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第8章「歪な群れ」11


「うっは、えっろ」

 ピアスから響く女達の声に、ロックは思わず笑ってしまった。

 下品な声が出ていることは自覚している。もちろんこの声が遠く離れた彼女の耳に入っていることもだ。

「ルツィアちゃん乱れるなー。あんなにレイルのこと嫌ってたのに」

 爽やかな笑顔で微笑んでいるルークも、さすがにその口元が少し歪んでいる。女には興味がないと言いながらも、この甘き嬌声が男の本能を刺激するのは道理である。そこにあるのは淫らな誘惑。女だとか、男だとかは、この声の主には関係がない。

「あいつのテクは超一流だからな。タチでもネコでもイケるなんて天才的ー」

「それはお前もだろうが」

「僕は好みの男にはおねだりしちゃうタイプだからー。あいつは女いじめる側」

 そう言いながらルークの上に跨ると、彼もまんざらでもない笑みに変わる。

 今は拠点のリビングのソファの上で、抱き合うように座っている。乱された漆黒は、彼との間には必要ない。愛しい彼の膝の上なら、ロックはいつまででも甘えることが出来る。もちろん、他に人がいない時だけだが。

「ルツィアちゃん、こんな甘えたな声出せるんだ。そういや、どっかの彼氏も皆の前だと甘えてくれないなー?」

「おいおい、もしかしてメスガキの声で欲情しちゃった? 僕の声だけ、聞いてて?」

「……レイル、聞いてるんじゃねえの?」

「こっちの声漏れたら水差しそうだから切ってる」

「……じゃあ、お前も負けないくらい啼かないと」

 ゾクリとする程の欲望にまみれた笑みを向けられて、ロックはそれだけで興奮が高まる。

 自他共に認めるサディストのロックだが、クリスだけでなくルークにもまた、被虐的な快感を感じてしまっていた。あくまで『与える』ことに歓びを感じる側であるロックだ。こんな気持ちになれる相手は、極一握りだけ。

 ルークの手がロックの腰を力強く掴む。ココは、気に入った相手<男>にしか許さない、愛を受ける場所だ。

「ルーク……もっと……っ」

「彼女の喘ぎ声聞きながら『もっと』って腰振るって、お前相当狂ってるよなー」

「その狂った奴相手に興奮してるお前も、相当狂ってるよ」






 拠点の扉を開けたところで、目の前のサクの足がぴたりと止まった。音もなく開いた扉がゆっくりと揺れる。

「どうし――」

 どうしたとヤートが聞こうとした瞬間、玄関からリビングに続く廊下の向こうからぎしりと床の鳴る音が聞こえた。

 クリスとは朝の訓練の後別れたので、今この拠点にいるのはルークとロックだけだろう。あの二人の関係なんて、いくら恋愛関係に疎いヤートにだってわかる。

「……上に行くか」

「……はい」

 玄関にはリビングに続く廊下の他に、二階への階段もある。二階には三部屋あり、その全てを各自の寝室として使っていた。クリスとルークとサク、ヤートとレイル、そしてロックとルツィアの部屋割りだ。

――盛るなら部屋でやってくれ……いや、それだとサクが困るか……

 今は任務のためにいない彼女達のことを考えて、ヤートは溜め息をつきながら階段を上がる。

 愛おしい彼女と同じく、ロックもまた下半身がだらしない人間だ。それが仕事上仕方がないという言い訳を通すには無理がある程度なのは、皆が理解しているだろう。

 しばらく寝食を共にして思うのは、おそらくクリス以外は“そう”なのだろうということだ。性的趣向が様々なフェンリルの面々だが、そこに新たに加入した自分達三人は、彼等の言うところの『ノーマル』というやつなのだろう。

 フェンリルに攫われてからの数日間で、実に何度もそういった『誘い文句』を受けたヤートだが、心から守りたいと思えた存在は女性のレイル、ただ一人だけだ。もちろん彼等の性的趣向に偏見はないし、出会ったタイミングが違ったら、自分もどうなっていたかはわからない気もする。

 それ程までに彼等は、魅力的で大切なのだ。

 そう思っているのはヤートだけではない。ロックにぞっこんのルツィアはともかく、目の前で階段を上がっているサクもまた、彼等の『悪戯』には参っているようだった。

「やっぱ、ルーク先輩とロック先輩って、そういう関係なんですよね?」

 なんとなく遠慮したのか、サクは自室として使っている部屋ではなく、ヤートの部屋についてきた。今は部屋を散らかす要因であるレイルが不在なので、この部屋は片付いている。誰かさんの部屋みたいにダブルベッドを置いているわけでもないので、サクには自分のベッドの上を勧めた。この狭い部屋にはベッド以外に大きな家具はないし、そもそも必要ない。

 部屋の扉を閉めてからそう零したサクの表情は、なんとも言い難いものになっている。

「悪く言えば『遊び仲間』、極めて好意的な言葉で言えば、『仲間内の関係性の向上のために』というやつだな」

「……俺、本部で先輩達の噂を散々聞いてきたんですけど、その『極めて高い連携』のために……ってだけでは、ないですよね?」

「あの四人の関係性は、“普通”からすれば異常だが、その絆があるからこそ、“真っ直ぐ歪む”ことが出来るんだろうな」

「……ヤートさんが言いたいこと、俺も少しはわかる気がします。俺もルツィアも特務部隊に入ることは、身内にも話すことを禁じられていて、最初は何故かわからなかったんですけど、きっと……そうやって『狂ってしまう職場』だから、なんですね」

「君の名前の……『サク』も、コードネームなのか?」

「ええ。ヤートさんはその、そのままの名前なんですよね?」

「ああ。俺はもう、家族どころか国がなくなっているからな。民間人はまだ残っているだろうが、軍組織が壊滅したために国としての機能は失われたと聞いた」

「……すみません、俺……」

「気にするな。俺はあの国に捨て石にされた人間だ。守るべき民間人が生き残っていたのならそれで良い」

 今では遠い昔のようにすら思えるが、ほんの数週間前まではあの生活こそが全てで、それこそずっとずっと続くものだと思っていた。

 外からの目を気にして設置したブラインドに目をやるヤートに、サクもまた目を伏せている。

「やっぱり俺……気の利かない奴ですよね。毎回ルツィアにも怒られるし……」

「そんなことはないさ。サクの穏やかな心根は、俺は好きだよ」

 なんのこともない言葉をヤートは吐いたつもりだったが、サクの顔がみるみる赤くなるのを認めて、慌てて訂正を入れる羽目になった。

「お、俺の好きというのは仲間内という意味であって……っ」

「いや、俺こそすみません! 男同士ってのが、その……初めて実際に見たんで……つい、考えちゃって……」

「……どんな形であれ、あの二人はお互いのことを大事に想っているのは間違いない。その点については悪く思わないようにな」

「ええ。最初見た時はびっくりしましたけど、なんとか慣れそうです」

「……見たのか……」

 曖昧な笑みで頷いたまだ少年の名残を残す彼の表情に、ヤートは思わずその短い銀髪を撫でていた。“先輩”達よりは幾分若いその顔には、まだ『人殺し』の狂気は滲んでいない。

「俺のコードネームである『サク』の名は、古の神話時代の『愚かなる影』の名です。俺の愛槍……レプリカなんですけど、その槍の本物が振るわれていた頃の人名らしいです。その『影』は強く、忠義に生き、そして人を愛せる人間だったと。愛するが故に、愚か者だったと聞きました。なんとなく、俺にはぴったりだと思いませんか?」

「愛するが故に、愚か者……」

 すとんと心に落ちてくるようなその言葉に、ヤートはサクに目を向ける。彼の言葉はまるで、己への呪縛のように感じて……

「俺、歴史とか神話は興味ないですけど、それって愛に生きたってことですよね? カッコイイですよね!?」

 彼がその言葉に見出したものは、『自虐』でも『嘲笑』でもなかった。若者らしい笑顔には、その眩しい程の銀髪がよく似合う。なんの『悪意』もない、明るい笑みに引っ張られる。

「ああ。そうだな。そう考えるのは、俺も賛成だ」

 己への呪縛を希望に変えて、ヤートも彼と共に笑いたいと思える、そんな笑顔だった。


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