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第2章「脱出、船」6


 隣からの小さな話し声によってレイルは瞼を開いた。心地好いまどろみの中、薄暗い室内の無機質な天井を見上げる。

 隣からドアを蹴り開けるような音が響き、レイルは完全に目を覚ます。それと同時に先程の物音が部屋の扉を乱暴に開いた音だということと、小さな話し声が隣の部屋の大声だったということに気が付いた。

 怒鳴り声に近かったが、何だったのだろうか?

 レイルが不審に思い上体を起こすのと扉が開けられるのは同時だった。

「……起きてたのか。リーダーが安静にしとけって」

「そのつもりだけど、あんたが来たら安静に出来るの?」

 笑顔で入ってくるロックに、レイルも微笑みながら答える。まるで恋人同士のような自然な動作で、ロックはレイルの横に座る。彼の体重を支えるために、簡易ベッドが必要以上に悲鳴を上げた。

 隣の暖かい気配に誘われるように、レイルはロックにもたれ掛かった。そのまま彼の開けた血のように赤いシャツの上から、自らの頬を擦りつけるようにして甘える。彼はジャケットを脱いでおり、赤いシャツに黒のスラックスという格好だ。

――いつもながら、良く似合う。

「約束の、激しいの出来ないね」

「……まだ痛む? 熱い?」

「ちょっと熱い、かな……」

 そう言いながらレイルはロックにキスを仕掛ける。少し首は痛かったが、ロックはいつものように情熱的に受け止めてくれる。

 そのままロックに押し倒される形になったところで、レイルは唇に違和感を感じてロックの頭を手で遠ざけた。レイルの首筋にキスを落としていたロックは、不愉快そうに軽くレイルを睨む。彼の頭から手を離しながら、レイルは呟いた。

「男の匂いがする……」

「……それってどういう意味?」

「誰かとしちゃった?」

「……しちゃいねーよ」

 心当たりがあるのか、ロックは苦笑い。

「もしかして、隊長さん?」

「味見しようとしたら拒否られちった」

「私が狙ってんだから、最初は私だろ」

 ニヤニヤしながらそう言うレイルに、ロックは真面目な顔になった。

「……お前、なんでそんなにあの隊長のこと気に入ってんの? 正直、気持ちわりーんだけど」

 最後の方には冷たい目で見られ、今度はレイルが苦笑いをする番だった。

「……あんたを初めて見た時を思い出した」

「……かなり本気じゃねーか」

 そう言って頭を抱えるロック。一心不乱に求め合った夜を思い出す。

「公然の浮気だなんて……」

 ああ、と続けて大袈裟に嘆くロックに、レイルは少し困った顔を作りながらフォローする。

「あの隊長さん、多分本部に連れてったら死ぬよ。そういう頭の造りだから」

「頭の造りって……まさか! あの隊長さんはゼウス計画にっ!?」

 諦めたようなレイルの言葉に、ロックは驚いて動きまで止まる。金色の瞳が探るようにこちらを見ている。

「そ! だから刺激的なアバンチュールは今夜だけ。で、私の身体はセックスには耐えられない」

 わざと軽い調子でそう答え、自分のシャツの襟を直す。治療のためかジャケットは脱がされている。肌の上から直接着ているシャツの下に、包帯が血で滲む独特の不快感を感じた。

「ジャケットどこ?」

「テーブルにかけてある」

「電気点けてくれない?」

「もう出ていくから、その時に」

「あれから、どうなった?」

「おせーよ」

 二人共、顔を合わせることもない淡々としたやり取りはすぐに終わり、ロックは溜め息をついてからこれまでのことを教えてくれた。

「じゃあ、私はもう一眠りするかなぁ」

 目的地まではまだ一日あるので、傷を癒すことに専念することにした。

「あんま無理すんなよ。じゃないと僕が我慢した意味がない」

「お心遣い感謝いたしまーす」

「早く寝とけ」

 そう笑ってロックは、レイルの頭を軽く撫でてから扉に向かう。細いくせに男の色気が滲み出ている彼の手に、一瞬だけ性欲を刺激されながら、レイルはゆっくりと息を吐いた。

「後で……ゼウス計画について、リーダーが隊長さんに話を聞きに行く」

 扉に手を掛けたロックが、振り返らずに言った。レイルは、何も言わずにベッドに横になる。

「会いには……行かない方が良い」

 間接的な制止が、直接的な制止に変わった。

「……わかってる」

 レイルは小さく呟いた。リーダーとは、そういう人間で、“普通”の人間の精神は弱い。

「わかってるよ」

 扉が閉まると同時に、レイルはもう一度呟いた。彼は――ヤートは、フェンリルとは違うのだ。


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