失われた聖剣【10】
あくまでファンタジーですが、生死に関して少しきわどいと思われる表現が出てきます。ダメだ、と思う人は回避してください。
いつも早くに出勤してくるエヴァンが、今日に限って昼近くになっても出勤してこない。レグルスは調べたいことがあると研究室にこもっているし、エレアノーラは一人で特務局員たちに指示を出している。
まあ、普段エヴァンがやっていることなのでできなくはないのだが。
「エヴァン、どうしたんだろ」
「全くですよね~」
カレンが机の上に伸びていた。エレアノーラはその頭の上に書類の束を乗せた。
「はい、これの処理よろしく。私は報告書を書かないといけないから」
「う~。ブリジット、手伝ってぇ」
「はいはい」
カレンが助けを求めたブリジットは苦笑してうなずいた。こちらは何とかなりそうだ。
「昨日、最後にエヴァンに会ったのはクレアだっけ? 変わった様子はなかった? 伯爵邸にもいないみたいなんだけど」
体調不良なら家にいるはずだ。だが、連絡を取ってみたら昨日の夜から帰っていないのだと言う。むしろこちらにいると思っていたと言われた。
「え? えーっと、どうだったかなぁ」
クレアがこめかみをぐりぐりしながら言った。エレアノーラはしばらくクレアを見つめていたが、そんな場合ではないと自分の机に戻った。
書類に目を通しながら、エレアノーラはちらりとクレアを見た。指導役がいないので、エレアノーラがクレアに気を配らなければならない。だが……。
「クレア、ごめん。これ、研究所に持って行ってくれる?」
「わかりました」
ルーシャンに頼まれ、クレアが書類の入った箱を受け取って執務室を出る。エレアノーラは無言で立ち上がると、そのあとを追った。
「クレア」
「ふ、副局長?」
立ち止って振り返ったクレアを、エレアノーラはじっと見つめた。
……やっぱり。
「あなた、誰?」
「ええと。クレア・ニッケルですが……」
クレアが首をかしげる。エレアノーラは彼女の肩をつかんだ。
「あなたは誰? 本物のクレアは?」
「な、何を言っているんですか、副局長」
「違うのよ。魔力が。あなたは」
エレアノーラがレドヴィナから帰ってきた次の日に会った『クレア』ではない。
『クレア』に見える少女は、うつむいて持っていた箱から手を離した。紙が宙を舞い、ゆっくりと床に落ちる。
「……だから、あたしには無理だって言ったのに」
少女が手を振り上げる。エレアノーラはとっさに身を引き、少女から離れた。その判断は正解で、先ほどまでエレアノーラがいた空間を風の刃が襲った。
「エヴァンさんはあたしの姉が預かっています。ご心配なく。すべてが終われば、解放いたしますので」
少女は可愛らしい顔を無表情で彩りながら、そう述べた。
「あなたの姉? エヴァンを預かっているって、どういうこと?」
「あの人は、あたしたちの秘密に気づいてしまったので」
まあ、それはあなたも同じですけど、と少女は言った。やはり、この少女は『クレア』ではないのだ。
エヴァンが気づいたこととはなんだろう。少女は「エレアノーラも同じ」と言ったから、クレアが『クレア』ではないと気が付いた、と言うことだろうか。
少女の背後に魔法陣が展開された。エレアノーラも同じ魔法を使うので、わかる。転移魔法陣だ。
「それでは、失礼いたします」
「待っ……!」
エレアノーラはあわてて同じ転移魔法をぶつけようとしたが、一瞬遅かった。少女がその場から掻き消える。
同時に伸ばした手も空をつかんだ。魔法陣が消え、床に落ちた紙が再び宙を舞う。
「……なんなの!?」
エレアノーラの叫びは正当なものであると思う。彼女は耳に付けた通信機を作動させた。
「緊急事態! ちょっと来て!」
それだけ叫ぶと、エレアノーラはとりあえず落ちた書類を集めた。それを集め終えたころ、局員たちが集まってきた。
「どうしたんですか、副局長」
カレンがやってきて尋ねた。ルーシャンが「クレアはどうした?」と首をかしげている。
「彼女、クレアではなかったわ」
「は?」
まあ、当然そんな反応になるだろう。
「あの子、クレアじゃなかった。同じ姿はしていたけど、魔力が違ったもの」
エレアノーラの『眼』は確かだ。幽霊や魔法的なものが見える。その『視える』もののなかには人の魔力も含まれる。
「どういうことだ?」
「そんなの、私にもわからないわ。でも、エヴァンは彼女の姉に攫われたようね」
エレアノーラは言わなかったが、この姉がクレアである可能性が高い。クレアと先ほどの少女は、見間違うくらいに姿かたちが似ていたし、魔力も似ていた。魔法で外見を似せることはできるのだが、魔力まで似たふうに錯覚させるのは難しい。
だから、あの少女とクレアは姉妹で、ついでに言うならおそらく双子なのではないだろうか。一卵性双生児であるなら、顔立ちが似ているのに説明がつく。
まあ、推測は後からもできる。今は目の前にある問題を片づけるべきだろう。
「どうするんですか。エヴァンを助けに行くんですか」
カレンが尋ねてきた。エレアノーラが顎に指を当てて考えていると、「エリー!」と聞きなれた声が聞こえた。
「レグルス様」
「……何があったの?」
「ちょっといろいろあって。レグルス様こそ、どうしたの?」
「こっちもいろいろあったのよ。まず、カリバーンが盗まれたわ」
「なんだと!?」
ちなみに、この心からの叫びはルーシャンだ。衝撃を受けている彼をひとまず無視する。
「あと、魔法研究所からイングラム宰相の遺体が消えた」
「あー……」
エレアノーラは顔をしかめた。よくない方向に、事態が動いている気がする。
「で、そっちは?」
「エヴァンが誘拐されたみたい」
「あら。いったいどこのお姫様なのかしら」
「怒っていい?」
レドヴィナで誘拐されたエレアノーラはまなじりを吊り上げて言った。レグルスは微笑んで「冗談よ」と言うと表情を引き締めた。
「それで、脅迫状でもあったの?」
「いいえ。今日出勤してきたクレアは、『クレア』ではなかったわ。たぶん、クレアは双子なのだと思う。魔力が私が覚えているものと違ったけど、似ていたし。エヴァンはクレアに攫われたのだと思う」
「でも、いくらエヴァンが攻撃魔法を使えないと言っても、クレアが攫うことができるかしら」
そう。クレアは風の攻撃魔法を使うが、エヴァンは攻撃魔法をもたない完全な後方支援系の魔導師だ。しかし、エヴァンの実力はクレアよりも高い。積み重ねてきた経験もあるし、エヴァンはログレスの男らしく、剣の扱いにも長ける。剣術と魔法を組み合わせる魔法剣士であるエヴァンが、おとなしく捕まるとは思えない。
しかし。
「クレアの双子を、不死者が回収に来たわ。あの不死者、転移魔法が使えるのよ。おそらく、イングラム宰相の遺体とカリバーンを持ち去ったのも彼でしょうね」
「その、イングラム宰相だけど、ちょっときな臭いのよね……。本当に彼は死んだのかしら」
レグルスが突然そんなことを言いだして、エレアノーラは目をしばたたかせた。思わず魔法医学を専門とするカレンを見てしまう。
「え~。私にわかるわけないでしょ」
カレンはイングラム宰相の遺体を見ていないのだ。当然の反応である。
「っていうか、貴族名鑑当たってたのってエヴァンだったわよね。あっ、もしかしてそれで何かに気付いて攫われたとか!?」
「攫われたっていうのも謎よね。どうして殺さなかったのかしら」
「確かに……。まあ、単純に考えたら人質よね。誰かをおびき出そうとしている……?」
「あ、いい線行ってるんじゃない? エリー。その場合、おびき出されるのはエリーね」
「なんで?」
「だって、相手は転移魔法が使えるんでしょう?」
「……それって、逆に言えば私がおとりになれば相手が出てくるってこと?」
ニコニコ笑っていたレグルスは、エレアノーラの発言に顔をこわばらせた。明らかに「しまった!」という表情である。
エレアノーラ相手にはぐらかそうとしても無駄である。それをわかっているから、レグルスはあえてはぐらかす、と言う真似はしない。
「……そうね。そうかもしれないけど……でも、絶対じゃないわ」
遠回しにおとりになるなんて、危険なことはやめなさい、と言われているようだ。しかし、エレアノーラは引かなかった。
「じゃあレグルス様。レグルス様は、あの不死者をどうするつもりなの?」
「どうって……」
レグルスが顔をしかめる。まさか、という表情だ。エレアノーラは「ご明察」と微笑む。
「空間のはざまに閉じ込めてしまえばいいわ。私ならそれができるもの」
「でも、相手も転移魔法が使えるんでしょう。出てくる可能性だって」
「ほかに方法ある? それに、虚数世界にとばしてしまえば、そう簡単に出てこられないわよ」
虚数世界はゼロ以下の世界。ゼロ以下のものは、よほどのことがない限りゼロ以上になれないものだ。
「それに、相手は不死者だって言ったでしょ。正面からぶつかってみてわかったけど、あれ、『生きている』わけではないわね」
「どういうことですかぁ?」
カレンが身を乗り出してきたのは、やはり彼女が魔法医学を専門にするからだろうか。本来なら、彼女が不死者を見ていた方がより多くのことがわかったのかもしれない。
「不死者……『不死の戦士』って、生きた人間じゃないのよ。死んだ人間なのよ。そう。あれは死体が動いているのだわ」
「……ネクロマンサー?」
「死体を操ると言う意味では似ているけど、あの不死者たちは腐らないからちょっと違うと思うわ」
ルーシャンのつぶやきにツッコミを入れ、エレアノーラは腕を組んで一度黙る。話がそれてしまった。
「で、レグルス様。ちゃんと考えはあるから、おびき出し作戦の許可が欲しいの」
組んでいた腕をほどいて上目づかいにレグルスを見てみる。長身のエレアノーラには難しい技なのだが、レグルスはエレアノーラよりも背が高いので可能なのだ。
レグルスはふう、とため息をついた。
「駄目って言っても、やるんでしょ。私もしたいことがあるから、少し打ち合わせをしましょう」
「了解」
割とあっさり降りた許可に、エレアノーラはほっとした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
書きながら、ハリ〇タの亡〇を思い出しました。




