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296/312

♭296:重巡かーい(あるいは、パーセク彼方へ/散りぬるを)


 数歩距離を取って臨む主任の顔には、目・鼻・口・耳の所に七つの穴がぽっかり開いているかのように見えた。それは、私のよくやる人間とロボットの間に横たわる「不気味谷」の真顔とは別の、絶望だか何だかに支配された、あくまでも「人間」の表情に思えた。


 なぜか3m直径の円周上をいまだ反時計回りに周回しておる主任騎とハツマ騎……互いの出方を窺ったりしているのだろうか。先ほどひとかたまりずつ言葉を発してからは、どちらも無言だ。


 もう何か、「騎馬戦」の体裁は為しては全然なかったのだけれど、下手に下馬して「失格」とかなったらいやんなので、私ら傍観騎(姫・少年・私)は、主任騎・ハツマ騎が描く円運動を外巻きにして、騎馬は崩さないまま、見守っている。


 遥か彼方のフィールドの向こうの角っこの方には、敵方もう一騎の生き残り、黒覆面を頭からすっぽり被った正体不詳、自称「謎のマン」と名乗る男が静観しているのみであったが……覆面の顔面部に当たるところには大きく「謎」とメタリックな光沢のある金文字で大書されているが、何だありゃ。よくは分からないけど、途轍もなくいい仕事をしてくれるような、そんな摩訶不思議な期待感を、網膜から飛び込ませてくれる外観をしとる……いや、今どうでもいいかそれ。


 場はもう膠着だか硬直だか判別不能だったが、緊張感だけは確かにそこにあることを肌で感じ取れる。が、や、もう見守ることしか出来そうにないよね……と、


「今の私に、何が出来るのかは、本当に判りません」


 引き攣れるような満場の静寂の中、ハツマの方からまたそんな感情の乗っていなさそうな言葉が紡がれていく。その間もその跨る「騎馬」を右方向へと巡らせながら。


「……今回、自分がこの『大会』を乗っ取ろうと画策してきたのは、妹のための『復讐』、それに尽きた」


 一方の主任からもそんな温度の無い音声が、スポンジで跳ね返すように戻り響いては来るものの。その後に遅れて「……はずだった」、という掠れた声が追ってきた。聞き取りにくかったけど、私には確かに聴こえた。そしてその短い文節に、主任の吐息のような熱と湿り気を感じている。


「ハツマ、お前を『この世界』から消し去ってやろうとか、そこまで本気で考えていた。至らないんだよ……もう自分の脳は。妹を喪った世界で、何を為すか、為してのちにどうなるかの結果とかも!! 何もが空転して辿り着かないんだ……ちょうど今のように、思考はひとところを回り続けるのみだった」


 主任の言葉は滅裂だったけど、「喪失の連鎖」、そんな風な字面が私の頭の中にはぷかり浮かんで来ていた。自分が萎びていく、ほろほろと溶けていく、重質な液体をぱんぱんに詰めたように動けなくなる……そんな感覚。


 「至らなくなる」。自分がどこにも。そうなると、脆くなって、傷つきやすくなって、傷ついたところが鋭利な切っ先を持つようになって。


 首から上だけが、ヘリウム抜けかけた風船のように、中途半端な高さをゆらりと浮かんでいるかのような感覚になるんだ。そして霞がかった脳の電気信号で、自分も周りも傷つけていく。


 やばい、私が昂ってどうする。顔筋が固まって頬骨に癒着しているような気持ち悪さがあったので、いちど脈絡もなくすんごい笑顔をしてほぐしてみる。そのサマを丁度正対して捉えたであろう主任がびくと馬上で半歩ほど後ずさったかのように見えたけど。


「……今の私に出来ることは、この場を提供するほかはありません」


 ぴきと、穏やかながらも澄んで響き渡ったのは、ハツマの言葉だった。それは主任に向けて言ったようにも、この会場にいる諸々の人らに言ったようにも……その言葉が届く、あらゆる人らに向けて放たれたようにも聞こえたわけであって。


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