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第8章「歪な群れ」5


 まだ軽い――と自分的には思っていたが、他の新人二人からしたら厳しいらしい――訓練を終えたヤートは、その二人を連れて拠点に戻って来ていた。目立たないように廃棄された家屋へ出掛けていたので、少し遅い朝食には間に合いそうにない。

 リーダーであるクリスは、訓練の時は共にいるが、それが終わってからはどこかに消えてしまう。まるで最初から居なかったかのように消える彼には、狂犬というより暗殺者のそれに近い空気があった。

 そして今日もいつも通りに新人――本部の中では自分もこの括りに入っているらしい。おそらくフェンリルの新人という意味だろう――同士で軽く談笑しながら戻ってきて、いきなり角――ここを曲がれば拠点はすぐだ――から飛び出してきたレイルに正面衝突しそうになった。

 激しい息遣いで飛び出してきた美女は、泣き出しそうな、それでいて他人を噛み殺してしまいそうな、不器用で悲しみに満ちた表情をしていた。その美しいエメラルドグリーンの瞳から流れる涙を想像すると、まるで一種の芸術作品に目を奪われるような感覚を覚える。

 魅惑的な、人殺しの目がこちらを貫くように見やる。レイルの機嫌の悪さは短い付き合いの新人二人にもわかるようで、二人共口を閉ざした。

「よぅ。もう終わりか?」

 目線を外しながら話す彼女は、気まずそうにそれでも拠点としている家屋から離れるように歩く足を止めようとはしない。

「ああ……」

 ヤートが返事に困っていると、サクが慌てたように声を上げた。

「あ、えっと……もう朝食は無くなってますか!?」

「早く行かねーとルークの馬鹿が食い尽くすぜ」

「さ、先に行って止めてきますっ!!」

 いたたまれなくなったサクの後ろ姿を無表情に見送ったレイルに、ヤートは溜め息をつきたくなった。

 少しだけ空を仰ぎ見ると、吸い込まれそうな青空が広がっているのに、このフェンリルという運命共同体の上にはいつも暗雲が漂っている。雨雲が発生することに理由があるように、この不協和音にも原因がある。

「レイル……」

 ヤートはまた歩き出そうとしたレイルを呼び止めた。

「なんだよ? ヤートさんまで私を説教するのか?」

 猫を被ることを止めた彼女の言葉は鋭く冷たい。普段はそんな中にも愛情と優しさが込められているのだが、怒りに支配された彼女はイラついた口調を崩さない。

「説教はしない」

 少し目を細めたヤートに、レイルの表情が急変する。

 イヤらしく歪められた口元の上で、蠱惑的な瞳が大きく開かれた。エメラルドグリーンの中心は、ヤートではなくルツィアを捕らえている。

「説教じゃなけりゃ調教か? ヤートさんもロックみたいにヤらしいお仕置きしてくれるのかよ?」

 ニヤリと笑いながら言うレイルに、ルツィアが弓を突き付けた。矢は既に装填されており、後は引き絞った弦に任せるだけの状態だった。秒速の構えに訓練の成果がよく出ている。ルツィアの腕は怒りに震えており、いつレイルを撃ち抜いてもおかしくない状況だ。

「俺に怒られるのが本望じゃないだろ?」

 ヤートは溜め息を一つついてからレイルに歩み寄る。彼女は矢を突き付けられたまま、特に構えることはしていない。途中でルツィアを弓ごと押し退けて、じっとレイルと見詰め合った。

 無防備に獲物すら持たずに立っているだけでも、飢えた狂犬の空気を漂わせている。だが、こうして並ぶと身長差の大きさに驚き、彼女の小さな身体が愛おしくて仕方がなくなる。

 ヤートの表情が綻ぶのを確認したのか、レイルの表情にも穏やかさが戻っていく。

「そんなカオ、反則だぜ……」

 そんな小さな呟きは、背後からの慌ただしい足音に掻き消された。











 元よりレイルは、ルツィアという新人のことが全く好きになれなかった。

 何回訓練を重ねてもなんとなく頼りないサクに腹が立つのは同感だが、それでも彼を仲間とも思っていないような彼女の言動には、いちいち食ってかかりたくなる。

 今もルツィアは先輩という存在である自分に対して武器を向けて来た。確かに挑発した自分に非がないといえば嘘になるが、任務中に私情を挟む彼女の行動が作戦に支障をきたさないという保障はない。

 幾分落ち着いた頭でルツィアに向き直ろうとして、レイルはヤートの後ろから走り寄る足音に気付いた。慌てたような、驚いたような、とにかく顔中に「大ニュースだ」と言いたげな表情を貼り付けたサクが角から顔を出す。

「んだよサク? お前の説教はいらねぇぞ?」

 出鼻を挫かれた形になり、レイルはなんとなくぶっきらぼうな言葉を発してしまった。心の中で反省。

 だがサクはそんな言葉には動じず――どうやら耳に入っていないようだ。彼は小さく深呼吸してから、眩しいくらいの笑顔で言った。

「ヤートさんが本部の部隊長になられたって本当ですかっ!?」

 その言葉にレイル以外、つまりヤート本人も驚いた表情でこちらを見た。目を丸くしたその顔まで愛おしい。レイルはその反応に満足して、ニヤついた笑みを浮かべながら肯定する。

「本日付での出世だな。優秀な守備隊長様には妥当だ」

「お言葉ですが、ロックから聞いた限りではヤートさんの戦闘能力はフェンリルより劣ります。訓練の様子からもそれは明白です。それなのに何故、階級は実質的には特務部隊所属のフェンリルよりも上になるのでしょうか?」

 真顔で反論してきたルツィアに、ヤートは苦い顔をした。レイルはまた沸騰しそうになる頭を静めながら答える。本当に腹が立つガキだ。本人達が気にしていないことを、どうして第三者は掻き回すのだろうか。

「他国の兵士ではあったが、本部はヤートさんの忠誠心を信用した。確かに戦闘能力では私らが上だが、ヤートさんは隊長として部下を纏める力がある。この力はただ武器を振り回す力よりも重要だ。良い指揮官がいるかどうかで、戦場での戦死者の数は激変するからな」

 レイルがそう説明すると、ルツィアは黙った。彼女も彼女なりにヤートの力は認めているようで、先程の発言は自分への反発が大半を占めているのだろう、とレイルは推測した。

「俺には荷が重い肩書きだ」

「そんなことないですよ! おめでとうございます!」

 首を横に振るヤートに、サクは尊敬の眼差しではしゃいでいる。

「正式な書類は暫く来ないだろうがな。ヤートさん、おめでとう」

 レイルも笑顔で喜びを口にしながら、目だけはルツィアから離さなかった。彼女は憮然とした表情でヤートとレイルの間の空間を睨みつけている。

――早めに手を打った方が良さそうだな。

 レイルはそのままの笑顔で談笑を続けた。


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