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何をそんなににらんでるの?

作者: 宛路マリ


面倒な性格の男がいたものだ。


街外れの路地のカフェ。

一人の男がカランとベルを鳴らして入って来る。

男はぐるりと店内を見渡すと、店の隅の二人席に踏ん反り返って座った。

私の視線に気づくとジロリと睨んでくる。

男はスーツを着ていたが、髪は角刈りで目つきも鋭い。もしかすると普段は精悍な顔つきなのかもしれないが、こうも睨んでいるとおよそ堅気の人間とは思えない程の迫力を呈している。


せっかくカフェに来たんだから、もっとくつろげばいいのに。

そう彼を憐れみながら、私は読んでいた小説に目を落とした。

このミステリー小説はまだ中盤で、ちょうど事件が謎を深めてきていたところだった。

キャラクターにまるでリアリティがない上にシリアスさにもコメディにも欠けている。退屈な本だ、と思いつつも、読み進める。

私はこのカフェに、この本を読みにきているのではない。

カフェで本を読む、その空気に浸りに来ているのだ。


すぐ、面倒だ、と口に出す性分の私は、口癖と同じく面倒くさがりだ。

だがこのカフェには、どんなに面倒な事があっても、例えば雨が降っても毎日来ている。

もちろん、ここへ来る事が日々の面倒を避けた結果である可能性は否定できないのだが。

街の喧騒の聞こえないこのカフェで、マスターに"いつもの"を頼み、いつものように本を読んで時間を過ごす事が日常となっていた。


その日常に、先ほどの目つきの悪い彼も加わることとなった。

ブラックコーヒーを頼み、周りを睥睨しながら、特に何をするでもなく腕を組んで座っている。

そして二時間ほどで帰っていく。

二時間も何を考えているんだろうか、と私はいつも疑問に思っている。

彼はヤクザで、組で起こっている抗争のことでも考えているのだろうか。

それとも、彼は会社員で、あの怖い目つきの為に色々と苦労をしているのだろうか。

などと、彼について根拠もない妄想をするが、真実はわからないままだった。


先ほども言ったが、私は毎日このカフェに来ている。

彼も毎日来るものだから、当然相手もこちらを認識して、ドアを開けて入って来るたび、私をしばらくの間睨みつけてから席に座るようになった。

何か言いたいのなら言えばいいのに。

そうしたら彼の考え事の中身もわかるだろうか。


そんな日々が続いた。


ある日のこと、男はいつもより大きめにドアベルを鳴らして入って来ると、なぜかこちらにズカズカとやってきて、私の目の前の席に躊躇なく座った。

あまりの出来事に時が止まったかのように思えた。

そして男は腕組みしながらこちらをずっと睨みつけて来る。


なんで、なにが、なぜ、なにを。

似たような疑問が頭の中に溢れる。

でも声に出せない。

口も動かしているつもりだがきっとほとんど動いていないだろう。

理由を聞きたくても聞けないせいで、息を中途半端に吸っては吐いている。

そして結局できなかった私は、ただ目を見開きながら彼の目を見つめるしかなかった。


どれくらいそうしていただろうか。

もしかしたらそれは一瞬のことだったのかもしれないーー私にとっては一時間くらいに感じられたーーその見つめ合いの後、男は口を開いた。


「ここにいれば、コーヒーを頼まなくても済むと思った」


…は?


男はそれだけ言うと、また黙ってしまった。

そしていつものように、周りを睨みながら考え事をしている。

男の言った言葉は、あまりの緊張と衝撃で、私の中で全く意味を成さない記号として頭の中に植え付けられた。

そのまましばらくすると男は帰っていった。

多分いつもの二時間が過ぎたのだろう。

私は男が帰った後も、まだ呆然としたままだった。

その日は何も手につかなかった。


私は次の日からしばらくそのカフェに行かなかった。

仕事が忙しかったからだ。

コーヒーを頼まなくて済む、と言った彼に反抗したかった、と言う気持ちも少なからずあるが、同時にあのような大胆な行為をした彼に少し申し訳なさも感じていた。

毎日カフェに来る、同士のような、戦友のような気持ちと、多分少し恋心を抱いていた。

カフェに来てスマホをいじっているような若者が増えたから、より何もせずにいる彼が引き立って見えたのかもしれない。

そして、出会いのない独身女性にとっては、毎日顔を合わせている男性というだけで淡い恋心を抱いてしまうものなのだ。

顔も、あの目つきさえなければ以外と整っていて格好いいと思うし、身体もそれなりに大きく、引き締まっている。

歳は私より若いがちょうど男としての魅力が出てくる頃だ。

例え会話をしたことがなくても、恋をしてしまうのはやはり仕方がないのではないだろうか。

……とまあこのように、しばらく会えない彼のことをずっと考えていたのは認めようと思う。


そんな訳で、少し不純な気持ちを抱えながら、数日、いや数週間ぶりにあのカフェの前にやって来た。

入ったら、あの男はいるだろうか。

いや、いつも彼が来るのは私より後だったから、まだいないだろうな。

そんなことを考えつつドアを開けると、急に黒い影が私の前に立ちはだかった。


「赤花さん!」


例の男だった。

男は必死な顔つきで、泣きそうにさえ見えた。

いつも睨んだ顔しか見た事がなかったので新鮮で、思わずじっくりと見てしまった。


「そんなに、見つめないでもらえますか」

「ああ、ごめん」

「とりあえず、店内に入りましょう」


そうして私のいつもの席に二人で座ると、彼はブラックコーヒーとカフェモカを頼んだ。


「カフェモカでしたよね?」

「…………なんで知ってるの」

「このあいだマスターに聞い……」

「それだけじゃなくて」


私は彼の言葉を遮って言った。

ドアを開けたあの時からずっと疑問に思っていたのだ。


「……」

「なんで知ってるの」


今度は私が彼を睨みつける番だった。

彼は少し目を伏せて、萎縮してるように見えた。

ちょっと快感だ。


「実はここに初めて来る前から知ってました。友人が編集者で、ファンだと話したら教えてくれて。すいません」


守秘義務を守れないような編集者はクビにするように担当者に言っておこう。


「カフェに入った瞬間にわかりました。なんとなく、雰囲気が赤花さんだと思いました。伸ばしたままの黒髪が窓から入る日差しで輝いていて、すごく綺麗だったので。でも、話しかける勇気はなかった。そもそもカフェに入るのに慣れていなくて、早く座ろうと思って店内が見渡せる席に着きました」


焦っている割には堂々としているように見えたが、あまり表情に出ないタイプなのかもしれない。


「それで、ずっと、どんな風に話しかけたらいいか考えていました。ですが、思いつかなくて、結局その日は帰りました。あとは毎日その繰り返しです。……あの、顔赤いですよ、大丈夫ですか?」

「わかってる、わかってるからちょっと…黙っててっ……」


私は緩みそうになった頰を、必死に手で抑えながら呻いた。

ずっとしかめ面だった理由がようやくわかった。

そして二時間も何を考えていたのかも。


意識しているのは自分の方だけだと思っていた。

最初は、集中力が途切れた折にふと彼の事を考えていた。

いつの日にかつまらない小説には全く集中できなくなり、カフェにいる間はほとんど彼の事を考えていたと思う。

こんなに一人の男の事を考えて恥ずかしい、とさえ思っていた。

だが彼の方がよっぽど私のことを考えていたのだ。

カフェに入った後に私を睨みつけていたたのは、おそらく話しかける言葉を探してたのだろう。


「ふふっ、それで思いついた理由が…あれか」


私が噴き出しながら言うと彼はちょっと不服そうに、結構真剣に考えたんですけどね…、と呟いた。


「いや、いいと思うよ、おかげで仕事も捗ったし」

「っ…!本当ですか!」

「うん、そのせいでここになずっと来れなくなったのはちょっと残念だったけどね、筆が止まらなくて」

「それって、俺の…いや、なんでもないです」


彼は顔ではなくて耳が赤くなるタイプらしい。

彼はなんて言おうと思っていたのだろうか。

それって俺のせいですか、とか、それとも、俺のこと考えて執筆してくれたんですか、とか…。

顔が熱い。

事実その通りなのだから何も言えない。


「ブラックコーヒーとカフェモカです」


会話の隙を見計らって持ってきてくれたのだろう。

ありがたいが、そのマスターの計らいが今はちょっと気恥ずかしい。

なぜなら、それは会話を聞かれていたことの証明に他ならないからだ。


「彼、毎日ずっと来ていましたよ」

「えっ……」

「マスター!」


マスターは男に微笑みながら目配せするとカウンターに戻っていった。


「……」

「……」

「……毎日?」

「その、あんな事した後だから、腹を立てて来なくなったのかと思って、もしもう一度会えたら謝ろうと…」

「くっ……ふふふ……そうだね、そりゃそう思うよね……ふふっ」

「それか、何かあったのかと思ってずっと心配だったんです、でも連絡先もないし」

「ふふっ……それで、毎日カフェにいる間、ずっとそんなこと考えてたの?」

「そうです」

「そうかぁ……」

「あの、また顔が」

「うるさい……本当に、また執筆が捗りそうで困るよ……」


急に彼は、ガタッと立ち上がって、私の腕を強引に掴んで出口まで歩き始めた。

カウンターにポケットから出した紙幣を乱暴に置くと、蹴やぶらんとするほどの勢いでドアを開けて店から出た。


「何、急に」

「あのセリフで、上目遣いは反則です」


彼は大きく顔を背けながら小さな声で言った。


「あの……さ、一応聞くけど、あなたって私の作品の、その……ファン、なんだよね……?」

「そうです、全巻持ってます。何度も読み込みました。セリフも多分覚えていると思います」

「そ、それはなんかちょっと……まずいんじゃ……」

「好きなんです」


彼は私の目をまっすぐ見て言った。

それはいつも私を睨みつけていたあの目と同じだった。

いや、睨んでいたんじゃない。


「好きでした、あなたの作風、物語、言い回し、キャラクター、シチュエーション、その他も、全部。でもそれだけじゃなくなった。あなたを毎日見るたびに、本を読むときの表情や、姿、仕草に、どんどん惹かれていった」

「……」

「好きです、僕と、お付き合いしていただけませんか」


真剣な表情だった。

まっすぐに、彼の想いを伝えられて、私は……。




「ぷっ……あははははは!あははははは!いや、ちょっと待ってよ、突っ込ませてよ!ははは!」

「なん……」



「だってさ、私の書いてる作品、官能小説だよ?」



まさか自分の作品に、現実で、口に出してこんな熱烈なアプローチをされると思っていなかった。

その上、出会いのない自分が、まさか異性に告白されることになるとも思っていなかった。

確かに、つい、彼のせいで執筆が捗ると言ってしまい、若干誘っているような雰囲気にしてしまったのは私だが。


不服そうに顔をしかめている彼に向かって、私は言った。


「それで?セリフ、覚えてるんだって?」

「……はい」

「じゃあ……テスト、してみる?」


強引に掴まれた腕は、さっきとは違って少し優しくて、後ろから見た耳はとても赤かった。



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