社交界【3】
ログレス王国王妃ミラナは、スヴェトラーナ帝国皇女である。末の姫であるらしく、ログレスへは政略結婚で七年ほど前に嫁いできた。七年前と言えば、エレアノーラはまだ魔法学術院の学生だった頃である。
それでも、遠目から姿を拝見したことがある。プラチナブロンドに空色の瞳の、すらりとした女性、と言うのがエレアノーラの王妃に対する印象だ。
今日の王妃は瞳の色に合わせた淡い色合いのドレスを着ていた。自然に国王の隣に並ぶ。レグルスに挨拶をしてから、王妃はエレアノーラの方に向き直った。
「あなたがレグルスの部下の方ね。初めまして。わたくしはミラナと言います」
「エレアノーラ・ナイトレイです。どうぞお見知りおきを、王妃様」
どうやら、エレアノーラが自分が貸したドレスを着ていることと、レグルスの隣にいることでひと目で誰かわかったらしい。王妃はにこにこと笑う。
「そのドレス、わたくしよりも似合っているわ。そのまま差し上げるから、よかったらまた着てね」
「そんな。お借りしただけでも恐れ多いですのに……」
目を見開いてエレアノーラは首を左右に振る。王妃が「別にいいのに」と言うので、エレアノーラは困ってレグルスを見上げた。
「くれると言うのなら、もらっておけばいいんじゃない?」
断ったら逆に失礼、と言われ、エレアノーラはスカートをつまんで頭を下げる。
「ありがとうございます。大切にします」
「ええ。どういたしまして」
王妃は満足げにうなずいた。そんな王妃に国王は囁くように言う。
「ミラナ。彼女はスヴェトラーナ帝国の血を引くらしいぞ」
「まあ! 本当に?」
王妃が嬉しそうな声を上げる。血を引いている、と言っても、祖母の代だからだいぶ遠いのだが。
「確かに、金髪と長身はスヴェトラーナの特徴の一つだものね」
王妃は納得した様子でうなずく。ログレスにも金髪の人間は多いが、王妃のような淡い色合いの金髪は北の方、つまり、スヴェトラーナ帝国周辺に多いと言われている。それから、長身もだ。
「お母様がスヴェトラーナの方?」
「いえ……祖母が」
エレアノーラはその祖母に似ていると言われる。だから、王妃と似ている、と言われてもあまり不自然さはないのだ。
「おばあ様が。ちなみに、おばあ様のお名前は?」
「オリガです」
「オリガ……」
王妃がじっとエレアノーラを見つめ、考えるように黙り込む。どうしたのだろう、と他三人もじっと王妃の発言を待った。
「もしかして、シーリン公爵家のオリガ様?」
「え、ええ。そうです」
突然祖母の出身の家名が出てきてエレアノーラは驚きつつうなずく。王妃の目が輝いた。
「私の曾祖母はシーリン公爵家の出身なの! わたくしたち、親戚と言うことね!」
すごいわ、と王妃は興奮している。親戚と言っても、かなり遠いだろう。エレアノーラも、祖母の家系がスヴェトラーナ帝国の皇妃を輩出している家だと知っている。
どうやら、故郷の血を引いていると言うだけで王妃はエレアノーラに好感を持ってくれたらしい。手を握って「仲良くして頂戴ね!」と言われた。まさか断るわけにもいかず、エレアノーラは内心ドキドキしながらうなずいた。
「ミラナ。あまりここで話しすぎるわけにはいかないからな」
「あ、そうね。じゃあ、レグルス、エレアノーラ。またお会いしましょう」
王妃は国王にせっつかれて軽く礼をして去っていく。レグルスとエレアノーラも頭を下げ、二人を見送った。国王夫妻が見えなくなった途端、エレアノーラは足元がふらついた。
「あらら。大丈夫?」
「び、びっくりした……!」
レグルスに支えられながら、エレアノーラは訴えた。本当に、びっくりした。
「でも、王妃様に気に入られたみたいでよかったわね」
さらっとレグルスはそんなことを言う。エレアノーラは青ざめて震えた。
「き、嫌われるよりはいいけど、でもそんな、恐ろしい……!」
「恐ろしいって、自分も公爵令嬢じゃない。しかも、カルヴァート公爵家と言えば、さかのぼれば王家の血筋なのよ? 私たちとも遠い親戚なのよ。ついでに言えば、今あなたの隣にいる私も王弟だからね」
「ああ……そう言えばそうだった」
レグルスにオネエ口調で冷静に指摘され、少し落ち着いたエレアノーラだ。一緒にいる人がいつも通りだと、自分も落ち着けるらしい。
「落ち着いた?」
笑みを浮かべるレグルスに、エレアノーラはうなずく。よかったわ、とレグルスは相変わらずオネエ口調。夜会で人目があるから、一応気を付けているようだけど、エレアノーラが取り乱していたので気を使ってくれたのだと思う。
レグルスはエレアノーラの手をとり、自分の腕に絡ませた。
「さて。もう少し挨拶をしに行きましょうか。一曲くらい踊ってから帰る?」
と、レグルスもあまり長居はしたくない様子。エレアノーラはレグルスの横顔を見上げ、やっぱり美形だな、と思いつつ言った。
「私、あまりダンスって得意じゃないんだけど」
「基本ステップがわかるなら、躍らせるくらいはできるわよ。私、これでも王子様だったの。知ってた?」
茶目っ気たっぷりにレグルスがウィンクした。エレアノーラはそれを見てくすくすと笑う。
「そうね。基本ステップならわかるわ」
しばらく踊っていないが、叩き込まれたステップはそう簡単に忘れない。
あまり社交界は好きではないと思ったが、レグルスが一緒なら悪くないかもしれないと思った。
△
思ったのだが、やはり世の中そんなにうまくできていないらしい。エレアノーラは人酔いを起こしてぐったりしていた。
夜会会場には普通、疲れた人などが休める個室が用意されている。いかがわしい目的に使うものもいるが、今回、本来の目的で使用させてもらうエレアノーラである。
「大丈夫? はい、水」
「あ、ありがとうございます……」
レグルスから水の入ったグラスを受け取り、エレアノーラはその冷たい水を一口飲む。
「まさか人酔いを起こすなんてねぇ」
「自分でもびっくり。どちらかと言うと、魔力酔いの方が近いのかも」
「ああ。あなた、よく見えるものね」
この場合、レグルスが言う『よく見える』とは視力の話ではない。エレアノーラは、魔力の軌跡などが見えるのだ。どちらかと言うと、霊感に近い。
この感応能力が高すぎるため、エレアノーラは眼鏡をかけている。彼女の眼鏡はこの見えすぎる目を保護するためのものだ。訓練を受けてある程度はなくても行動できるため、今回は外していたのだが、人が多すぎて人酔いを起こしてしまったのだ。おそらく、エレアノーラの見えすぎる目による魔力酔いも関係あると思われる。
「私、もう少し合わなきゃいけない人がいるから行ってくるけど、一人で大丈夫?」
「あ、私も行く」
一応、特務局の副局長として来ているのだ。局長をほったらかしにするのはいかがなものか、と思いそう言ったのだが、レグルスは笑って首を左右に振った。
「大丈夫よ。あなたは休んでなさい。体調を崩した女性を連れ歩くなんて鬼畜なこと、私はできないわよ」
それは鬼畜なのか? と思いつつ、エレアノーラは素直にうなずいた。だいぶ酔いは落ち着いてきたが、正直、ホールに戻る勇気はなかったのだ。
「じゃあ、悪いけど少し待ってて。迎えに来るから、一緒に帰りましょ」
「はーい」
返事をしたエレアノーラに微笑み、レグルスは出て行く。一人になったとたんしんとした部屋に、エレアノーラは少しさみしさを感じた。
ソファの背もたれに寄りかかり、目を閉じる。どれくらいそうしていただろうか。唐突に部屋の扉が開いた。
「局長?」
レグルスが戻ってきたのだろうか、と思い、そちらを見ると、そこには一組の男女がいた。レグルスではないが、とても見覚えのある二人だ。最後に見た時よりも大人っぽくなっている。
「あら。お姉様」
金色の巻き毛に新緑の大きな瞳。小柄な少女で、ぐうの音も出ないほどの美少女。それが声をかけてきた少女、ウィレミナ・ナイトレイである。家名からわかるとおり、エレアノーラの妹だ。
その隣にいるのは現在ウィレミナの婚約者のアラン・ローガンである。フラムスティード公爵家の跡取り。すらりとした爽やかな外見の青年で、茶髪に緑の瞳をしている。ウィレミナは見せつけるようにアランにすり寄って見せた。
「お久しぶりね。お元気?」
「……ええ……」
エレアノーラは歯切れ悪く答える。昔から、エレアノーラはこの自信過剰な妹が苦手だった。
「相変わらず暗いわね。そんな辛気臭い顔で夜会に出てこないでよ。我が家の恥さらしだわ」
別に、会場でこんな顔をしているわけではない。体調が悪いのと、突然妹たちが現れたせいだ。だが、エレアノーラは何も言えずにうつむく。
「変わらないな、君は。やはり、君ではなくウィリーを選んでよかった」
「もう。アラン様ったら」
「ウィリー、愛してるよ」
「わたくしも」
「……」
いちゃつくなら、よそでやれ。
そう思わないでもないのだが、やはり言葉が出てこない。
「そう言えばお姉様、一人で来たの? まあ、お姉様をエスコートしてくれる人なんているとは思えないけど」
「し、仕事で……」
何とか声が出たが、言葉が続かない。ウィレミナは「やっぱりひとりなんじゃない」と顔をしかめる。
「行き遅れのくせに、堂々と一人で乗り込んでくるなんてね」
「ああ、恥知らずだな。ウィリーと違って」
エレアノーラは二十一歳だ。これくらいの年で未婚の人は、まあ、少ないがいないわけではない。だから、エレアノーラが特別行き遅れと言うわけではないのだが、ウィレミナはとにかくエレアノーラを貶したいのだろう。
「それにそのドレス。似合ってないわよ、お姉様。デザインもダサいし。まあ、背の高すぎるお姉様に似合うドレスがあるかも疑問だけど」
さすがにこれにはむっとした。エレアノーラのドレスは、王妃から借りたものだからだ。いや、正確にはもらったのだが。
「私のことはともかく、このドレスは王妃様から頂いたの。悪く言うのはやめて」
若干強い口調で言うと、ウィレミナとアランが眼を見開いた。
「王妃様から? お姉様、王妃様と知り合いだったの?」
知り合いと言っていいのかわからず、返事に窮した。とりあえず、うなずいておく。
「……まあ、王妃様もスヴェトラーナ人だものね。お姉様と仲良くするなんて、所詮……」
「それ以上言うと不敬罪だけど」
突然、別の声が割り込んできた。アランの甘い声とは違う、低めの落ち着いた声。エレアノーラはほっとして口を開いた。
「局長」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エレアノーラ妹登場です。
とりあえず、第2章が終わるあたりまでは連日更新でいけますかね。