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第7章「蒼海の王」8


 空軍基地内の会議室にローズは召集された。

 魔法陣から足を踏み出すと、そこには険しい顔をしたリチャードとこの国の国王――ストラール・ロドン・ウースタイン四世の姿があった。

 広い空間に二人以外の人影はなく、いかにこの国の政治が陸軍を中心に取り仕切られていたかがわかる。今目の前にいる国王も、陸軍から言わせればお飾りもいいところだったはずだ。

 どうやら今回の騒動は空軍と魔術師達で治めることになりそうだ。ローズはちらりと国王――ストラールを見やる。

 色素が抜けたような淡い茶色の髪は妙な癖がかかった短髪で、同じくこの国には珍しい程の色素の感じられない白い肌は、まるで女性のような色香を纏う。その端正な顔立ちのためか、国民からの支持も上々の、若い世代の希望だと持て囃されている。

 そう。彼はあまりに若い国王だった。数年前、先代の王が急死した為、ストラールは二十代という若さで即位したことで有名なのだ。誰もが憐れむ生い立ちこそ、人を惹きつける武器に成り得る。

 王族らしく気品に満ちた落ち着いた物腰は、ローズから見ればとてもお飾りとは思えない凄みがあった。

――本当に、お飾り……なのか?

 ローズにはとてもそうは思えなかった。だが、あまりこの国“自体”の政策には首を突っ込みたくないという心情から関わらないようにしていたローズには、この国王の瞳の奥で燃え上がる“何か”の正体が掴めずにいた。正体のわからないものを恐れ、避けようとするのは、人間の本質である。

 会議室の一番奥の椅子に腰掛けただけの、ただそれだけのことなのに何故かそこを玉座と錯覚させる程には、ストラールから放たれる圧力は確たるものだった。

 おそらく今ここにいる理由は、使い物にならない大臣達の横やりを躱すためだろう。お忍び、と言うにはあまりにも用件が物騒だが。

 まるで女性のように長いまつげがけだるげに揺れる。静かに細められたそのグレーがかった瞳が、ローズを捉える。あくまで感情を感じさせないその瞳に、ローズは知らず知らずのうちに息を呑む。

 そんなローズの反応を見ても、彼の表情は全く変わることはない。感情の抜け去った人形のような、造り物の表情だ。

 国王の中では敵――本来は敵ではないのだが――の暗殺者が紛れ込んだところで、自分達に直接害がないのだから、あまり関心もないかもしれない。

 だが、事は国の存亡に関わることだ。うやむやにすれば危険な国として、この国は他国から完全に孤立する。

 貿易が国の流通の大半を占めるこの国にとっては、それは生命線を断たれるのと同じだ。今までは陸軍のガリアノが良くも悪くもすんなり治めていたが、今回の議題は彼の尻拭いなのだからたまったものではない。

 いかにして責任の矛先を自国から変えるかが重要だ。

「遅くなり申し訳ございません陛下」

「かまわない。召喚の後に呼びだてをして、むしろこちらこそ申し訳ないな」

 頭を下げるローズに、逆にストラールが謝罪する。一国の王としてはフランクな物言いに、だが全く変わらない表情とのギャップが、ますます彼の造り物感を増幅させる。ストラールはあくまで“玉座”に座ったまま、テーブルに肘をついている。本物の玉座ではない簡素な椅子なので、肘置きがないからだろう。

「ローズ君も来てくれたんだ。リチャード君、今回の騒動の説明をしてくれないか?」

 王の視線がローズから外れる。たったそれだけのことなのに、ローズは今の今まで自分が上手く呼吸出来ていないことに唐突に気付いた。思わず吐いた息の大きさに顔に赤みを帯びてしまいそうで、ローズも慌てて国王から視線を逸らす。

「どうやら今回の一件は陸軍のみならず、あの特務部隊フェンリルに責任があるようです。陸軍は我々には極秘で基地の地下に人体を腐らせるバイオウェポンを培養していたようで、その液体は人体をも溶かしきるヘドロ状の物質で、そこに放り投げられた人間達の負の感情で満ちていました。その為、聖なるモノにあてられて生者に襲い掛かってくるのです。それを歪なカタチに地表に剥き出しにしたのがあの塔です」

「……フェンリルがあの塔を発動させた?」

 リチャードの淀みない説明に、それでも王の表情は変わらない。まるで憂いに嘆くような、そんな形容がぴったりな瞳も、感情がこもっているとは言い難い。

「はい。そこで本部に彼らを捕らえるように要請します。『野良犬が勝手にうろついたせいで、うちの馬鹿が鉄砲を撃っちまった』と。当然彼らは『うちの犬がそんなところにいる訳がない』とシラを切る。なぜなら彼らは秘密……あの塔の暴走には無関係だと言い張る。そこにこう追い打ちをかけます。『野良犬がスラムにいるようですが?』とね」

「何故、フェンリルがスラムにいるとわかるんだ?」

「陸軍に潜入した際に、交戦した野良犬の一匹に首輪をつけました。それにより居場所はすでに判明しています。スラムの奥地、そこが奴らのアジトでしょう」

「あのフェンリルに光の首輪を……」

 リチャードが途中言葉を選んだことが気になったが、おそらく惨殺の現場を思い返していたのだろう。心優しい彼の心を乱すという意味でも、フェンリルを許すわけにはいかなくなった。

「おそらく今夜中にでも敵はこの国から脱出するでしょう。追撃するなら今しかない」

「そうか……それならば――」

「――それならばお供いたします!」

 国王が言い終わらないうちに、ローズはそう反射的に叫んでいた。そんな意気込むローズを、リチャードは静かに制止する。

「貴女は今、魔力の消耗によりほとんど戦えないはずだ。ここに残っていてくれ」

 優しい光を宿した茶色の瞳が、ローズを包み込むようにして捉える。そう、血の通った人間の瞳は、こういうものだ。

「それは……そなたも同じのはず!」

「あいにく敵と遭遇しているのは俺だけでな。スラムには無関係の人間もいる。人に紛れられては逃亡の確率が上がってしまう」

「敵の判別はリチャード君しか出来ないのか?」

 二人の言い合いには感心がないのだろう。静かにやり取りを聞いていた国王が口を挟む。彼にとって強襲部隊の人選等、興味がない。関心があるのは、人選ではなく結果、のみ。

「ええ。同行していた者は接触していない者しか生き残っていません……奴らの戦闘能力からすれば当たり前ですが……」

 フェンリルの情報は、本部でも最高機密とされており、詳細なデータはほとんどない。遭遇した者は皆殺し。信じられない話だが、彼等の中での常識は、一般とは大きくかけ離れているのだろう。

「証拠が必要です。誰がどう見てもフェンリルの悪事だとわかる証拠が……それには本人達の死体が一番の近道です」

 いつもの表情でなんてこともないようにそう言い切った彼の姿は、ローズが一番愛する彼のそれ。だがそれでもローズは不安を覚えてしまった。

 あの悪意を発する塔を思い出し、それがまるでフェンリルの恐怖そのもののようにすら感じていた。たまに漏れ聞く彼らの残虐な行為は、遠いこの地でも名前を聞くほどには有名だった。

「……わかった」

 ローズは渋々了承した。

 こうなってしまっては自分には彼に従う他はない。

 王に敬礼し、敬愛する彼と共に部屋を出る。

 二人並んで魔法陣に乗ると、甲高い起動音が辺りに響く。ローズはバレないように隣を盗み見た。

 普段通りの意思の強さを感じさせる端正な顔立ち。だが確実に彼もまた疲弊しているはずだ。あのクリスタルを浄化する、とてつもない魔力を消耗しているのだから。

 そこまで考えてローズは、忘れかけていた頭痛が振り返してきたのに気付いた。限界ギリギリではあった。たしかに彼の言うとおり自分のこの状態では、下手をしたら彼の足を引っ張る形にもなりかねない。

 前向きに考えることにする。かなり本調子ではないが、本部への交渉次第では、フェンリルからの抵抗すら無くなる可能性だってまだある。

 視界がいきなり外に変わった。リチャードは先に魔法陣から降りると、まだ少し気を落としているローズににっこりと笑いかけた。

「ローズ殿……本当に協力感謝する。ゆっくり休んでいてくれ」

「……そなたがそう申すのなら」

 半ば諦めて笑ったローズに背を向けると、リチャードは腰の剣に片手を添えた。聖剣からは、スラムからの魔力が伝えられているのだろう。

「貴様とは第二ラウンドが用意されているようだな」

 そう小さく呟いた彼の口元が笑みを形作っていることに気付き、ローズは言い切れない恐怖を感じた。思わず彼から目を背けていた。


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