♮021:邂逅ですけど(あるいは、精巧/同定/ドッペリオン)
緑膨らむような代々木公園を右手に伺いながら、軽快に、鼻唄まじりで原付の速度を上げて通り過ぎようとした、その時だった。
(……?)
左に見えて来たガソリンスタンドを少し過ぎた辺り。縁石に乗り上げるように倒れ伏したヒトっぽいシルエットが見えたのだった。普段の僕だったら、疲れもあったし、面倒事は極力避けるようにして走り去っただろう。
そして、そうしていれば、平穏無事な生活をその先も送れていたのだろう。
だけど、その時の僕は、ジョリーさんから貰った謎の爽快飲料により、そして原付で飛ばすことによってもたらされる鼻腔を直撃する強い風により、覚醒という意味を踏み違えたところまで爽快になっていたわけで。
そしてジョリーさんの優しさに触れて、僕も何か人に優しくせねばなるめえ、と、ふと魔が差すように思ってしまったこともある。
慌てて原付を路肩に停めると、その人型が倒れていた所まで小走りで戻ってみる。ガソリンスタンドからのオレンジの光をその背中に浴びて、細身の男の人と思われる体躯の人影が、やはりうつぶせに倒れているのを確かに視認した。
この時点でもまだ、「救急車を即呼ぶ」という選択肢があったかも知れない。でもその思考にすぐ飛びつかなかったのは、そのシルエットそのものが、僕の記憶の奥底の汚泥のようなものを浚い浮き上がらせたからなのであって。知っている。僕はこの人を知っている。
肩甲骨辺りにまで伸びた長髪は、でろりとした質感をもって混沌と乱れ広がっている。骨ばった、結構な巨体は、不健康そのもののガリガリで、身に着けた白いタンクトップと、ぐずぐずに履き倒したジーンズも、だるだるな感じだ。こんなにも脊髄にダイレクトで不穏感を刺し込もうとしてくる外観を持つ人物を、僕はひとりしか知らない。
「……もしかして、アオナギさん? アオナギさんですよね?」
かつての僕の「お仲間」。共に地獄の釜の底のような所で、ダメという名の魑魅&魍魎たちと壮絶な戦いを繰り広げた、仲間のひとり。その人のような気がした。記憶は半分以上己の防衛本能により消していたものの……いったん噴き出すようにして脳内に撒き散らかされた、その全容はすでに甦ってきていた。諸々を思い出し、ぐぬぬ、との何とも言えない唸り声が勝手に出てきてしまうけれど。いやいや、そんな場合じゃあない。
未だ僕の視界の中で、その「人」は動きらしい動きを見せていない。気を失っているのか、それとも最悪……と僕は本当に色んな意味で「最悪」と思える事象を何とか頭の中から追い出して、コンマ3秒くらいの躊躇はあったものの、意を決して、素手でその人影の背中あたりに手を当て揺すってみる。
近づくにつれて、そして触れるにつれて、僕の予感は確信へと変わっていっていたのだけれど。そして今日は何となくの説明できない嫌な予感もしていたのだけれど。何故この広い地球で、ピンポイントで遭遇しなくちゃあいけないんだという、怒りにも似た不条理な感情に支配されそうにもなるのだけれど。
とにかく、寝覚めの悪くなることだけは避けたい、という、ワーカホリックに既に半身くらいまで侵されかけている僕が、何とか渾身の力で、そのアオナギと思われる人物をひっくり返し、ええと、とりあえず瞳孔とか死斑とか調べればいいのかな……と既に検死の方へとシフトしてしまっている思考を無理から戻すと、青ざめたその顔に向けて、もう一度声を掛ける。と、その人物の血色の悪い瞼と唇が動いた。そして金属同士を擦り合わせたような声が絞り出されてくる。
「……うう、その声……は……ムロ……ト? 何でまた」
「何でまた」はこちらの台詞だったが、とにかく意識を取り戻したようで良かった。
しかして。事態は突拍子も無い側面を見せ始めるわけであって。まるであらかじめ定められた結末にそぐおうそぐおうとして、自ら意思を持っているかのように。
……いや、やめてよ、そんな力場。




