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298/312

♮298:惨烈ですけど(あるいは、空間空隙に/流れ溜まる)


 サイノの骨ばった右腕が、アヤさんの華奢なる首を掴み潰すように伸びていて。


「……!!」


 一方の左腕の方は、同じく華奢なる肩と二の腕の間辺りを、捻り上げるように絞り上げているというのに。


 僕は、僕らは、動くことが出来なかった。今まさにアヤさんに為されている暴虐を、止めなくてはいけないと、脳の表面辺りでは熱を持つほどに把握していたものの。


 ホールの天頂から、このフィールドに伸び落ちて来ているスポットライトのひとつが、人が形成した騎馬の上で相対し絡み合っている男女の姿を浮かび上がらせている、そんな浮世離れした、まるで絵画を静謐な空間で凝視しているかのような、得も言われぬ自分というものの存在感の無さ。


 いやいかん!! なに呑まれ喰われそうになってるんだよ。今の今だって「対局」は続いているんだろっ。サイノの身の上……アヤさんとの確執……あるんだろう、どうとも出来ない「澱」が、自分の中に。


 そして、分かってるんだろ……それがもうどうとも出来ないということも。自分の中で絶対に、表面一ミリすら溶かし消化できないほどの、硬く、重く、臓物が低温やけどを起こしそうになるほどに慢性的な嫌な熱を持った、かたまり。


 それが「ダメ」だ。「ダメ」の親玉みたいなものだ。知っている、僕は知っている。吐瀉することも、排泄することすら出来ない、精神の中枢みたいなところに粘つく触手をこれでもかと張り巡らせた、自分の生存本能を冒し、生命力……「生きる力」みたいなのを生かさず殺さず搾取するかのように居座りながら、それでいて、妙にそいつとの共存が心地よくもなってくるような……体液の中に、外界からの全ての刺激情報をぼやかして現実味を失わせてきてくれるかのような、夢うつつの状態に常に落とし込んでくれるかのような。


 でもそれじゃあ駄目なんだ。「ダメ」じゃなくて「駄目」。頭の中に言葉を浮かばせながらも、僕にも意味はよくは分からないけれど。でも。


 サイノはその夢うつつの中に浸りながら、根幹をぼやけさせたまま、自暴で自棄なコトに、茹で上がった大脳で突っ込もうとしているだけだ。だけなんだろ?


 それは絶対に駄目だ。それは自分も自分の内も全部を殺してしまうから。向き合う。「内々(うちうち)」じゃなくて、「外々(そとそと)」へ。


 自分を外側から俯瞰するかのように。外界に向かって、自分の内壁をめくりさらけ出すように。


 自分の内部に巣くう、どうとも出来ない「かたまり」を、「DEP」に変換して。


 分裂、揮発、拡散。


 他人と、誰かと共有することによって、「かたまり」は初めて消化……昇華されるのだから。


「……」


 ふいと、僕の視界に入って来たのは、にじみ出る疲労とかを浮き出るままにしながら、それでも凪いだ顔つきの、真顔で美麗な顔ふたつだった。


 若草さん、姫様。


 そのふたりを乗せたそれぞれの騎馬が、水面を滑るかのようにして、サイノ騎に近づいていく。


 サイノに首を押さえつけられたままのアヤさんは、その顔色を青ざめさせながらもじっと、されるがままの直立不動の態勢のままだ。


 サイノ……もう分かれよ。踏み込めないんだったら……この場に残った僕らで。


 ……昇華させてやる。



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