八月十七日 橘視点
朝の勉強を終わらせてから、調理室へと降りる。そこに三津がいるのは変わったことではない。しかし、今日に限っては、少しだけ真剣な様子だった。
「祐樹、昨日話したこと、覚えてる?」
「昨日?」
「一緒にいたことにしてね、って話。」
特別なことなど話した覚えはなかった。ただ、それを言っていたのは天川に対する愚痴を聞いていた時だけだ。殺してしまおう、という話だったが、まさか本当に実行するつもりなのだろうか。
「本気か?」
三津の様子をもう一度確認すると、さっきの真剣な様子が嘘のように浅く笑っている。冗談だよな、と確認しようとしたところで、坂下が入ってきてしまった。こんな話、聞かせるわけにはいかない。
「おはよう。今日天気悪いね。外出られないじゃん。」
「午後から悪化するんだって。」
不満そうな坂下に、さらに気分の下がるような知らせをする三津。花壇の心配をして天気を確認していたから知っているのだろう。ただ、昨日の話をさきほど持ち出したことと、何かを考え込んでいるような様子から、他の理由もあるのかと疑いたくなる。
そんなことにはお構いなしの、むしろ気付いていない坂下は、いつもの質問を繰り出してくる。
「今日は何日?」
「十七日だ。昨日は天川と仲直りしようとしていたな。」
残念な知らせをしなければばならない時は、心苦しくなりながら答えるが、今日は良い知らせを伝えられた。
「結局仲直りはできた?」
「天川が起きてきたら分かるんじゃないか。」
できていなければ心の準備のためあらかじめ知らせるが、できているのだから自分で確かめてもらえば良い。
坂下を避ける必要のない天川も、あえて時間をずらすことなく起きてくる。坂下は少し緊張した様子で声をかけるが、天川が笑顔で挨拶を返したことで、仲直りできたと分かり嬉しそうにしている。
その気分のまま、坂下は朝食を終えると、みんなでトランプをしようと言いだした。俺には特に断る理由などないが、天川にはあったようだ。
「まずは今日やる予定の宿題を終わらせないといけないから…」
後回しにしないなんて、天川は真面目だな。小さくごめんな、と付け足して調理室を出ていく。坂下は、自分は宿題を後回しにするものの、人がしようとしているのを引き留めるつもりはないらしく、三人ですることを提案した。そして俺たちが断るとは思っていないのか、返事も聞かず調理室を出て行った。
「そういえばさ、一昨日、時任先生に羽良くんとの喧嘩について相談したんでしょ?」
「え、うん。」
トランプをしていると、三津が唐突に質問を始め、坂下もそれに戸惑っている。今思いついただけ、という様子ではあるが、今朝のことも考えると何かを企んでいるようにも見える。
「それは役に立った?」
「うーん、まあまあ、かな。早く仲直りする方法は教えてもらえなかったから。けど、羽良が心の整理をつけるまで待ってあげたらいいって言われて。待ってあげてるんだって思ったら、避けられた時も辛いのはましだったよ。やってることは三津先輩が言ってた、しばらく放っておく、っていうのと同じなんだけど。」
三津の意図には、待ってあげる、のようなものはなかっただろうが。
「じゃあお礼を言いに行かないとね。ついでに化学でも教えてもらうと良いよ。先生に聞いたほうが確実でしょ?」
勉強をしなければならないという意識自体は坂下も持っているらしく、そのゲームを終えると、渋々職員室へと向かって行った。
「じゃあ、祐樹。俺も花壇でも見てくるから。」
坂下を追い出すようなことをしておいて、特にそれ以上何も言うことなく三津も出て行った。
談話室で特にすることのない俺も自室へと戻り、勉強をしていた。
すると、走る足音が近づいてきた。続く激しく扉を叩く音。
「橘先輩!俺、どうしよう?三津先輩を…!」
激しい動揺を表に出している天川。呼吸も乱れているし、全身ずぶ濡れだ。三津と何かあったのだろう。どう対応すべきか、少し考える時間がほしい。
「天川、ひとまずシャワーを浴びてきたらどうだ?風邪をひいたら困るだろう?」
「え、あ、はい。」
きょと、としつつも素直に浴場へ向かってくれたようだ。
昨日、三津は天川を殺そうという話をしていた。花壇の作業を手伝ってもらう、という名目で呼び出すと。そして今日、一緒にいたことにしてほしいという確認をしてから、花壇に行ってくると言った。
つまり、先程三津は天川を殺そうとしたのか?
それなら今、天川を一人にするのは危険だ。そう思ったがその心配は杞憂だった。
「何があったのか話してくれるか。」
そう切り出す。答えてくれた天川の話は、始まりは想像と同じだった。
「その…まず、三津先輩に、花壇に防風ネットを張る手伝いをしてほしいと頼まれて、手伝っていたんです。で、それが終わった後、寮に帰る途中で、その、」
「三津に何かされたか。」
そこまで何もしなかったのなら、帰り道しか機会はない。しかし天川は、その質問が意外だとでも言うような反応を見せた。
「違うのか。」
「はい、その、えっと。昨日、亜音ちゃんに三津先輩と仲良くなる方法について相談されたんですよ。でも、三津先輩っていつも亜音ちゃんに冷たいでしょう?」
まだ話がどう繋がるのか見えないが、天川にとっては関係のある話なのだろう。
「そうだな、キツイ言い方が多いな。」
「だから、亜音ちゃんがどんなに頑張っても、三津先輩に傷つけられるだけだと思って三津先輩の背中が見えて、傷つけられる亜音ちゃんを思い出して、煉瓦が目に入って、」
「そうか。」
三津が何かをしたのではない。天川が三津にしたのか。
「気が付いたら、三津先輩が倒れていたんです。だから、俺、どうしよう?三津先輩を殺してしまった…!」
どうしよう、と言われても俺にもすぐには分からない。ただ分かるのは、天川は坂下が傷つくのが嫌で、今回の出来事が坂下に伝われば苦しめることになるということだけだ。
そこから考えるのなら、坂下に伝わらないよう、先生にも知られないようにするべきだ。幸い、俺は三津と一緒にいたことにしてほしいと頼まれていたから、天川とずっと一緒にいたことにしてもばれないだろう。
「天川、お前は坂下が傷つけられることのないようにしたいんだよな。」
「はい。…だからと言って、三津先輩を殺めてしまったことに変わりはありません。」
天川は真面目だな。自分のしたことから目を逸らさないなんて。
「これが坂下に伝われば、むしろ坂下を苦しめることになるとは思わないか。」
「え?」
自分のことで必死になっている天川には、もっと丁寧な説明が必要か。
「坂下からすれば、友人が親しい先輩を殺した、という事実を知らされる形になるわけだ。坂下はそれをどう思うだろうな。」
「それは…辛い、でしょうね。」
「ああ、そうだ。なら、隠しておきたいな。」
「でも!」
人を殺したことに対する恐怖があるのだろう。ただ、坂下のことを考えるのなら、もっと柔軟になっても良いのではないだろうか。傷つける人間はいなくなれば良い、なんて一昨日の三津ではないけれど。もう既に事は起きてしまっているのだから、余計に苦しめる原因は減らすべきだ。
「俺はさっきまで一人でいたし、坂下は時任先生のところにいる。だから俺と天川が一緒にいたと言っても不都合はない。三津が一人で池の周囲の花壇まで行ったことになっても不自然じゃない。いつも一人で行っているからな。」
「そう、ですね。でも、それだと何もなかったかのように振る舞うことになります。」
隠せるだけの条件は揃っている。
「何事もなかったかのように振る舞うんだよ。俺もお前も。」
「そんなのできません。だって、」
「やるんだよ。坂下を苦しめたくはないんだろう?」
「そうですけど、」
「だったらやれ。坂下のために。」
天川だって、坂下のことを想って行動したのだから。
嫌そうな顔をしているが、俺の言葉を否定はできないのか、渋々肯定を返した。
午前中に勉強させられた坂下は午後から遊ぼうとするだろう。当然、四人で。けれど、あの様子の天川ならいずれぼろを出すことが容易に想像できる。二人きりになってしまわないように、俺も坂下たちがいると思われる談話室へと向かう。
「あっ、橘先輩も一緒にトランプしよう?」
「二人だとできるゲームが少ないなって言ってたんですよ。」
まだ何も起きてはいなかったようだ。俺が来なかったら二人で居続ける気だったのだろうか。それはとても心配になる展開だ。
「ああ。何がしたいんだ?」
「大富豪!三人なら面白いだろ?」
簡単にルールを確認して、坂下が天川にも問いかけた時、不安を煽るような返しがされた。
「なあ、羽良もそれでいい?」
「え、ああ、うん。」
心ここにあらず、といった様子だ。これは機会があれば外させたほうが良いだろう。
ゲーム中も天川は挙動不審だった。坂下が怪しむほどに。何度も何かあったのかと問いかけられ、そのたびに平坦な声で、何も、と答える。やはり天川に何事もないふりは難しかったか。
「天川、具合が悪いなら部屋で休んだ方が良いんじゃないか。」
「え、いや、そう、ですね。そうします。」
俺の意図を察したのか、天川は大人しく自室へ戻っていった。坂下の前で普段通りの姿を見せられるようになるまで、動揺が収まるまで、接触はしないように。
「ごめんな、愛音。」
本当に申し訳なさそうにしている天川だが、そんな顔をするくらいなら行動くらい取り繕ってほしいものだ。
「ううん、無理すんなよ。」
知らないほうが良いこともあるんだ、坂下。




