#263:宿六で候(あるいは、九十九の戦士/霧中を歩く)
「ど、どうなっているのですか!?」
左隣の座席より、モクのそのような困惑気な顔と声が迫る。その指先は不安な心持ちを表すかの如く、私の左の二の腕あたりを軽くつかんでいた。
「決勝戦」が繰り広げられ始めてからしばし、観客席で割とのんびりと観戦に終始していた我々であるが、我が同志であるところの「少年殿」・「青年殿」VSワカクサ殿・サイノ殿の対局が行われていると思っていたら、いきなりの急転に事態をうまく把握できていない私がいる。
「分からんが……立ち上がってはならない、モク。目立つ動きは避けよ」
何とかそう、唇を動かさずに周囲一間にしか届かぬ声にて、そう注意を促すことしかできないのだが。強張る顔のモクを何とか落ち着けようと、私はその伸ばされた指先を、自分の左の手指にて握ることしか出来ぬ。
辺りはひしめくほどの人の群れであるのに、不気味なほどの静寂がこの天蓋を覆っていた。そんな中、
「あの男……かようなるコトを企んでおったのか」
右隣の席では、姫様が言葉の割には落ち着き払った言葉を紡ぎ出されてくるのだが。
何としても姫様だけは無事にこの場から連れ出さねばならない……だが迂闊に動く、それは悪手に過ぎない。であればここはまだ静観。機を窺うほかはあるまい。
「……どうやら、相当数の者どもが、あのサイノの裁量の下にいるのは確か」
姫様は慧眼を発揮されている。いま正に、理解不能ではあるが随分な時間を取って為されている「自己紹介」を行う面々とは別に、確かに見渡す会場のどこかしこにも、この状況下ながらゆるりと、しかし迷いなく規律に則った動きで不気味に動く人影が見て取れる。我々……この「会場」にいる者は皆、もはやその身柄を捉まえられていると見て間違いはないだろう。不覚。と、
「……為井戸 ユズル……『新九段』さ」
私の向かって右斜め前方向のスポットライトに照らされているのは。
「……『雛話獣』……そう呼んでくれないか?」
真白きスーツの細身の男。肩までの茶色い長髪。何と、幾日か前、我々が祖国の国道大動脈にて対峙しそして相まみえた……「シンクダン」殿ではあるまいか。叩きのめしたかに思えたのだが、ここに来て再びとは。
「なるほど……割と手練れの者も集めていると、そういうわけだな」
しかして、姫様の御声はぶれない。不動のまま、この成り行きの全てを見据え、そして見極めようと為されている。姫様は確実にこの「旅」で変わられた。そして今も変化……成長を続けられている。
この窮地とも呼べる状況下で、私はそのことに途方も無いほどの充足のようなものを感じ、口許が思わず緩んでしまうのを抑えることに集中を余儀なくされてしまう。




