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一週間  作者: 現野翔子
三津 橘視点

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7/11

八月十五日 三津視点

「あっ、橘先輩!おはよう。」

 洗い物をしていると、無理をして高い声を出しているわけではない、元気な挨拶が廊下から聞こえてきた。それと、駆け寄る足音も。今日は愛音くんの日だ。

 祐樹と話しながら入ってきた愛音くんを見ると、予想通りスカートを履いておらず、女の子らしい恰好もしていない。

 ここに昨日亜音と喧嘩した羽良くんが来ると面倒なことになるだろう。そのため、今この場から立ち去るのは避けたいと、二人の朝食を作ることを申し出る。たまにこういうことをしているため、特に怪しまれることもなく受け入れてもらえる。

 そうして朝食の用意をしていると、愛音くんは亜音であった時の確認をしていた。

「橘先輩、今日は何日?」

「八月十五日だ。」

「ってことは俺、昨日はもう一人の俺だったんだ。」

 亜音は愛音くんではないのに、彼らはそう捉えている。それが彼女を苦しめているとも知らずに。

「昨日の俺は何してた?」

「天川と喧嘩していたな。」

「なんで?」

 羽良くんが亜音と愛音くんを混同しているから。それを教えたって、愛音くんも祐樹も理解はしないだろう。亜音が傷つくような解釈をするだけだ。彼女のため、愛音くんがこれ以上知ることのないよう口を挟む。

「そんなの愛音くんは知らなくても良いよ。」

「でも、もう一人の俺だから…」

 その認識を改めてあげてほしいのに。知ったことでよりもう一人の自分という認識を強めるのなら、俺は愛音くんにこれ以上知ってほしいとは思えない。けれど、祐樹の考えは大きく違うようだ。

「知っていけないことはないだろう?」

「どうしても、って言うのなら、教えても良いけど。でもね、愛音くん。それは別人の話だから。愛音くんは聞いたら自分のこととして気にしてしまいかもしれないけど、そんな必要は一切ないから。羽良くんは愛音くんに対してだけじゃない行動をとるかもしれない。けど、それは羽良くんの問題であって、愛音くんが気にするようなことじゃない。」

 俺が止めても聞くのなら、せめてこれだけは聞いてほしい。言ったところで何の効果も期待できないけれど。羽良くんが亜音と愛音くんという二人を別人扱いできるのなら、こんな話をする必要だってない。残念ながらそれは叶わないし、愛音くんは今の話を真面目には聞いてくれていなかった。

 愛音くんはすぐさま祐樹のほうを向いて、昨日のことを聞こうしている。

「で、羽良と喧嘩してたって、なんで?」

「さあな。喧嘩した直後だったからお前は酷く取り乱していて、よく分からなかったんだ。」

「そっ、か…」

 声だけで分かるほど、愛音くんは残念そうだ。そもそも取り乱していたのは亜音で、原因は羽良くんが亜音と愛音くんを混同したことだと、俺は知っているけれど、当然教える気などない。


 二人が朝食を終えて、このまま平穏に終えるかと期待した時、間の悪いことに羽良くんが降りてきてしまった。

「あ、羽良。おはよう!」

 愛音くんは嬉しそうに声をかけるけれど、羽良くんは動きを止め、嫌そうな顔をする。昨日亜音にしたことを思えば、会いたくもなければ話したくもないということか。聞かれても答えられないから。亜音の時のことを愛音くんに教えたくないという点に関してだけは羽良くんと俺の意見は一致している。

 しかし、混同している羽良くんの態度は良くないことが多く、愛音くんも傷つけるものである。そんなことはなるべく減らしておきたい。羽良くんの態度で既に愛音くんは怖気づいているのだから。

「しばらく放っておいたらいいよ。そのうち元に戻るから。」

 亜音と仲直りすれば、普段の態度に戻る。



 気分転換にでも、と愛音くんを花壇へと連れて行く。

「ここって、いつも三津先輩が世話してんの?」

「そうだよ。」

「だから夏休みも帰省しないんだ。」

 それ以外の理由もあるけれど、わざわざ教えることはない。曖昧に笑って誤魔化す。

「それより、宿題もちゃんとしておかないと後で大変だよ。」

「えー、まだ大丈夫だろ。」

 愛音くんも後から慌てるほうだから、この言葉は信用できない。その上、愛音くんでいる期間は実際の日数の半分程度だ。亜音がやったって愛音くんの知識にはならない。

「今なら生物でも化学でも教えてあげるけど。」

「んー、だったらやろうかな。」



 愛音くんの部屋で宿題を見ていたけれど、どことなく集中できていないようだ。

「羽良くんのこと、気になる?」

「えっ、いや…、気になる。昨日の喧嘩が原因なんだろうとは思うけど。」

 あの態度では仕方ないのかもしれないが、なるべくなら何も知らないままでいてほしい。

 暗い顔をしていた愛音くんが、何かを決意したように宣言する。その内容は俺の望まないものだった。

「やっぱり俺、羽良に話を聞きに行ってくる。だって何も分からないし。自分のことのはずなのに俺が一番何も知らないから。」

「愛音くんは知らなくていいよ。何も。行っても羽良くんだって教えてはくれないだろうし。」

「それでも俺は知りたいから。」

 俺の制止を聞かないのはいつものことだ。亜音も愛音くんも傷つけられるだけなのに。


 予想通り、沈んだ表情の愛音くんが戻ってきた。

「続き、する。」

「じゃあ、ここからだね。」

 何と言って励ましてあげようかと考えていたことは無駄になったようだ。自分から、普段は嫌がる勉強をすると言ったということは、先程の出来事には触れてほしくないという意思表示だろうから。

 ほとんど形だけの勉強をしていると、扉の叩かれる音が飛び込んできた。

「どうしたの、祐樹。」

 その後ろには羽良くんも見える。先ほどの出来事から、愛音くんと羽良くんをあまり会わせたくない俺は、愛音くんの視線を遮るように立つ。

 二人を話し合わせたいらしい祐樹は、俺の行動が不満らしく睨んでくる。そして、愛音くんへと告げる。

「一緒に昼食でも、と思ってな。坂下も天川と話したいだろう?」

「うん!」

 なんて白々しいのだろう。話し合いが主目的だろうに。たとえ結果には繋がらないと分かっていても、満面の笑みで元気よく返事する愛音くんをこれ以上止めることなどできない。言っても聞いてくれはしなから。ただ、よほどのことがあれば止める心づもりだけはしておく。

「じゃあ、勉強はいったんここまでにして、ご飯にしようか。」

 何か言いたそうに先を行く祐樹を追いかけ、愛音くんと羽良くんを置き去りにする。まさかこんな短時間では何も起きないだろう。


 追いつくと、後ろの二人には聞こえないような小さな声で話しかけられる。

「意外だな。そんな必要ない、とか言うと思ったんだが。」

「あんなに嬉しそうにしてるんだから、それを止めることはないでしょ。」

 亜音には悪いと思うし、止められるものなら止めるけれど。それを祐樹に教える必要はない。


 調理室に着くと、俺は四人分の昼食を作ることを買って出る。そうすることで、二人の話し合いに協力するつもりはないということを、暗に伝える。

 俺の危惧を余所に昼食を終えるまでは、愛音くんは他愛のない会話を試みているだけだった。それに対する羽良くんの態度にも問題はあったが、それよりも問題なのは昨日のことに関する質問への対応だ。

「羽良、昨日の俺ってどんなだった?」

 やや緊張して、本当に聞きたかったことをようやく尋ねる愛音くん。しかし、羽良くんからの返事はない。

「じゃあ、何をしてた?」

 少し怯むも、愛音くんはめげずに質問を変える。それにも羽良くんは何も答えない。

「なあ、なんで何も言ってくれないんだよ。」

 悲しそうな顔をしつつ、それでも愛音くんは何とか羽良くんから言葉を引き出そうとする。それに対して羽良くんは、言いたくないから、という言い訳にもなっていない言い訳をする。

「羽良。俺、何かした?」

 何もしていない、そう言いつつ何かあったというような様子の羽良くん。愛音くんもその言葉を信じてはいないようだ。

「でも、さっき部屋に行った時、俺と話したくないって。」

「昨日の喧嘩について話したくないだけ。」

 言葉とは裏腹に冷ややかな対応に見える。亜音と愛音くんを混同している羽良くんは、本当は気まずくてどう対応すれば良いか分からないから会いたくないのだろう。

 愛音くんの追及は止まらない。

「いつもより冷たい気がするけど、それはなんで?」

「気のせいだろ。」

 取り付く島もない羽良くんの態度に途方に暮れた愛音くんは、祐樹に助けを求めた。二人の話し合いに積極的な祐樹はそれに応える。

「坂下は、昨日天川と喧嘩したことだけ分かってるんだよな。」

「うん。」

 それしか分かっていないとも言う。

「それが原因で、天川がお前に今みたいな態度をとっていると思っている。」

「うん。」

 愛音くんが祐樹から聞いて知った事柄と今の羽良くんの態度を繋ぎ合わせれば、その結論に至る。そこから愛音くんの考えは飛躍し、不安を覚えるのだ。

 祐樹による話し合いの補助は続く。

「で、その喧嘩の時に、自分が天川に何かしてしまったんじゃないかと心配している。」

「うん。だって、俺が何もしてないのにそんな態度をとるなんて、羽良はしてこなかったから。俺が何かしてしまっていたのなら、した本人が何も覚えていないのは悪いなと思って。」

 悪いのが羽良くんでも、した本人というのが亜音でも、純粋な愛音くんは自分が悪かったのではないかと不安を覚える。

 ここでようやく、これまで黙って聞かされていた羽良くんに話が振られる。余計なことを言って無駄に愛音くんを傷つけることのないよう、羽良くんを軽く睨む。残念ながら羽良くんには気付いてもらえなかったが、祐樹には気付かれてしまった。

「坂下はこう言っているわけだが、天川から何か言いたいことはあるか。」

「愛音に非はないのに、そんなことを思わせてしまうのは悪いと思ってる。俺が愛音と亜音ちゃんをきちんと分けられていたら、愛音にそう思わせてしまうことだってないはずだから。」

 本当に悪いと思っているかのように言う羽良くん。それならどうして、別人を別人として扱うという極めて単純なことができないのだろう。

「けど、昨日のことに関しては言えない。」

 ここだけは他の発言と違って、きっぱりと告げられた。それもすぐに頼りない態度に取って代わられる。

「なあ、もういいだろ。今度亜音ちゃんと話すから。」

「坂下はそれでいいか?」

 もう何も言う気がない羽良くんに代わって祐樹が愛音くんの意思を確認する。愛音くんは真っ直ぐに羽良くんへと返した。

「俺は謝ってほしいわけじゃない。ただ、昨日の俺について教えてほしいんだ。俺は覚えていないから。」

 羽良くんの、今度、という言葉だっていつになるか分からない。毎回亜音から譲歩しているのだから。

 愛音くんの言葉も亜音の存在を無視したものだ。彼女を想うと、その言葉を聞かなかったことになどできない。基本的には黙って聞いているつもりだったが、これは口を出すよほどのこと、としても良いだろう。

「昨日、愛音くんはいなかったよ。いなかったんだから、覚えていないんじゃなくて知らないんだよ。羽良くんのはただの八つ当たり。愛音くんはそれに怒ってもいいくらい。女の子の亜音がしたことで愛音くんが悪いと思う必要なんてどこにもないんだよ。だいたい羽良くんは、」

「三津。」

 本当に愛音くんが大切で、亜音が好きなの?そう続けようとしたが、祐樹に止められてしまった。お小言みたいになってしまったとしても、何か言っておかないと、愛音くんの時の記憶を持つ亜音を苦しめることになってしまうのに。

 図星を指されたのか、苛立った様子で羽良くんは答えるが、それに被せて愛音くんは懇願する。

「だからそれは悪いと思って、」

「今みたいな態度になってもいい。ただ、少しくらい説明してほしい。だって、何も言ってくれなかったら、俺は何も分からないままだから。」

「…できる限りは、そうする。」

 言うなり羽良くんは立ち去った。言い逃げか。少なくとも今は教えるつもりがないようだが、こんなの何かあったと言っているも同然だ。愛音くんを余計に不安にさせて、無駄な期待を抱かせただけ。結論が望まないものにしかならないのなら、話したって意味はないのに。

「愛音くんには余計に辛い思いをさせちゃったかな。」

「けど、あれでも天川なりに頑張った結果なんだ。それくらいは分かってやってくれ。」

「うん。羽良がどう思ってるか分かったし、それに説明してくれるって言ってくれたから。」

 祐樹は随分お優しいこと。愛音くんも表面上はそれに理解を示しているものの、表情は納得していない。

「先生にも相談してみるか?」

「職員室に行けば、時任先生にでも会えるんじゃない?」

 そこへなされた祐樹の提案に俺も賛成する。解決はしなくても、気にしないための助言くらいはしてもらえるかもしれないから。よく質問しに行って、親しい時任先生になら聞きやすくもあるだろう。

 俺たちからの情報を聞くなり愛音くんは飛び出して行った。それを見送った俺は、ある提案をしようと、祐樹に持ち掛ける。ただし、万が一にも他の人に聞かれないよう、自室へと誘ってから。



 部屋の近くに誰もいないことを確認し、しっかりと扉を閉める。

「祐樹がさ、愛音くんと羽良くんを仲直りさせようとしたのって、愛音くんが寂しがってたからだよね。」

「ああ、上手くいかなかったけどな。」

 俺と同じように、話し合いは失敗していると認識しているらしい。それなら、「坂下愛音」という一人の人間を大切にする祐樹なら、きっと羽良くんより彼(彼女)を優先するはずだ。問題はそれをどう認めさせるかという点だけ。

「愛音くんと女の子の亜音が傷つけられることがなくなれば良い、と思っている。」

「坂下が、だけどな。あんな風に頼られたら力になりたくもなるだろう?」

「それが、今一番重視すること。」

 そうであるのなら、これからの話も賛同してもらえるかもしれない。この際、祐樹が二人を一人として捉えないことには目を瞑ろう。

「なんでそんなに強調するんだ?」

「返事は?」

 不信感を与えてしまう、それでもこの確認は欠かせない。言いたいのは法に触れる行為であるから。

「まあ、そうなるんじゃないか。」

「じゃあさ、羽良くんがいなかったら何の問題もないと思わない?」

 亜音や愛音くんを傷つける主要因の羽良くんを殺してしまえば、彼女たちはきっと救われる。

「いなくなれば坂下は寂しがるだろう?問題ありだ。」

「んー、そうじゃなくって、さ。愛音くんが寂しがるのって、羽良くんに避けられた時でしょ?で、羽良くんが愛音くんを避けるのって、亜音ちゃんと喧嘩した時でしょ?」

 喧嘩をできない状態にしてしまえば良い。そう続けようとしたが、先に祐樹から反論されてしまう。

「それはつまり、喧嘩していない時はそうではないということだろう。なら、いなくなれば坂下は寂しがる。三津、何が言いたい。」

 祐樹はあまり羽良くんに悪感情を抱いていないようだ。これではアリバイ作りに協力してもらうのは無理そうだ。俺の殺意を悟られているとまずいため、何とか誤魔化す。善意に溢れた祐樹なら、都合よく解釈してくれるだろう。

「別にー?なんでも。ちょっとした愚痴だよ。羽良くんの言ってることとやってることの不一致にイライラしちゃったから。あーあ、もうすぐ台風も来るし、花壇に対策しとかないと。古川先生に手伝ってもらおうかな。」


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