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133/312

♮133:免償ですけど(あるいは、メンションイット/フラー&ブラー)


 相殺DEPは、何故か放たれては来なかった。


「さあじゃんぺぱざんろりはとくらばんでぃぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんッ!!」


 結城少年の素なのであろう、そんな結構野太い叫び声をつむじの辺りで感じ取りながら、僕は少し昔のことを思い出していた。


―岬。ここを一回りしたら、レストランでパフェを食べよう。


 落ち着いたテノール。だけど今の僕には、やけにわざとらしく、いやによそよそしく聞こえる。


―うん!! おとーさん、でもわたし、絵をみるのもすきだよ。


 屈託のない返事も頭の中に響く。僕だ。四歳か五歳の頃の、まだ自分が自分の世界の中心にいた頃の、周りの世界が、そのままのかたちで見えていた頃の僕だ。


 記憶の五感が、脳を浸すかのように迫ってくると、現実の五感……まあ今VRをかませられてはいるんだけど……が、急速に霧散していくかのようで。


 あの日の陽射しも、緑のにおいも、たくさんの人達が行きかい発する声も、むきだしの二の腕に感じる熱も。


 まるで異世界に転生したかのような。いや過去の世界へタイムスリップしたかの感覚だ。


 VRが見せてきているものじゃ……ないよね。でも確かにあの日の記憶を五感がトレースしている。熱気を孕んだ風が人と人との間をすり抜けて吹き付けてくるのを感じている。夏向けの白いワンピースに赤いリボンの麦わら帽子を身に着けた僕は、ワイシャツの袖をたくし上げた逞しい腕の手首らへんを軽く掴んでいる。


 上野……だろう。いや上野だ。眼前にそびえ立つのは今なら分かる、近代美術館。


 僕の父親だった男と、来る場所といったらそこだった。既にその頃の両親は少なくとも別居していたわけで。翼は父親に、僕は母親に引き取られていた。そして月に一回か二回、そうして外で会っていたのだと思う。僕が父親に会っている時は、逆に翼は母親と会っていたのだろう。


 別離の理由は、実はまだよく分かっていない。酔っぱらった母がいつか漏らした「もともと合わなかった」という言葉だけが、今も僕の胸に食い込んだ棘のように残ってはいるけど。それが真実なのかは結局のところ分かっていないままだ。そして、


 僕が、「普通」の人とは違う感性を持った理由も、実のところはっきりしていない。いや、理由なんて無いのかも知れないけれど。


 幼少期の何かが、僕を「男」たれと導いたような気は、何となくしている。届かなかった父への思い。それとオーバーラップする、絵画たちの、時に完全に近い秩序を保つその佇まいや、時に妖艶で混沌で、不安にさせ不穏にさせ、精神の均衡を揺さぶってくるかのようなその威容……僕はその生み出された圧倒的存在を前に、そして側に決して届かない父親の存在を感じながら、


 自分を喪っていったのかも知れない。


 父親と会わなくなってからも、僕は混沌の中に何かを見出そうとしていた。お金は無かったから、もっぱら図書館に通って、ずっと画集を眺めていた。


 ダリの「記憶の固執」、モネの「ひなげし」、エッシャーの「写像球体を持つ手」……他にも心を揺さぶられたものはいくつだってある。


 失われた父性を、自分の中に組み上げていった先が……今の僕だというのだろうか。分からない。僕には分からない。


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