部支部がある方向を向いている。

「なんだよリーダー。興味ないのかよ?」

 クリスの後を追いながら、ロックが口を尖らせながら聞いている。クリスの横に並んだ彼の声のトーンは下がっている。どうやら彼もリーダーも、気付いているようだ。

「俺もレイルが馬鹿じゃないことはわかっている。それに、理由を聞いたところで事実は何も変わらないからな」

「相変わらずクールだな。その顔、いつも汚したくてたまんねーよ」

「……それも後回しだ」

「マジで?」

 クリスがこちらを振り返り小さく頷いた。ルークも頷き返す。クリスの横でロックは、レイルに視線を送っている。

「生き残りさえすれば、いくらでも時間はあるんだからな」

 クリスはそう言って道端に停めてあった車を刀で斬り裂いた。油断していたルークには、抜刀のタイミングも見えなかった。

 さすがはリーダー。見事な抜き打ちだ。

……まさかこのタイミングで二手に別れるとは思わなかったが。

 斬り裂かれた車が、数秒遅れて爆発する。狭い路地裏だったので、爆発の衝撃は道全体に渡った。オレンジ色の炎が巻き上がり、濃い黒の煙が爆風と共に全員の視界を遮る。

 足音が二つ通り抜けたのを確認し、クリス、ロック、ルークの三人は武器を構えて煙が晴れるのを待つ。


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