選ばれてしまった男-2
――――目が覚める。
最初に目に入った風景が見慣れない天井だったものだから一瞬身構えてしまった徹だが、よくよく見回してみるとこの部屋が組事務所のゲストルームである事を思い出してすぐに力を抜いた。
テーブルの上には昨晩使用した武器と装備類が無造作に並べて置いてある。
「そーいや夜中遅かったから部屋借りて寝かせてもらったんだっけ……」
誰に聞かせるでもなく呻きながら隣の洗面所へ。ゲストルームには自前のシャワールームまで完備されていた。冷たい水で顔を洗って意識をシャンとさせる。
顔を上げた徹は、鏡に映る水を滴らせた己の姿をしげしげと見つめた。ナルシストになったつもりはない。己の顔色から心身の調子を確かめるのは誰だってしている。
若干浅黒い肌をした細面の色男が鏡越しに徹を見つめている。肌の色は数年間の海外生活の名残だ。
もう30近い年齢だが、顔立ちのせいか若く見られやすい。首から下は、引き締まった筋肉のラインと隆起具合が日頃からの鍛錬の激しさを物語っている。
ただし、目つきが致命的なレベルで悪い。長い付き合いの面々からは「眼光だけで人が殺せる」などと好き勝手言われてしまうほどで、裸眼で外を出歩くと悪目立ちしてしまうものだから仕方なしに外出時はサングラスをかけなければならないぐらいだ。
おかげで小さい頃は――家庭の諸事情もあったとはいえ――教師や上級生に絡まれたり逆に忌避されたりと苦労させられたものだ。
ある程度成長してからは、目元だけ除けば中々整った顔立ちの甲斐あってそれなりに女にモテるようになった……が、今度はガラが悪かったり水商売の住人だったりそんな世界の女ばかり寄ってくるようになった。堅気の女相手に惚れた腫れた、なんてのはとっくに諦めている。
コップに水を汲んで寝汗で失った分の水分を補給し終えると、徹は現在の時間を確認してから部屋を出る。
廊下へ出てすぐにジャージ姿の若者と出くわした。かと思うと、次の瞬間には若者は背筋を正し、深々と徹へ向かって頭を下げた。
「お、お疲れ様です! お時間なのでお出迎えに参りました!」
「おーう、今行くところだぜ。皆もう揃ってんのか?」
「はいっ、兄貴たちは既に全員お待ちですっ」
威勢の良い声を発する若者だ。しかしその声に隠し切れない畏怖と怯えが含まれているのに徹は気づいていた。目つきのせいか、徹の組での立場や昨晩の仕事について聞き及んでいるからか。
それに気づかないふりをして徹は廊下を進み、階段を使って下の階へ。また廊下を出て目的の部屋へ向かう。扉の上には『ミーティングルーム』のプレートが掲げられていた。
徹が無造作に部屋の中に入っていくと、学校の教室ほどの空間に長机と椅子が並べられ、30人近い男たちが腰を下ろしていた。揃いも揃って荒っぽい雰囲気の持ち主ばかり。ゲラゲラと談笑したり、舟を扱いだり、思い思いに暇を潰している。
そんな男たちも徹が室内に現れた事に気づくと、すぐさま一斉に立ち上がって徹へと一礼した。
『お疲れ様です!!』
暴力団員というよりも軍隊の兵士を思わせる規律だった光景だった。もっとも兵隊レベルまで統率された行動を彼らへと叩き込んだのは徹自身なのだが。
「ああ、楽にしてよし」
手を振って徹が命じると男たちは椅子に腰を下ろし直す。ただし談笑の音量は先程よりも大幅に抑えられ、居眠りしていた者も夢の世界に戻ろうとはせずゆったりと椅子に体を預けるに留めている。
ミーティングルームには長机とセットで置かれている分以外にも壁際に並べて置かれた椅子が在った。その中の1つに徹も腰を下ろす。ここがミーティングルームにおける徹の定位置だった。
徹の入室から遅れて更に数分後、新たな人物が室内へと入ってくる。室内の組員たちが徹が入室した時以上に素早くかつ一糸乱れぬ動きで直立不動した。同じく徹も腰を上げ、気を付けの姿勢を取る。
恰幅の良い中年男性と、徹より数歳年上のエリートサラリーマンを思わせる男性が組員たちと向かい合う。エリート風の男は片足を僅かに引きずっていた。
「おう、皆楽にしてくれや。昨晩はご苦労だったなてめぇら」
この中年男性こそ全国に名を轟かせ、関東地方の裏社会では知らぬ者のいない権力者の1人である3代目三川組組長である。
組長の隣に立つのは三川組若頭の古原。元陸上自衛隊員で――――徹をこの世界に勧誘した張本人。
「それじゃあ鷹谷さん、昨日の夜の作戦報告頼まぁ」
「あいよ」
そして鷹谷は三川組の構成員に戦闘訓練を施す雇われインストラクター兼荒事における切り札……とどのつまり、三川組お得意の殺し屋だった。
どちらかといえば傭兵の方が近いと、徹自身は考えている。
「射撃停止! 射撃停止!」
口元のマイクへ繰り返し怒鳴ると、銃声の多重奏はすぐに中断された。
車列が吐き出す排気ガスよりも更に濃厚な硝煙の臭いが周囲に漂っている。特徴的な火薬の濃密な香りですらかき消せないぐらいの血の臭いも、徹の下まで届いてきた。
ヘッドセットを装着したまま耳を澄ます。大音量の銃声が途切れた後に残ったのは、車列から発せられるかかりっぱなしのエンジン音だけ。
「A班、2名俺につけ。残りは周辺を警戒」
囁き声で指示を飛ばしながら徹も荷台から飛び降りる。肩からスリングで吊るしたMK47Kを背中に回すと、サブアームの拳銃を太股に巻きつけたホルスターから抜いた。
徹のサブアームはシグ・ザウエル社のP320。自衛隊に採用されている9ミリ拳銃のオリジナルであるP220、そこから数段階の進化を経て開発された新世代の拳銃である。外見も中身もP220とはほぼ別物と言っていい。
P220との大きな違いはハンマーが内蔵型になっている点と特徴的なデコッキングレバーの廃止、マガジンの大型化によるP220の倍近い17発(+薬室に1発)もの装弾数など数多い。元はタイ王国国家警察庁からの横流し品だ。
徹の指示を受けたA班メンバー2名と合流すると、コンクリートとガードレールで構成された中央分離帯を越えて反対車線へ。車両から脱出した敵がいないか確認する。
最後尾のSUVは主に徹の屋根越しの銃撃によって全員射殺されていた。
悲惨なのはライトバンに乗っていた護衛たちだ。護衛が使っていたライトバンは運転席がある右側にドアを備えていないタイプだった。徹やヤクザたちが使ったアサルトライフルには耐えられなかったがまがりなりにも防弾車両なので窓も殴った程度では破ったりはできない。
唯一脱出のチャンスがあったであろう運転手はといえば、ドアを開けるまでは達成したもののシートベルトを外す前に防弾ガラスを貫いた銃弾に頭部を砕かれて息絶えていた。事故から命を守ってくれるはずのシートベルトのせいで殺されるとはついてないな、と徹は皮肉な気持ちを抱いた。
車内から出られぬまま車ごと蜂の巣にされた護衛の死体が詰め込まれたライトバンの窓はどれもべったりと鮮血がこびりついている。やや黄色がかった街灯からの光のせいか赤というよりも黒のペンキを車内で破裂させたように見える。
本命であるトラックの運転手と助手席の護衛も体にいくつも穴を開けて死んでいた。
続いて徹から見て4台目、高級セダンの斜め後ろへとガードレールを挟んで接近した時だった。
「!!」
突然、セダンの後部ドアが開いた。同行していた組員2人が背後で驚きに身を強張らせたのが気配で分かった。
もちろん徹も緊張したが表には出さない。冷静に拳銃の照準に捉える。
『誰か、助けて……』
後部座席から転がり出てきたのは輸送部隊の責任者であるチャイニーズマフィアの幹部。
身を包んでいた高級スーツに複数穴が生じ、傷口から溢れる出血で汚れていない部分の方が少ないという、酷い有様だ。運良く――もしくは不運にも――致命傷にならない場所にばかり当たったお陰で死なずには済んだ様子。
中国語はせいぜい読み書きぐらいしか心得のない徹でも、イントネーションから幹部の中国語の意味は検討がついた。大方命乞いか助けを求めているのだろう。
輸送部隊の人員は皆殺しは規定路線だ。
無言で拳銃のトリガーを2度引き絞る。2発の9ミリパラベラム弾は容赦の欠片もなく幹部の頭部を貫いた。息の根が完全に止まったのを確認ついでに胸元を探ってスマートフォンを抜き取る。
最後に先頭のSUVを調べ、全員の死亡を確認。こちらは死体の様子から最初のM240機関銃の掃射で既に全員死んでいた事が分かる。米軍の不良軍人からM240を手に入れた甲斐があったというものだ。
「全ての標的の沈黙を確認。A班、B班、状況報告」
『A班、損耗なし』
『こちらB班、こちらの被害はなしだ』
「OKOK、上出来だ。次の段階に移るぞ。封鎖に使った車を動かせ、それから待機していた部隊にも連絡しろ」
最も危険な段階は終わった。
けれど面倒なのはここからだ。現場をこのまま放置するわけにもいかない。
現場隠蔽のタイムリミットは本格的に港湾地帯が目覚める夜明けまで。周囲一帯は輸送部隊が来る前の時点で密かに封鎖して一般人が入り込まないようにしてある。
斜線の半分を塞いでいた大型トラックのエンジンに火が入り、車の位置を車列に合わせると荷台の扉が開けられ、細長い鉄板を1組引っ張り出して即席のスロープを作った。連絡を受けた仲間のトラックも新たに現場の道路へやってくる。合流した車の中には冷凍車が混じっていた。
「よし引っ張り上げるぞ!」
「気合入れて押せゴラァ!」
銃撃を受けた車は主にウィンチと人力を駆使して大型トラックの荷台へ。
「蜂の巣なんて死に方は御免だぜ、くわばらくわばら」
「コイツ意外と持ってやがったぜ」
死体は装備を剥いで冷凍車に運び込む。時間が経過して異臭を放ち始める前に死体を冷凍し、組所有の施設で機械で粉砕すれば判別は不可能となる。
装備を剥ぎ取るついでに死体から財布をくすねる者もいるがその程度はご愛嬌だ。
「しっかり目ぇ光らせろよ。1つも見落とすんじゃねーぞ!」
ダンプや他の車に搭載してきた照明で現場一帯を照らし、使用済みの薬莢や破壊された車の破片は業務用の大型掃除機でまとめて回収。
「おい、こっちに洗うヤツ持ってきてくれ!」
「ういっす!」
マフィアの車両から漏れた血痕は早いうちに業務用の高圧洗浄機で洗えばほぼ目立たない。
ついさっき人を何人も射殺した犯罪者の集団とは思えぬキビキビとした動きで隠蔽工作を行う組員たち。
徹はといえば、数人の組員と一緒に周辺警戒に立っている。
このペースなら1時間足らずで片付くなと考えていると、エンジン音が近づいてくるのに気付いた。障害物に身を潜め、ハンドサインで警戒するよう他の見張りに促す。
車両が視認できる距離まで近づいてきた。街灯によって浮かび上がった車種とナンバーには見覚えがあった。助手席に乗っている人物がサイドウィンドウを開けて手を振っている。
「警戒解除、いつもの連中だ」
車両――――私服警官向けの捜査車両が停車する。覆面パトカーからスーツ姿の男が2人、隠蔽作業中の徹たちの元へやって来た。
周辺警戒以外は手すきであり、作戦の現場指揮官でもある徹が相手をした方が良いと考え、彼らの元へと近づいていく。
「どーもどーもこんな時間にご苦労様ですねぇいや本当」
「そっちこそ夜中でも仕事熱心なこった。なぁ、裏河組織犯罪対策本部主任殿」
裏河と呼ばれた男……警察の中でも組織犯罪、特に銃器と薬物関係の事件を中心に捜査する部署を最前線で指揮する現職の警察官は徹の物言いに決して怯まず、逆に不敵な笑みを返した。