♭211:蛇蠍かーい(あるいは、知らんバートルの夕べ)
数日前、ダメが私の日常まわりに、また忍び寄り、手ぐすね引いていく様子を傍観していた時から、今日という今日、今という今の、この混沌が巻き起こるということは、なかば予期していないことも無かったわけだけれど。
……これは無い。
無いったら無いってばよもう……私は真顔を突き詰めた先にあった、顔面の筋肉が全て力を失った時にのみ現れ出でる、頭蓋骨が皮下に透けて見えるほどの真顔……「骨顔」とでも称したらいいだろうか……にて、いいことなどナノレベルでも無いほどの空間に佇むと、孤立を悟るのであるけれど。
「む、無理はやめて、恭介さぁんッ!!」
さりとて、痛ましい元身内を無下にすることは出来ない。半裸・極彩色モヒカン・放送禁止マーク顔面ペイントという、あとひとつ何かが来れば、お縄頂戴は必定である出で立ちでありながら(そしてその待ちはかなり広そう)、そのヒトは何故かこの場では異様なほどの輝きを発しているのであり。
でも、思わず叫んだ私の制止も、おそらくは利かない。ペイントの下で見開かれた両目は、正気というかつて彼が常備していたものをすべからく手放しているように見えたわけで。
丸男が出張ってきた時点で消化試合とか思ってたけど、とんでもなかったよ。とんでもないばかりの修羅場が、シュラシュラと大蛇の如き静けさと狡猾さとを併せ持ちつつ、私の周囲を狭めていくよ怖いよ……
「大丈夫だぃよぉぉぉん、ワカクサぁぁぁぁぁッ!! そこの優男を倒しッ!! 必ずや君と聡太をこの手に抱き留めるぅぅぅふぅぅぅ……ッ」
ダメだ。裏返ってしまったかのような人格に、通じる言の葉などあるわけがない……っ。
<M極くん:あと4手>
そして電光掲示板にはそんな表示。いや、この状況で進行するつもりかーい。
でも「4手」て、やばくない? 盤の右辺中央まで進み出てきている主任と、右上角にいまいるM極くんこと恭介さんとの間には「3マス」しかない。
いやが応にも、ぶつかる……先ほど「決闘」を申し込むだの言ってたけど、それが、このしっちゃかめっちゃかのルールの元、成立してしまうかも知れないんだ。
もう、棄権でもいいからこれはやめさせないと。何でこのダメとはゆかりもないまともな二人がこのダメの場で真っ向勝負をせねばならない?
「わッ……あいや、決闘なんて無益なことはやめてっ!! ダメ人間でもないあなたたち二人が戦っても何の益もないから!!」
ギリギリで「私のために争わないで」という、テンプレ過ぎて失笑を呼んでしまいそうな台詞は回避できた。が、
「俺……いや、『私』は先ほど申し上げた通り、私欲に溺れた復讐者だ……まともな神経など、持ち合わせてなんかいない」
主任は落ち着いた声でそう言うけど。そのちらと垣間見えた横顔は、何とも言えない哀しみのようなものに満ちている。一方、
「……ククク、『ダメ人間ではない』?」
相対する恭介さんは、不気味にひきつった笑みを浮かべながら、足元の枡をずいずいと直進し、主任と30cmくらいの間合いで向かい合った。
「……仕事、家柄、そのようなものにかまけて縛られて、最愛の家族を手放した……これほどまでのダメ人間は、そうはいるまい……!!」
恭介さんの取っ散らかったペイント顔面の下の表情も、自らを嘲笑するように歪んでいたけれど、同時に深い哀しみに彩られているかのようにも、私には見えた。




