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選べなかった男-4



 いじめの標的になった発端は涼にもよく覚えていない。


 確か最初は涼が都会育ちなのが気に入らないだとか何だとか、そういう些細で下らない因縁だったような記憶がある。


 その指摘は間違ってはいない。涼と妹がそれまで暮らしていた土地は日本有数の巨大港湾地帯に隣接する政令指定都市だった。


 とはいっても実際にはその大都市から祖父母が暮らす田舎町までは2~3時間も走れば到着する程度の距離しか開いていないし、相手も因縁をつける理由が欲しいからネタにしただけであろうから、本当に気にしていたかどうかは怪しいものだ。


 いじめの主犯は地元有数の権力者の息子。親の金と権力で好き勝手にやりたい放題する、典型的なボンボン。


 しかし少なくともいじめを表立たず隠蔽するだけの悪知恵は持ち合わせていた。


 まず、いじめ行為そのものは人目のある教室で行わず涼を校舎裏や屋上に呼び出してから行われた。


 涼に呼び出しを無視する、或いは逃げ出すという選択肢はなかった。


 拒否すれば最後、どんな地獄を味あわせされるか考えたくもなかったし……選ぶ度胸も持ち合わせていなかった。


 指定場所にやってきたらまず全裸にされる。服を汚してしまうと周囲に疑われる一因になりかねないとの判断かららしかった。それだけでなく涼に惨めな気分を味あわせ、なけなしの抵抗への気概をへし折るには十分過ぎた。


 裸にされた後、どんな目に遭わされてきたのかは思い出したくもない。


 季節を問わず、呼び出される度に必ず裸を強要された。猛暑日の屋上に呼び出された時は強烈な日差しと熱せられたコンクリートのせいで夏の終わりまで全身がヒリヒリ痛んだ。雪がちらつく真冬日に呼び出された翌日には高熱に襲われた。


 他のクラスメイトは詳しい実態までは知らないにしても、呼び出しから戻ってきては酷く憔悴しきった涼の姿からいじめに関してはある程度察せていただろう。


 クラスメイトは――――何もしなかった。


 止めようとも、教師に報告しようともしなかった。何もしてくれなかった。誰も涼に話しかけず、関わろうとせず、存在しないもののように扱った。


 涼もまたクラスメイトに助けを求めようとはしなかった。見ないふりをしている時点で当てにするのは止めていた。


 卒業までの期間、同じクラスになっただけの赤の他人のみでなく、今の保護者である祖父母や、妹にすらいじめについて打ち明ける事無く地獄の日々を耐えて過ごした。


 いじめられるようになってから妹との距離も遠のき始めた。


時間が経つにつれて妹からの視線も変化していった。最初は疑惑、次に怒り、やがて諦観ののち無関心へ。きっと兄のあまりの不甲斐無さに嫌気が指したに違いない。


 祖父母については生前の両親と仲が悪かったせいで互いにどう接すればいいのか分からず、自然と相互不干渉が常になってしまっている。そんな関係だから相談を持ち込むにはいささか度胸が必要で、涼はそんな度胸など持ち合わせていなかった。





 ――――槙原涼は選ぶ事ができない人間だ。


 家族に助けを求めるという選択すら選べない臆病者だった。






 ただ2回だけ、意を決して誰かに助けを求めた事がある。


 1度目は担任。一見今時は珍しい熱血漢風の教師で、呼び出しを受ける度にどんな目に遭わされているのか涙ながらに涼が白状すると、担任は頷き、他の教師や校長にも相談すると請け負い――――


 何も変わらなかった。訴え自体がなかった扱いにされ、よりにもよって教師までクラスメイトと同様に涼と関わりを持とうとしなくなった。


 いじめグループのリーダーが持つ権力は涼の予想を上回っていた。親の七光りとはいえ権力は絶大で、学校そのものを支配していると言っても過言ではなかったのだ。


 2回目に涼が助けを求めた相手も教師だった。ただし時期は中学を卒業して数週間後、相手は進学先の高校での新たな担任であった。


 いじめの主犯も涼と同じ高校に進学していた。そもそも涼と妹が転校した学校は中高一貫の付属校で、ついでに田舎町に1つしかない高校だったから、中学時代の顔ぶれがそっくりそのまま進学してくる格好になるのは必然的だった。


 故に、高校に入ってからもいじめは続いた。


 それでも今度こそ、この学校の教師なら助けてくれるのではないか、そんな淡い希望を胸に涼は新しい担任へといじめの件を訴え出て、そして。


 そして……結局何も変わらなかった。


 高校の教師陣も中学時代の担任達と同じく、一生徒の背後にある権力者の陰に怯えて屈したのだ。


 学校のみんなは誰も助けてくれない。家族に助けを求める度胸は涼にはない。


 悲しくて、悔しくて、憎くて、悩んで悩んで考えて考えて考えて考えて考えて考え考えて考えて考えて考え続けて頭の中で何かが限界を迎える音が聞こえて。


 猟友会に所属する祖父の猟銃を手に学校へ向かって。


 そして。


 そして―――――……………










 目を覚ます。


 ベッドに寝かされているのだと理解するまでしばらくかかった。体を起こそうとすると途端に酷いめまいに襲われたので、僅かに首を動かして周囲を見回した。


 涼が寝かされているのはみすぼらしい小さな部屋だった。床も壁も天井も木の板の地肌がむき出しになっており、古い家屋か山小屋を連想させた。


 窓から光が射し込み、外から風の音が聞こえる。地下ではなく地上なのは間違いない。明らかに地下洞窟とは別の場所だ。


 ここは一体どこなのだろう? 誰がこの部屋まで涼を運んで寝かせてくれたのだろうか?



「……? ……ぁ……っ」



 声をあげようとして失敗する。喉が渇いていた。ひゅーひゅーと奇妙な呼吸音しか発する事しかできなかった。


 必死に視線で周囲を探るとベッドの頭側に小さなテーブルが見えた。テーブルの上には水差しとコップが置いてある。


 必死に手を伸ばして取ろうとしたが、大きく体を動かせば動かすほど世界がグルグルと回り、あっという間に気力が萎えてしまった。腕を持ち上げるのも一苦労だった。やがてめまいと無力感だけでなく強烈な空腹感までも涼を襲った。


 中途半端な行動の結果、それほど大きくないベッドの淵から片腕を垂らした姿勢で動けなくなった涼が「み、水……」と呻いていた時、部屋の外から足音が聞こえた。


 部屋の扉が静かに開く。


 最初、疲れと空腹で視界がかすんでいた涼の目には入室してきた人物が女性である事しか判別できなかった。



『qsedgyvdedoghkssueumae~!!?』



 何語を話しているのかさっぱり理解できなかったが声色から涼の事を気遣ってくれているのは分かった。


 慌てた様子で小走りにベッドの元まで近づいてきた女性は、涼をゆっくりと抱き起こすと、水差しの中身をコップに注いで涼の口元へ持っていった。


 乾いた唇に液体が触れる。水分を求める涼の肉体が反射的にコップの中身を口の中へ取り込む。


 中身は単なる水ではなく、甘酸っぱさと緑臭さが入り混じった奇妙な味がしたが、求めてやまない水分には違いなかったので涼はそれを喉を鳴らして一気に飲み干した。


 すると飲み物が流し込まれた胃を中心に、体全体へ熱が広がっていくような感覚が涼の体内を駆け巡った。決して不快ではない。むしろ心地良く、体の中身がそっくり入れ替わったみたいに活力が漲るのが分かった。


 涼の変化が分かったのだろう、女性が安堵の吐息を漏らした。再び女性が口を開く。



「ア……あー……ワタシの言葉、分かりますか?」


「――――へっ?」



 次に女性の口から発せられたのは先程のような解読不能の言語ではなく、少しつたないが涼でも十分聞き取れるレベルの日本語だった。



「ワタシの言っている事がお分かりになりますでしょうか?」


「あ、あっ、はい、分かります」


「そうですか、良かったデス」



 虚を突かれた涼は意思疎通の成功に胸を撫で下ろす女性をまじまじと見つめる。栄養ドリンク的な飲み物の効果か、視力もくっきりと明瞭な視界を取り戻していた。


 寮の介助をしてくれた相手は実際には女性ではなく、少女と表現した方が正しかった。涼と同年代に見える。中世風の質素なドレスらしき服を着ていた。


 口下手な部類の涼でも胸を張って断言できるレベルの色白の美少女なのだが、1点だけ異質な特徴の持ち主でもあった。



「あのー……」


「ハイ、何でしょうか」



 キョトンと小首を傾げるその姿が妙に愛らしく、顔が赤くなるのを自覚しながら涼は口を動かす。



「その…………耳なんですけど」



 少女の耳は常人の耳の形状から大きくかけ離れていた。細長い二等辺三角形じみた形をしており横方向へ大きく飛び出している。


 少女の反応に合わせてぴょこぴょこ揺れる様子と質感の生々しさから、偽者のアクセサリーには到底見えなかった。


 動揺する涼を落ち着かせるためか、少女はまた優しげな笑みを浮かべた。



「分かります、驚いたでしょう。そちらの(・ ・ ・ ・)世界(・ ・)にはヒト種しか存在しておられない筈でしょうから」


「せか……え?」



 意味を理解し損ねていると少女の顔色が真面目なものに一変する。


 涼と同年代にしか見えないにもかかわらず、表情を引き締めた少女の姿は何歳も年上の大人物を思わせる威厳を放っていた。



「貴方がたがこの場にいる理由を説明するための場を整えてありマス。先程飲まれた水には我が種族に伝わる気力回復の秘薬を混ぜてありましたのである程度体力は取り戻されたと思うのですが、お具合は大丈夫ですか?」


「た、多分……」



 すると少女は分かりましたといった風に頷き、



「ガゼル。この方を支えてあげて。皆の下へ参ります」


「ハッ!」



 いつの間にかもう1人、新たなエルフが室内に増えていた。


 凛々しい美貌の持ち主で、背が涼よりも高い。女騎士といった風情だ。


 きびきびとした身のこなしでベッドへ近づくと、長身のエルフは涼の腋へ腕を差し込んでベッドから引っ張り起こした。密着した体の感触から女だてらにかなり鍛えこんでいるのが服越しに伝わってきた。


 遅ればせながら学生服の上着が脱がされている事に気づく。上着のありかを尋ねる前に少女と女騎士が移動し始めたため、仕方なく質問を飲み込むと女騎士の肩を借りて部屋を出た。


 女騎士から伝わる体温と柔らかな感触に自然と動悸が激しくなった。


 自分よりも身長が高くて逞しくても女騎士が美人なのは変わりない。胸も中々の大きさで、涼の体に当たる横乳の感触がまた思春期の少年には強烈な刺激だった。


 美人と胸が触れ合うぐらい密着状態にある、という貴重な体験に気恥ずかしくなった涼は、運ばれる間ずっと顔を真っ赤にして俯き続ける事しかできなかった。



「どうぞお入りくだサイ」


「あ、はぁ……」



 肩を借りたまま案内された部屋の中へ入ると、逞しい体格揃いの複数の男達が仁王立ちで涼を待ち受けていた。 即座にUターンして寝かされた部屋に戻りたくなった涼だが、女騎士がしっかり涼の腕を握り締めているので逃げ出すのは不可能だった。


 仕方なく女騎士に導かれるまま、空いていた椅子におっかなびっくり腰を下ろす。


 涼が座った椅子の前には分厚い天板を備えた大型のテーブル。横からだとテーブルの天板は複数の層に分かれているのが見て取れる。2枚の木板の間に分厚い鉄板を挟んでいるのが分かった。


 テーブルを囲んでいる男達の半数弱はエルフ、残りはほぼ全員白人系の人間で、彼らもまた簡素な中世ヨーロッパ風の服装をしていたのだが、1人だけ別のいでたちをした人物がいた。


 見覚えのある人物だった。 あの洞窟で出くわした中の1人――――



「あ……」


「俺の顔に何かついてやがんのか? あ?」



 凶悪な目つきをした色男が、腕を組んで不快な表情を浮かべながら涼の隣に座っていた。





 今度こそ本気で、涼はこの部屋から逃げ出したくなった。




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