#029:追憶で候(あるいは、flow over マイハート)
ぼがががががあががががががああが……自分の口を通して、そのような音声が放たれることとなろうとは思ってもみなかった。いや、音声はともかく、それと共に我が肺の中の空気もである。激しい気泡を放出しながら、私はメッゾォスの母なる羊水に包まれるようにして、下流へ下流へと流されている。いや、流されていてはあかん。
「……」
光射す水面は、手を伸ばせば届きそうなところに迫ってはいるものの、掴もうともがけばもがくほど、遠のいていくかのようだ。身体全てがなまぬるい水面下に没してからは、うなりうねる水音と、鼓膜の奥の方で響くような自分の呻き声しか聞こえない。
溺れる。
道半ば(いや、そのかなり手前か)にて、私は果てるのか。このままでは姫様に顔向けできん……必死で手足をばたつかせるものの、思うより強かった水の流れに翻弄されるがまま運ばれていく。何も出来ない。目に映るものも遠のいていく……
……ふと、息苦しさと朦朧とする意識の中で浮かんだのは、幼き日々の事であった。
―コーマイギィ、コーマイギィ。
貧しい村落の、外れの共同墓地に捨てられていたという赤子の私は、十八の齢を数えるばかりの、うら若き娘に拾われた。
―泣くでね。わんしがおめさのごど、ちゃんと育ででやるでにき。
育ての母、いや、まことの母、ゴソォマのその言葉を、覚えているはずもないのに、覚えている。そして母もまた、天涯孤独の身であった。
学もなく、見栄えもよくは無かった母は、村の者皆から、蔑まれて生活していた。栄養失調で今にも死にそうな小汚い赤子を抱えてからは、なお一層、それは激しさを増していったという。
何故、母は私を拾ったのだろう。
孤独だったからだろうか。いやそれだけでは無いはずだ。孤独な私を憐れんでくれたからだろうか。わからない。
わからないが、私と母は寄り添うようにしてつましい暮らしを送ってきた。すれ違う子供らに、墓に捨てられた児と囃されようと、一向に気にはならなかった。私は愛されていたのだと思う。母のぬくもりは、今なお思い返すことが出来るのだから。
必死で勉学に打ち込み、貧しさから死に物狂いで逃れようと思ったのは母のためだ。だが、
留学を経て王宮に仕え、ようやく親孝行の真似事が出来る、と意気込み郷に帰った私を待っていたのは、病に伏し骨と皮ばかりになった変わり果てた母の姿であった。
四十にして、母は逝った。奇しくも、姫様の母君、サクラ=コ殿下と同じ齢であった。ともすれば、同じ病だったのかも知れん。
だからこそ、いや、私にもはっきりと咀嚼できているのかは分からない感情ではあるが、姫様には畏れ多くも、何というか、近しさを感じるのだ。不敬と思われるかも知れないが、それが偽らざる、私の思いである。
ゆえに、こんなところで朽ち果てるわけにはいかぬ。
夢のような思考から覚めると、私は渾身の力を振り絞り、上へ上へと体を何とかして持っていこうと全身を滅茶苦茶に動かす。例え死すとしても、最後の最後まで生を目指すのだ。光射す、その方を。




