社交界【4】
レグルスは部屋の入口に立っていた。エレアノーラは彼の側に行きたかったが、それにはウィレミナたちの側を通り抜けねばならず、断念した。妹たちのことになると、エレアノーラはどうも強く出られない。
なかなかやってこないエレアノーラに気づいたのか、レグルスの方から彼女の方に近寄る。強張っている肩に手を置かれ、エレアノーラはようやく体の力を抜いた。
「それで、誰?」
レグルスがウィレミナたちを見ながら言った。エレアノーラは「えっと」と少しつっかえながら紹介する。
「妹のウィレミナと、その婚約者のアラン・ローガン様です」
簡潔すぎる紹介をした。レグルスは「ふーん」と言った後に笑みを浮かべる。
「初めまして。私はレグルス・ランズベリー。エリーの上官をしている。よろしく」
一応、初対面の相手だからか、レグルスは頑張ってオネエ口調ではないようにしゃべっている。
「お、王弟殿下」
「し、失礼いたしました」
ウィレミナとアランが頭を下げて礼をとる。そう言えば、いつもオネエ口調でふざけているからすっかり忘れていたが、この人、王族だった。
「さっきの言葉、言いかけだったから聴かなかったことにしておくが、どこに耳があるかわからないからな。不用意な言葉は慎むことを推奨する」
オネエ口調ではないからか、レグルスの言葉遣いが若干おかしい。ウィレミナが「申し訳ありません」と謝る。
「次はないからね。さあ、エリー。帰ろう」
「えと。もういいの?」
レグルスが挨拶に行ってくると言って出て行ってからそんなに経っていない気がする。いいのだろうか。
「私、一人でも帰れるけど……」
「いいの。連れの体調が悪いって言ったら、みんな早めに解放してくれたから」
「そ、それはすみません」
「いいって。それに、それだけ君が注目されていたということだ。私と君が一緒に来ていたことはみんな知っていたから、聞かれたよ。あの美しいお嬢さんはどうしたんですかって」
カッと頬が熱くなった。仕事だから、と割り切って参加した夜会だったが、そんなに人の視線を集めていたのだろうか。
「きょ、局長と一緒だったからよね?」
「まさか。みんな君を見ていたんだよ」
レグルスは、みんな自分ではなくエレアノーラを見ていたのだと言う。エレアノーラとしては、自分が注目されているよりも、美形な王弟レグルスが連れている女性だから、と言う理由で注目されている方が納得できるのだが。
「君があまりにもきれいだから、独り占めしたいぐらいだよ」
もともと赤かったエレアノーラの顔が、これ以上ないほど真っ赤になる。それを自覚した彼女は両手で顔を覆った。容姿をほめられるのも慣れないし、その言葉をつむぐレグルスの男らしい口調にも耐えられない。
「わ、わたくしたちは失礼いたしますわ」
「そ、そうだね。失礼します」
ウィレミナとアランが早口にまくしたて、部屋を出て行く音がする。それを見送ったレグルスは「行ったわね」といつものオネエ口調で言った。
「大丈夫? エリー?」
「だ、大丈夫じゃない……!」
魔力酔いの方がまだましだった。顔が真っ赤で熱が引かない。口説かれたわけでもないのに、耳元でささやかれる重低音の声にくらりとした。
ウィレミナたちを追い払うためだったのだと思うのだが、あの方法しかなかったのだろうか。エレアノーラのダメージも半端ではないのだが。
「可愛いわね」
とレグルスがエレアノーラの頬をつつく。やめて、とエレアノーラはレグルスの胸元をばしばしとたたいた。
「冗談でもやめて。あんなこと言うの……!」
「でも、本当に聞かれたのよ? 連れの美しいお嬢様はどうされたんですかって」
「絶対に嫌味だわ!」
「そんなことないわよ。そりゃあ、王弟である私の隣にいて、王妃と親しげに話していたのもあると思うわ。でも、あなたがとても魅力的であるのも事実だもの」
「う、嘘……」
「こんなことで嘘をつかないわ、私は」
「……っ」
エレアノーラは再び顔を覆った。恥ずかしい。恥ずかしくて顔が上がらない。
「もだえているところ悪いけど、帰りましょう。このままここに居たら、また誰かに捕まっちゃうわ」
「わ、わかった」
それはエレアノーラも避けたいところなので、うなずいておく。二人はそろって休憩用の部屋を出た。
エレアノーラは現在、女性用の官舎で暮らしている。王都にカルヴァート公爵家の屋敷はあるのだが、家族関係があまりよくないので帰りたくないのだ。レグルスも王都に屋敷を持っているらしいが、今日は宮殿に泊まると言っていた。
官舎は宮殿の敷地内にある。近道である庭を歩きながらレグルスは尋ねた。
「聞かれるのは嫌かもしれないけど、あの妹さんのこと。いつもあんな感じなの?」
「あー。そうね……。基本的に世界は自分を中心に回ってると思ってる子だから。両親も甘やかして育てたし」
「あまり似ていないから、異母姉妹かと思ったけど、カルヴァート公爵には愛人はいなかったはずだものね」
そうである。エレアノーラとおりは悪いが、カルヴァート公爵夫妻は仲睦まじいことで有名だ。
「私は父方の祖母似で、妹は母親似なの。これだけの理由で、父が妹の方をかわいがるのは目に見えているわ」
髪や目の色彩は似ているが、顔のつくりは全然違う。それがエレアノーラとウィレミナの姉妹だ。エレアノーラは完全に父方の祖母、オリガに似ており、ウィレミナは母の若いころにそっくりなのだ。
「ふーん。そう言うもの……。私は、エリーの方が可愛いと思うけど」
エレアノーラは慰めるように言うレグルスに少し微笑んだ。
「可愛いというのは、人によるっていうものね。きれいというのは万人共通だけど、可愛い、は主観的だって聞いたことあるわ」
「あら。客観的に見てもエリーは可愛いわよ。まあ、可愛いより美人、と言う方がいいかもしれないけど」
「局長の方が美人だわ」
「あら、うれしいわね」
そう言って二人してくすくすと笑いあう。妹が現れてささくれた心が少し、癒された気がした。
「中まで送ってあげたいけど、さすがに中には入れないわね」
女性用の感謝の前で、レグルスはそんな事を言った。オネエであっても、彼は自分が男である自覚はあるらしい。こういうところはきっちりとしていた。
「ここまででいいわよ。局長、ありがとうございました。そして、ご迷惑をおかけしました」
「やあね。気にしないで。私とあなたの仲じゃない」
「なかなかに誤解を呼びそうな言葉ね」
「そうね。まあいいんじゃない? 誰もいないし」
「どこに耳があるかわからない、って言ったの、局長だよ」
「それもそうだったわね」
レグルスが鹿爪らしくうなずく。エレアノーラはそれを見てぷっと噴出した。しばらく笑いの発作が収まらない。
笑いが収まり、目じりの涙をぬぐうと、エレアノーラは改めて挨拶をした。
「送ってくれてありがとう。……おやすみなさい」
「ええ。おやすみなさい。よい夢を、エリー」
「局長もね」
手を振り、エレアノーラは官舎の中に入る。入り口から入り、夜警さんに声をかけてから中に入る。エレアノーラの部屋は三階なので、階段を上がる。
部屋の鍵を開け、中に入る。貴族の令嬢が使うには狭い部屋だが、一人で使うと思えばこんなものだろう。女性らしいかわいらしさなどはなく、整理はされているがどちらかと言えば実用的で、壁は本であふれかえっている。さすがにそろそろ何とかした方がいいかな、と思っている今日この頃だ。
このままベッドに倒れ込みたいが、それは何とかこらえ、ドレスを脱ぐ。と言うか、このドレスは背中にホックがあるタイプのもので、エレアノーラの体が柔らかいためになんとか外せたものの、硬かったらどうすればよかったのだろうか。気づかなかったエレアノーラは間抜けである。
しかし、一応何とかなったのでそれ以上考えないようにする。ドレスがよれないように用意しておいたマネキンに着せて形を保たせる。それから大きめの髪飾りはすべて取り、エレアノーラはベッドにあおむけに倒れ込んだ。
わかっていたはずだった。エレアノーラが貴族だと言うことは、彼女の家族も貴族で、国王主催の夜会に、家族が出席することは。わかっていると思っていた。
なのに、いざ対面すると何も言えなくなった。大丈夫だと思っていたのに、うぬぼれだった。特務局のみんなとうまく付き合えているから、妹ともきっと、と思ったのに駄目だった。
変わっていない。自分も、妹も。そして妹の婚約者も。
エレアノーラは一つ息を吐いて寝返りを打った。横向きになって目を閉じる。
「……痛い」
エレアノーラはむくっと起き上がった。髪飾りは外したが、アクセサリーは外していなかった。ドレスはともかく、アクセサリー類はエレアノーラがもともと持っていた対のイヤリングが一つと、それ以外はやはりレグルスがどこからか借りてきたものだ。明日には返さないと。
そう、明日も仕事だ。そう思い、エレアノーラは身を起こす。このまま寝ると明日ひどいことになるので、シャワーを浴びようと思ったのだ。
ふと、ドレスが眼に入る。これを譲ってくれた異国の王妃。
「……いい人、よね」
エレアノーラはぽつりとつぶやいた。優しい人だった。見ず知らずのエレアノーラをあんなに気にかけくれるとは。
「私、人見知りなのかなぁ」
今更、その事実に気が付くエレアノーラであった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エレアノーラは公爵令嬢ですが、官舎住まいです。
レグルスがオネエ口調でなくなると、エヴァンとかぶる。オネエ口調になると、エレアノーラとかぶる。どうしよう……。