エマージェンシー【5】
エレアノーラは背後に立つ人物を見て、かすかに笑みを浮かべた。
「ああ。なるほど。確かに、あなたなら宮中どこを歩いていても不審がられないわね。だって、それが仕事なんだから」
現場でよく遭遇する近衛騎士だ。エレアノーラは耳元の通信用イヤリングに手を当てる。だが、通信魔法を作動させようにも、どこかで魔法が寸断されているらしく、つながらない。仕方がないので心の中でエヴァンに呼びかける。
『エヴァン。エヴァン』
付き合い的に長い彼なので、呼びかけに答えてくれるかと思ったが駄目だった。そもそも、テレパシー能力があるのはエヴァンの方であり、エレアノーラではない。なので、彼が回線をつないでくれないとエレアノーラは会話ができないのだ。
「まさか本格的な調査に入る前にばれてしまうとは思わなかった。優秀だな」
「いいえ。だまされたわ。アヴァロン島での事件とつながりを見つけるのに時間がかかった」
エレアノーラは目を閉じ、それから目を開く。近衛騎士の背後を見ると、誰もいない。少し走ってきたので、うまい具合に人のいない場所に出たようだ。
「任意同行願えるかしら」
近衛騎士はその言葉に笑う。
「まさか」
そりゃそうだ。ここでエレアノーラと彼女の背後の協力者を殺してしまえば、真相は闇の中。エレアノーラがテレパシーを使えないことを知ったうえで、通信魔法を妨害したのだろう。
かくなる上は。
「ちょっとそこの内務省官僚」
「俺!?」
「あんたよ! 誰でもいいから、特務局の役人呼んできて」
「俺が!?」
「あんたが! いいから行きなさい!」
「は、はい!」
年のさほど変わらない女に強い口調で命じられ、青年は走って行く。近衛騎士は目を細め、青年の背に掌を向けた。魔法式が展開されていくのを見て、エレアノーラはとっさに反対魔法を放つ。魔法式が消滅した。
そこから魔法戦が始まる。火炎魔法や風魔法が飛び交い、壁が焼け焦げ、傷つく。エレアノーラがすっと指先を下に向けると、近衛騎士が何かに押さえつけられるように膝をついた。さらに指をはじくようにエレアノーラが手を動かすと、近衛騎士が仰向けに倒れた。これも魔法の一つだ。
エレアノーラはそっと近衛騎士に近づき、覗き込む。と。
目の前に剣が現れた。そう言えば、彼は近衛騎士なので帯剣しているのだった。エレアノーラの方は杖も持っていない。
「魔法では決着はつかないが、剣ならどうだろうな?」
そもそも、手ぶらの女を斬るという発想が理解できない。この男は、そもそもログレス人ではないのだと思う。
近衛騎士になれるだけあり、彼の剣技は素晴らしいものだった。エレアノーラが魔法を展開するより前に斬りかかられるため、エレアノーラは避けるだけだ。
いっそ、斬られるのを覚悟で懐に飛び込むか。うん。いいかもしれない。そう思って身構えると。
後ろから手を引かれた。そのまま倒れそうになるが、背中に何かがぶつかり、後ろから抱えられた。エレアノーラを抱えた人物が片手で近衛騎士の剣を受けとめる。
「局長!?」
「大丈夫?」
エレアノーラを支えたのはレグルスだった。確かにエレアノーラは特務局の誰かを呼んで来いと言ったが、まさか局長を呼んでくるとは思わなかった。びっくり。
それはともかく。エレアノーラは手を前にだし、魔法を放つ。近衛騎士が眼を見開くが、避けきれず彼女の魔法をもろに食らった。近衛騎士が倒れたのを見て、エレアノーラはほっとする。
レグルスに支えられたままだった彼女は、彼にひょいと持ち上げられて自分の足で立たされた。今更だが、礼を言う。
「ありがとうございます」
「いいえぇ。呼んだのは、あなたでしょ?」
「そうですけど、局長が来るとは思わなかった」
やや眉をしかめつつ言うと、レグルスは笑った。
「まあ、残っていた中では私が一番戦闘力が高いから」
確かに。エレアノーラは肩をすくめてうなずいた。
「お前ら……よくも!」
気を失っていなかったのか、近衛騎士が起き上がり、エレアノーラに向かって剣を振りかぶった。背は高くとも女で、才女的な面差しの彼女はどうやら弱そうに見えるらしい。エレアノーラはレグルスの手から剣をむしり取った。今度は自分で剣を受け止める。そのまま押し出すように剣をふり、下から斬りあげる。
近衛騎士は驚いたようだが、そのまま打ちあう。剣戟が何度か続き、エレアノーラが突き出すように剣を振るう。それは受け止められたが、エレアノーラは剣を両手で持ち直すと、思いっきり男の剣にたたきつけた。男の剣が折れる。それに負けたのか、男はしりもちをついた。エレアノーラは男の眼前に剣を突きつける。
「あなた、この国の人間じゃないでしょう」
近衛騎士がびくっとした。図星か。
この国、ログレスは騎士の国だ。君主が騎士王と呼ばれるほどである。そのため、国民の多くは騎士にあこがれる。騎士でなくても剣を使える者は多い。エレアノーラもそうだ。この国には女性の騎士も多いのである。
彼はエレアノーラが女であるからと近距離戦を挑んだ。うまくいったようにも見えたが、それは彼女が剣も杖も持っていなかったためだ。
「目的は何? と言いたいところだけど、それは、私たちの仕事じゃないわね」
エレアノーラはそう言って剣を引いた。レグルスが呼んでくれたのだろう。本物の近衛騎士たちが駆けつけてくる。そして、倒れている男を見て「まさかお前が!」などと叫んでいる。ここから先はエレアノーラたちの仕事ではない。
むしろ、この宮殿の警備がどうなっているのか見直さなければならない。いや、巡回などをしているのは近衛騎士たちだが、魔法的な警備を担っているのは特務局だ。
「さすがはエリー。やるわね」
「いや、私に剣術叩き込んだのは局長とエヴァンですからね」
レグルスはオネエであるが、剣を持たせると閃光のようだ。エヴァンも攻撃魔法は使えないが、ログレスの男らしく剣術は得意。剣術の基本はエヴァンに教わり、そのあとの指導をレグルスが行い、今のエレアノーラがあるのだ。どうしても、魔導師は肉体的に不安が残るから、鍛えるのはいいことだ。
「レグルス様、ここは我等にお任せください!」
「こいつにはたっぷり灸をすえておくので!」
さすがに、王弟であるレグルスの顔は知れ渡っているらしい。やる気たっぷりに宣言した近衛騎士たちに男を任せ、エレアノーラはレグルスと共に特務局の事務室に戻った。
△
「あ、局長、エリー。無事だったか」
先に戻っていたエヴァンがほっとした様子で言った。エレアノーラは苦笑する。
「局長に助けてもらっちゃった」
「いいえ。エリー、実は一人で何とかできたでしょう?」
「剣か杖を持っていれば。もしくは、攻撃魔法を思いっきり使ってよければ何とかできたかも」
どちらにしろ、レグルスが来てくれなければ危なかったのは確かだ。
「ありがとうございました」
「可愛い部下のためだもの」
とレグルスは片目をつむる。うん。ハンサムな彼がやると色っぽい。中身はオネエだけど。
「で、こいつはどうすればいいの、エリー」
エヴァンにそう言われ、エレアノーラはそちらに目を向けた。すると、そこにはエレアノーラが『誰かを呼んで来い!』と使い走らせた内務省官僚の姿があった。
「あら、まだいたの」
「まだいたの、じゃないですよ! ひでぇ!」
青年は半泣きだ。エヴァンがエレアノーラに言う。
「君、実は加虐趣味あるでしょ」
「うーん……?」
「そこで悩むな!」
「痛っ」
思わず返事に窮したエレアノーラの脳天に手刀が落ちた。ツッコミを入れたエヴァンが彼女に言う。
「君に言われて特務局員を呼びに来たんだって言っていたよ。それに、自分が警報を鳴らしたんだって自白したんだけど」
「ああ。そうだったわ。これを」
と、エレアノーラはポケットに入れていたブレスレッドをエヴァンに渡した。照合すれば、奪われたものかわかるはずだ。このブレスレッドは、魔導師によって違う紋様が組み込まれているのだ。
「ちょ、君が持ってたんかい!」
どうやら、青年はすでにエヴァンの身体検査を受けたらしい。エレアノーラは「忘れてたの」と肩をすくめた。
「通信は切られるわ、戻ってきたら局長はいなくてこいつはいるわ、何なんだ!」
「だからごめんて」
エレアノーラが笑って謝ると、あきらめたのかエヴァンはため息をつく。
「とりあえずエリー。君は報告書。あと、誰かこいつを近衛の取調室まで連れて行ってくれ」
「あ、私が行きましょうか」
挙手したのは何故かレグルス。しかし、エヴァンは鋭くツッコミを入れる。
「局長はそのまま戻ってこなさそうだから、ダメ」
あ、レグルスが落ち込んだ。だが、確かに行かせたら戻ってこなさそうである。
結局、局員の一人が青年を連れて行った。特務局も関わっているので、何か分かれば報告が上がってくるだろう。気長に待つ。
それよりも。
「局長、エリー。念のため、これから官僚たち全員の徽章と、この宮殿の魔法陣全てを調べるからね。メイシー所長に連絡!」
「了解。思うんだけど、なんでエヴァンが副局長じゃなかったのかしら」
それがとても不思議だ。彼は男だし、年齢もエレアノーラより上だ。彼の方がふさわしいような気がする。
そんな疑問を口にしたエレアノーラに、エヴァンはスパッと言った。
「僕は君たちが仕事をしてくれれば、自分がどんな立場でも構わないんだよ!」
うん。彼は縁の下の力持ちタイプだな。エレアノーラはなりふり構わない彼を見てそう思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
エレアノーラの魔法はこの世の物理法則に干渉することです。でも、魔法はその物理法則をぶち破るから魔法なんですよねぇ。
ちなみに、エヴァンは後方支援系の透視魔法が得意。レグルスは攻撃力の高い魔法を好んでおります。