第一章 黒のマリオン
美人だと思っていた自分が見知らぬ、しかも平凡な顔になってたら、ショックですわね。
※申訳ありません、最初に設定ミスでやらかしまして。
第一章 黒のマリオン
春風の精のような姿のマリオン。
闇の使者のような黒髪の兄デューカと瓜二つの。
でも、鏡に映る姿は違う。
(そんなはずない)
何かの間違いだ。校門を飛び出したマリオンは、息を切らして石の門に寄りかかった。
汗だくになっていることに気づき、ハンカチで顔を抑えながら何気なく空を見る。
そして、息を飲んだ。
空が、破れていた。
まるで、オレンジの皮が破けているみたいに。
プレゼントの包み紙を、子供がいたずらで少し破りとったみたいに。
晴天の青空が破れていて、そこから暗黒の色が見えていた。
目を凝らすと、瞬く星々も見える。
(空の向こう側が、夜?でもこれはどういう)
ぐらっと、めまいが起こった。
頭の中身がかき回されるような、痛みに似た感覚。
立っていられなくて石の壁にしがみついた。たらたらと汗が流れ、あごから首にかけて滑ってゆく。
(きっと、大きな事件が起きているんだわ)
めまいが収まると、マリオンは歩き出した。
うちに。うちに帰らないと。
気が付くと、右のすねから血が流れている。ガラスの破片で切ったらしい。
そういえば、と右の肩に手をやると、ぬらぬらと赤く濡れた。あ、傷だ、と自覚した瞬間に痛みが生まれる。
(デューカ)
足をひきずりながら歩いた。
いつもの通学路を、一歩、一歩、のろのろと進む。
それにしても、人通りが少なすぎた。
やっとのことで大通りに出る。お店やビルが並び、車や自転車、歩行者が行きかうはずの場所が、しいんと静まり返っている。
(ああ、いつもの喫茶店)
よく下校時に、友達と寄り道する喫茶がある。
外観は全くいつもと変わらない。紫色に塗られた外壁と、「営業中」の看板。それに明かりもついている。
思わず、入ってみた。
カランカラン…純喫茶風の音を立てて扉が開く。
可愛らしい動物のイラストが飾られた店内には、ポップな曲が流れており、コーヒーの香ばしい香りまで漂っていた。
恐る恐る足を踏み入れるが、店内は無人だった。
ただ、客席の灰皿に置かれた吸いさしのタバコからのぼる煙や、食べかけのチョコレートパフェが、ほんの少し前まで人々がここで飲食していたことを示している。
「チーン」
と、音が鳴り、マリオンは飛び上がる。
カウンターの奥で、トーストが焼きあがる音がしたのだった。
(ハニートーストを頼んだ人がいたんだわ)
胸に手を当てながら、マリオンは店の中を見回った。
一番奥の壁に、ロココ調の金縁の丸い鏡がかかっているのを知っていた。
胸が再びどきどきしてくる。
(学校の鏡は細工してあったんだ。誰が映っても、あの女の子が映るような仕掛けなのよ)
自分自身に言い聞かせながら、そっとその鏡を覗き込む。
黒い瞳に黒い髪、そばかすを散らした丸顔に、ちょっと大きめだがお茶目な感じの口。
マリオンが顔をしかめたら、その子も顔をしかめた。
「やめてよ冗談はやめて」
叫んでしまう。
店からバタバタと飛び出すと、マリオンは向かいのコンビニに飛び込んだ。
やはりそこも無人だったが、喫茶と同じく、今しがたまで人がいたような様子であった。レジの台にはホットドッグが置かれ、レシートと小銭が転がっている。
賑やかな音楽が鳴る中、トイレに飛び込んだ。
そして鏡を見る。食い入るように見る。どう見ても金髪碧眼の美少女ではない。
(デューカ)
うちに帰ろう。うちに帰れば何とかなるかもしれない。
(デューカなら何か知っている。きっとデューカなら)
博学で、情報に鋭い有能な記者の兄ならば、この状況を説明してくれるかもしれない。
よろよろとマリオンは歩く。
うちまでもう少し。
マンションのエントランスは不気味なほどしいんとしている。
息を切らしながらエレベーターの前まで来てボタンを押そうとして、ぎょっと息を飲んだ。
4F。3F。
それぞれの階を示すボタンがオレンジ色に光って、ゆっくりと移り変わってゆく。
誰かが。
誰かが、1Fに降りてくる。ここに、現われようとしている。
どくん。心臓が不快な動き方をする。思わず胸に手を当て、呼吸を整えながらボタンを見守る。
3F。2F。
…ティン。
滑らかに扉が開いた。
腕が伸びてきて、マリオンは乱暴に引きずり込まれた。
「マリオン・ホワイト」
と、その男は言った。
モンゴロイドの肌を持ち、気さくそうな顔立ちの、あの男が。
「マリオン・ホワイト、いや」
体がすくんで動けないマリオンの耳元で、男は言った。低い、静かな声で。
「君はマリオンではない。わかっているはずだ」
いやっ、と叫びながらマリオンは男の体を押し返し、後ろ手でエレベーターのボタンを押した。
早く4Fへ。デューカとわたしのうちまで、早く。
じりじりと男が迫ってくる。その動きに合わせ、マリオンは壁づたいに逃げる。
「魔法は解けたんだ、君は俺たちと同じ…」
ティン、とエレベーターが止まり、ゆっくりと扉が開く。
男がわっと飛びかかってきたので、悲鳴を上げながらエレベーターから飛び出し、素早く「CLOSE」のボタンを押す。そして1Fのボタンを。
エレベーターは滑らかに下降を始めた。
息を切らしながらマリオンは、自室の扉まで駆けた。
うちに入ると、はっとした。
兄の靴が玄関にあったからだ。
(デューカが帰ってきている)
見慣れた革靴をみた瞬間、安堵と、それ以上に強烈な不安が押し寄せてきた。
痛む足を引きずりながら、パタパタと台所に駆け込むが、兄の姿はない。
「デューカ」
呼びながら、うち中を見回った。
居間。客間。
兄の姿はなかった。
兄の部屋の前で息を整え(わたしは何をしているの、お兄ちゃんの部屋)、とんとん、と丁寧にノックする。
答えがない。
もう一度(何をしているの、いつだって無断で飛び込んでいたはずじゃないの。その度に怒られて)、とんとん、とノックする。
やはり答えがない。
ノブに手をかけたが、開く勇気がなかった(わたしは一体)。
仕方なく台所に戻ると、バスルームから水音が聞こえた。
(シャワーを浴びているんだわ)
やはり兄はいる。大息をついて、とりあえず自室に行く。
ピンクの布団のベッドに、アイボリーの学習机。そして、猫の柄のカーテンがかかった、昔から愛用しているわたしの部屋。
そっと入ってゆき、ベッドに腰掛ける。
ずきずきする肩と足を気にしていると、ふいにドレッサーが気になった。
(今朝は、いつものわたしが映っていたわ)
立ち上がり、愛用のドレッサーの前に立つ。
レースのカバーを、静かに取った。
(ほら、ほら、ほら!)
金髪できゃしゃな、碧眼のマリオンがそこに立っている。
息をきらしたせいで頬を赤くして、心配そうな目をしたマリオンがいる。
(やっぱりそうよ、おかしいのはわたしじゃない。おかしいのは)
ところが、突然、ぐらりと世界が揺れた。
強烈なめまいである。今日、何度目のめまいだろう。
立っていられずしゃがみこみ、マリオンはあえいだ。
「デューカ、デューカ」
助けを呼びながらドレッサーに手を置き、やっとのことで立ち上がる。
「デューカ、助けて、変なの」
そして、鏡に目をやった時、マリオンは息をのんだ。
まるで冷蔵庫から取り出したゼリーを、お皿に移した時のように(ぷるるん…)鏡の表面が大きく揺れる。
波が大きく寄せ、波紋が不気味にゆっくりと(ぷるる…ん)広がり、そして落ち着いた時、そこに映っていたのは黒髪のそばかすの少女だった。
「…き」
鏡から飛びのき、足がからまって尻もちを着く。
「きゃああああああっ」
きゃあ、きゃあ、きゃああああ。
叫んでも叫んでも納得できない。叫んでも叫んでも叫んでも叫んでも。
…がちゃ。
「お兄ちゃ」
扉が開いた。震えながら振り向くと、デューカが立っていた。
湯上りの髪をタオルでふきながら、Tシャツ姿で、デューカが立っている。
「お兄ちゃん、デューカ、デューカあっ」
叫びながら兄に向けて手を伸ばした。
水のような冷静な瞳で、兄はマリオンを見ていた。
兄ちゃんはカズキヨネのイラスト風イケメン。