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一週間  作者: 現野翔子
天川 坂下視点
3/11

八月十七日 天川視点

 昨日、亜音ちゃんと仲直りできたから、今日はためらわずに調理室まで降りていく。愛音でも亜音ちゃんでも今日は普通に対応できる。何も心配することなどない。


「おはよう!」

「おはよう。」

 先輩二人ともと、愛音もいた。いつも元気いっぱいな愛音は今日も元気よく声をかけてくれる。俺も努めて普段通りを意識して挨拶を返したからか、愛音は嬉しそうにしてくれた。


 朝食を終えると、愛音がトランプをしようと誘ってくれた。今日は台風が接近していて屋外に行けないから、屋内でできることをしようということだろう。一昨日は冷たくしてしまったから、なるべく聞いてあげたいけれど。

「まずは今日やる予定の宿題を終わらせないといけないから…」

 残念そうな顔をさせてしまった。小さく、ごめんな、と小さく付け足すが聞こえていないのだろう。なるべく早く終わらせるから。



 焦ると問題はなかなか解けない。やっと終わったと思ったところで、扉を叩く音が聞こえた。

「はい。何でしょう。」

 扉を開くと、そこにいたのは意外なことに三津先輩だった。

「ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど、今いい?」

 ちょうど宿題は終わったところだ。問題はない。


 三津先輩が言ったのは、花壇に防風ネットを張る手伝いをしてほしいということだった。今回の台風は強いそうだから、池の周囲の花壇すべてにするらしい。西、南、東の花壇には昨日のうちに張って、今日は北側だ。

 支柱を立てて、そこに防風ネットをしっかりと張るだけだ。作業自体は難しくない。

「よし、と。これで終わり。お疲れ様。ありがとう、助かったよ。いくらあと少しになっていても、一人ではしんどいから。」

 余った支柱は三津先輩が、ネットは俺が持って寮へと帰る。その三津先輩の背を見ながら思う。基本的には悪い人ではないのに、どうして亜音ちゃんにだけはあれほど辛辣なのだろうと。

 そして昨日のことを思い出してしまう。亜音ちゃんがこれから傷つけられるだろうことを、いなければ良かったのにと思ったことを。

 ふと花壇の端に置かれている煉瓦に目に入った。同時に、三津先輩は今前を向いていて、俺の姿が見えていないと思い至ってしまった。

 

 気が付くと目の前には頭から血を流した三津先輩が倒れていた。

 俺は手から煉瓦か滑り落ちたことにも気付かず、ネットも支柱もそのままに寮へと走り去っていった。



「橘先輩!俺、どうしよう?三津先輩を…!」

 ずぶ濡れのまま息を切らせて言う俺に、橘先輩は落ち着いた対応をしてくれる。

「天川、ひとまずシャワーを浴びてきたらどうだ?風邪をひいたら困るだろう?」

「え、あ、はい。」

 それどころではない。頭を冷やせということだろうか。


 橘先輩の言葉に従って浴場へと向かっていると、後を追ってきているようだった。その理由は分からない。ただ、一人でいるよりは安心できそうな気がして、何も聞かないことにした。


 シャワーを浴びて少し冷静になった気がするが、何から話せばよいのか分からず、黙り込んでしまう。

 それを察したらしい橘先輩が問いかけてくれてようやく、俺は一番話したいことの少し前から話し始めることができた。

「その…まず、三津先輩に、花壇に防風ネットを張る手伝いをしてほしいと頼まれて、手伝っていたんです。で、それが終わった後、寮に帰る途中で、その、」

 途中までは何もおかしいことなどなかったのに。どうしてあんなことを考えて、思い出してしまったのだろう。それがなければ取り返しのつかないことなどせずにすんだのに。

 言い淀んでいると、予想外のことを橘先輩が言いだした。

「三津に何かされたか。」

「え?」

「違うのか。」

 俺、三津先輩に何か恨まれるようなことをしていたのか。その、何か、が何なのか分からないけれど、実際に俺がしてしまったことと比べると大したことのないものだろう。そう思うと、相談したくもあるが人に言ってはいけないことのような気もする。

「はい、その、えっと。昨日、亜音ちゃんに三津先輩と仲良くなる方法について相談されたんですよ。でも、三津先輩っていつも亜音ちゃんに冷たいでしょう?」

「そうだな、キツイ言い方が多いな。」

 ここの同意が得られなければ、きっと責められるだけだから。同意が得られたとしても軽蔑されるかもしれないけれど。

「だから、亜音ちゃんがどんなに頑張っても、三津先輩に傷つけられるだけだと思って三津先輩の背中が見えて、傷つけられる亜音ちゃんを思い出して、煉瓦が目に入って、」

「そうか。」

 こんな俺の要領を得ない説明で分かってくれるのか。ここまで言って止めるなんてこともできないが、冷静な説明もできそうもない。

「気が付いたら、三津先輩が倒れていたんです。だから、俺、どうしよう?三津先輩を殺してしまった…!」

 どうしよう、と橘先輩を縋るように見てしまう。しかし、それに応えて橘先輩はしっかり考えてくれている。

 橘先輩は何か解決策を思いついたのか、真剣な表情でこちらを見てくる。

「天川、お前は坂下が傷つけられることのないようにしたいんだよな。」

「はい。…だからと言って、三津先輩を殺めてしまったことに変わりはありません。」

 人を殺したことには。いくら亜音ちゃんのためと言っても、人を殺すことは許されない。

「これが坂下に伝われば、むしろ坂下を苦しめることになるとは思わないか。」

「え?」

 どういうことだろう。亜音ちゃんのためであっても、愛音のためにはならないから、まさか、隠し通せとでも言うつもりだろうか。

「坂下からすれば、友人が親しい先輩を殺した、という事実を知らされる形になるわけだ。坂下はそれをどう思うだろうな。」

「それは…辛い、でしょうね。」

 橘先輩の言う「坂下」はどちらも示し得るけれど、今の場合はきっと愛音のことだろう。

「ああ、そうだ。なら、隠しておきたいな。」

「でも!」

 人を殺しているのに隠すのか。そんな罪を重ねるようなことをしていいはずがない。それにきっとすぐに見つかってしまう。それにも関わらず、橘先輩は隠す方向で話を進めていく。

「俺はさっきまで一人でいたし、坂下は時任先生のところにいる。だから俺と天川が一緒にいたと言っても不都合はない。三津が一人で池の周辺の花壇まで行ったことになっても不自然じゃない。いつも一人で行っているからな。」

「そう、ですね。でも、それだと何もなかったかのように振る舞うことになります。」

 信じられない。死んだのは橘先輩の友人の三津先輩なのに。橘先輩にはそれができるのか。不自然な点がないことと、動揺しないことは関係ないはずだ。

「何事もなかったかのように振る舞うんだよ。俺もお前も。」

「そんなのできません。だって、」

 俺が命を奪ったんだ。橘先輩は知らないふりができても、俺にはできない。人を殺害して平気な顔なんて。考え付く限りの理由をあげようとしたが、それよりも先に珍しく強い調子で言う橘先輩に遮られる。

「やるんだよ。坂下を苦しめたくはないんだろう?」

「そうですけど、」

「だったらやれ。坂下のために。」

 亜音ちゃんのために三津先輩を殺したから、今度は愛音のためにその死を隠す、と。そんな言い方をされたら、断りにくいし、できないなんて言っていられない。本当に隠しきれるか、怪しまれないような行動ができるかは分からないけれど。

「…はい。」



 午後からも愛音との接触はなるべく少ない方がいい。長く接していると、いつぼろが出るか分からないから。

 そう思って自分の部屋で大人しくしていたのに、愛音は訪ねて来た。


「羽良、勉強はもう終わってるだろ?トランプしよう。」

「愛音は勉強した?」

 朝から言っていたから、自分の勉強は理由に使えない。愛音がまだなら断れるけれど。

「うん。午前中に終わらせてある。」

「じゃあ…やろうか。」

 橘先輩なら他にいい言い訳を思いついてくれるだろうか。自分では何も思いつかないから、諦めるしかない。


 談話室のソファに向かい合って座ると、何も知らない愛音は楽しそうに何をしたいか聞いてくる。普段はそんなところを好ましく思っているけれど、この状況では逆に憎たらしくもある。

「羽良、何する?」

「午前中は何してた?」

「橘先輩に言われて勉強してたんだよ。」

 トランプをすることに夢中になれば、愛音は多少の不自然な態度に気付かないかもしれない。会話は早めに切り上げたい。勉強の話は長くなりそうだから、あまり追及しないようにする。

「ずっと?」

「ちょっとだけ遊んだ。その時は大富豪とかをしてたんだけど、」

「二人でする?」

 二人だと見られやすいから、橘先輩がいると安心だ。自分から呼びに行くと言うよりは、愛音から言わせた方がきっと自然だ。愛音も二人で大富豪は乗り気でないのか、微妙な表情をしている。

 愛音が橘先輩を呼んでくると言うのを待っていると、扉が開かれた。ちょうどいいタイミングだ。見なくても橘先輩だと俺には分かっている。しかし、愛音には分かっていないから扉のほうを見て、声を上げた。

「あっ、橘先輩も一緒にトランプしよう?」

 当然、俺もそれに賛同する。愛音の注目を分散させられるから。

「二人だとできるゲームが少ないなって言ってたんですよ。」

「ああ。何がしたんだ?」

 苦笑しながら愛音に聞く橘先輩。愛音の隣に座る様子にも、俺の見る限り不自然さはない。俺もあんな風に振る舞えるだろうか。そうしないといけないわけだけど、できる気はしない。

 もう愛音は橘先輩に向いていて、誘おうとしている。位置的に愛音には俺の姿が見えていない。

「大富豪!三人なら面白いだろ?」

「そうだな。じゃあどのルールを入れたいんだ、坂下は。」

 しばらくは二人でルールを決めるために話しているだろう。少しくらいは気を抜いても問題ない。

「今朝入れた以外のルールもあんの?」

「ああ、色々ある。ローカルルールもいっぱいな。調べればいくらでも出てくる。」

「へえ、面白そう。少しずつ増やしていこう。なあ、羽良もそれでいい?」

「え、ああ、うん。」

 愛音は大富豪のルールをそれほど知らなかったはずだから、聞いていなかったけど大丈夫だ。いきなり話しかけられて、返事が雑になってしまったけど。


 ゲームをしている間も、三津先輩を殺してしまったことやそれを愛音に隠さなければと常に意識していた。そのせいで普段と違うことをしてしまっていたようだ。愛音に何度も何があったのかを聞かれ、しどろもどろな答えしかできなかった。そんなことを繰り返せば、そのうち知られてしまうだろう。目も合わせられずにいるのだから。

 そんな俺の様子に橘先輩が気付かないはずもなく、俺にとって嬉しい提案をしてくれた。

「天川、具合が悪いなら部屋で休んだほうが良いんじゃないか。」

「え、いや、そう、ですね。そうします。ごめんな、愛音。」

 体調が悪いわけではない。そう断ろうと一瞬思ったが、愛音と一緒にいないほうがいいことを考慮に入れると、嘘を吐いて部屋に戻ればいい。亜音ちゃんとの喧嘩でも愛音を避けていたから、また避けるようなことになって申し訳ないけど。

「ううん、無理すんなよ。」

 疑った様子もなく純粋に心配してくれる愛音に、罪悪感がさらに募る。


 体調不良で休んでいる、ということにしているから、愛音もあまり訪ねてこない。来たとしても、具合が悪いせいの態度ということにできる。この間に、なんとか自分が人を殺したという事実と自分の気持ちに折り合いをつけなければ。


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