選べなかった男-3
手首がね、最近ポンコツなんです…(遅れた言い訳)
――――割れ目の向こう側に広がっていたのは更に広い洞窟だった。
例えるなら涼がこれまでいた洞窟は広い部屋に繋がる細い通路のようなものであった。広さは学校の教室を縦に2つか3つ並べたぐらいの広さだろう。
光源の正体は洞窟の天井に規則的に設置された照明によるものだった。天井には照明以外にも電線やレールのようなものが何本か走っており、見回してみると空間の一方の端に頑丈そうな鋼鉄製の台が横並びに据えられているのも目に映った。
(何なんだろう、この空間)
人の手が加えられた空間であるのは明らかだ。
天井や壁面そのものは岩肌が剥きだしになっているから、天然の洞窟を誰かが見つけて手を加えた場所なのかもしれない。
頭がぼんやりとする。足が勝手に台が並ぶ方へと涼を向かわせた。ライフルを持ってふらふらとさまようその姿は明らかに異常者だが、それを指摘する者は誰もいない。
――――今はまだ。
台へ近づくと壁面の一角に別の通路らしき穴が存在するのが分かった。穴の入り口だけでも涼が通り抜けた割れ目よりもずっと大きい。
涼の位置からは急な傾斜にわざわざ鉄板とフレームとボルトを打ち込んでこしらえた階段が上へ続いているのが見えた。照明用の電線も、階段がある穴の天井から延びている。
どうやら涼は誰かが苦労して作り上げた秘密の地下空間に辿り着いてしまったらしい。
どんな人物が何のためにこんな空間をこしらえたのかはさっぱり不明だが。
不意に自分が他人の部屋(?)に入り込んでしまった侵入者であると思い至った涼は、居心地の悪さを覚え、この空間から立ち去る事にした。
階段のある穴ではなく、先程自分が通ってきた細い割れ目の方へ向かおうときびすを返し、心身共に疲れきっていたせいで足元をふらつかせてしまった時だった。
爪先が何かを蹴飛ばし、キンキンキン、と甲高い音を発した。
「…………?」
やけに金属質で、小銭を落としてしまった時の音とよく似ていた。小石を蹴ったにしては違和感があった。
足元に視線を落とす。
一瞬、転がっている物体の正体を頭が認識しなかった。
それは猟銃の使い方を調べた際に画像で何度も目にしたはずの物体。同じ存在が学生服のポケットに突っ込んだ紙箱の中にも収められている。
(これって、確か、銃の弾の……)
物体――――使用済みの空薬莢を見下ろしながら、涼はぼんやりと頭を傾ける。
どうしてこんな物がこんな所に転がっているのか分析するには脳へのエネルギーが足りなかった。そして注意力も散漫な状態だった。
だからすぐそばまで近づきつつあった階段からの足音も気づくのが遅れてしまった。
最後の1段を踏みしめる硬質の残響をようやく認識して振り返る。
階段への穴の入り口部分に2人の男性の姿があった。
長髪の男性と短髪の男性。
対照的な2人だった。というよりも長髪の方は一見常人だが、もう1人の男性があまりにも異質な人物であった。
長髪の男性は甘いマスクの色男だ。が、異様に悪い目つきが魅力を相殺している。
眼光の凶悪さえ除けば一見モデルにも負けないスラリとした美男子に見える。しかし途中まで袖が捲り上げられた長袖シャツから覗く腕は発達した筋肉のラインが浮かんでおり、外見だけの軟派なアイドルやホストの類とは一線を画す人物であるのが感じ取れた。
色男は巨大なバッグを肩に引っ掛け、長袖シャツの上に釣り人や猟師が着ていそうな多数のポケットを備えた黒色のベストを着込んでいた。体格の割にベストのサイズはやや大きい。
涼の度肝をぶっ飛ばしたのはもう1人の男性である。
(な、何だあの人!?)
短髪の男性は一言で言って――――巨大だった。
身長は間違いなく2メートルを超えている。なまじ比較対象となる存在がすぐ前に並んでいるせいで際立って見えた。
単純に身長だけが高いのであればそこまで驚かなかっただろうが、短髪の男性は背丈のみならず体のパーツ1つ1つもまた常人よりも遥かに太く、大きかった。
首も太ければ腕も太い。下半身も太股・ふくらはぎ問わず服が内側からパンパンで、何より胸板の厚さが際立っている。相撲取りかプロレスラー、或いはラグビーやアメフト選手でもここまでの体格は滅多にいまい。
そして顔の方はといえば、これまでとは別の意味で色男と正反対の顔立ちだった。
有体に言って短髪の男性の顔立ちは醜い。額は広く、目は小さく、大きな口から常人より発達した犬歯が見え隠れしている。まるで獣のようだ。
ただし鼻に関しては整った鼻梁をしていて、小さい目もどちらかといえば愛玩犬のようにつぶらな瞳だ。色男が目つきだけ凶悪とすれば、大男は目つき以外が凶悪というのもまた対照的だった。
最後にもう1つ特徴的なのは大男の耳。
短髪から覗く大男の耳は、両方とも途中から焼き潰したような醜い傷跡が刻まれていた。
大男も色男と同じく迷彩柄の大きなバッグを肩に提げている。
この2人がこの洞窟の主なのだろうか。立ち尽くして思わず男性たちを見つめてしまう。
「――――誰だテメェ」
長髪の男性が涼を睨みつけながら冷たい声を発した。
彼らからしてみれば今の自分はどこからともなく現れた侵入者であることに、遅ればせながら涼は気づいた。
しかも涼の手には猟銃が握られたままだ。灯りの下に出るまで自覚はしていなかったが、散々夜の山中を這いずり回ったせいで学生服もひどい有様と化していた。
ボロボロに汚れた学生服姿の銃を持った少年――――怪しいを通り越して危険人物にしか見えないだろう。涼自身、そう思う。
色男が甘いマスクには似つかわしくない凶悪な眼光をライフルへ向けたのを涼は感じた。
「ちがうんです、これは……」
慌てて弁解しようとした涼だったが、実際には蚊の鳴くような掠れた声しか出てこなかった。
次の瞬間、色男はバッグを手放したかと思うと、信じられないぐらい素早く右手をベストの内側へと伸ばし……
「待つべ兄ちゃん!」
ベストの内側から右手が抜かれるよりも早く、大男が腕を色男の前にかざして止めに入った。丸太のような太さの腕が、妙に涼の目に焼きついた。
「兄ちゃん、この子もしかしてほら、昨日連絡があった学生じゃねっべか?」
(に、兄ちゃん?)
訛り交じりの大男の言動に目を白黒させる涼。
連絡があった、というのはきっと涼を山の中まで運んだバスの運転手や車を降りた時にすれ違った登山客が、学生服のまま森に入っていった涼を怪しんで警察や救急隊に通報したのだろうと予想がついた。
それよりも凶相の大男が色男に対して『兄ちゃん』と呼びかけた事に対して涼は驚愕した。
まったく似ていない両者が兄弟なのも驚きだが、大男が兄で色男が弟ならまだ理解できる。しかしよりにもよって大男の方が弟? 体格差もそうだが顔の老け具合も大男の方が最低でも5歳は上にしか見えないというのに。
「おらが話してみっべ。だから兄ちゃんは……」
「ッチ、わーったわーった、手ぇ出すなってんだろチクショウめ」
渋々といった態度で色男は吐き捨てた。目つきの悪さから何となく察せられたが、やはりガラも口も悪い性格のようだ。
大男も提げていたバッグを下ろすと、両手を頭の高さにまで掲げて危険なものは何も手にしていないのをアピールしながら、涼へ向かってゆっくりと近づいていく。
「ひっ!?」
巨体も風貌も常識離れしている大男が1歩ずつ近づいてくるごとに威圧感が倍増しているような気分になった。
発作的に涼は猟銃を持ち上げ、銃口を大男に向けてしまった。弾が装填されていないことなどとうに頭からすっぽ抜けている。
「!!」
「大丈夫! 大丈夫だっぺ」
再び懐へ手を伸ばそうとした色男に先んじて大男が制止の声を上げた。
疲れに疲れきった涼には腕の中の銃がまるで巨大な鉄の柱のように重たく感じられた。重量もさることながら、銃を人に向けるという行為そのものの重みに、涼は早くも負けそうになっていた。
銃口は不安定に揺れ、引き金にかけた指も危なっかしく痙攣を繰り返している。もっとも何かの弾みで引き金を絞りきってしまっても銃が発するのは撃鉄が空打ちする音のみなのだが。
じりじりと大男と涼の距離が縮まっていく。
「怖がんことはなにもねーべ。んだから落ち着いて欲しいけんろ」
異様な風貌からは信じられないぐらい優しい声色だった。
声だけでなく、彼のまなざしもまた柔らかな気遣いの感情が伝わってきた。武器を向けられている事よりも涼の容態の方を本気で心配してくれているのだと分かった。
……こんなに優しい声をかけられたのは何年ぶりだろう、と涼は思った。
とうとう腕を伸ばせば触れられる距離まで大男は近づいてきた。大男の手が伸ばされると、厚手の手袋でもはめているのかと思うぐらい大きな手のひらがそっと猟銃の銃身に添えられ、慎重に銃口の向きを舌へと動かしていく。
涼は大男の行動に抵抗しなかった。そもそも最初に銃口を向けて以降はほぼ惰性で構えていたに過ぎない。
「銃を渡してもらえるくんろ?」
「あ、はい」
大男の頼みに涼が素直に従おうとした瞬間。
男性の胸元で、唐突に閃光が生じた。
「え……!?」
「んな……!!?」
驚愕の叫びが2人の口から漏れる。
彼らの声を飲み込むかのように閃光はより強さを増していく。あまりの眩しさに何が光っているのかすら判別ができない。
『――――――――、――――――』
視界が真っ白に塗り潰されていく中、閃光の奥から何かの音が響いてくる。
光が強まれば強まるほど明朗さを増していく音の正体は。
(女の子の声……?)
最初は小さく途切れがちだった声が、やがて明確に涼の耳朶を打つほど鮮明に聞こえるようになっていた。
言葉の意味はまったく分からない。涼に理解できたのは日本語とも英語とも明らかに違う言語である事、一定のリズムと韻を踏んで朗々と唱え続けている辺り呪文か何かの詠唱ではないか、という点ぐらいだった。
ふと、見えない手に体を掴まれた気がした。足元から無理矢理引きずり込まれていくような怖気の走る感覚。
悲鳴を上げようとしても手遅れだった。感覚に次いで意識も急激に遠のいていく。
「何ボサッと突っ立ってやがる!!」
誰かのそんな絶叫が聞こえたのを最後に、涼の意識は再び暗闇に消えた。