女王の国【2】
レドヴィナ王国王都クラーサは、美しい水の都である。王都の中央に運河が通り、そこを中心に市街地があるのだ。馬車でレドヴィナの王宮に向かっていたエレアノーラは、馬車の窓から外をのぞいた。
「可愛い街ね」
「北の方だから、この辺りは冬場、日照時間が少ないんでしょうね。だから建物がカラフルなのかも」
レグルスの穿った意見に、なるほど、とうなずく。暗い時間が長いと、何となく気がめいるものだ。
エレアノーラとレグルスは、本当にレドヴィナの戴冠式に出席するために彼の国を訪れていた。出発間際、エヴァンには「とっとと帰ってこい。お土産よろしくね!」と言われた。結局、彼も土産は楽しみらしい。
「時間があったら、王都の散策でも行きましょうか」
「行く行く」
エレアノーラは完全に旅行気分であった。外交など初めてなのだから、仕方がないと言えば仕方がない。楽しげな彼女の様子に、レグルスが苦笑を浮かべた。
△
のだが。レドヴィナ宮殿についた途端、エレアノーラの人見知りが発動した。
「ひ、ひとがいっぱい……」
「そりゃ、戴冠式だもの。当たり前でしょ。あ、スヴェトラーナ帝国の紋章よ。親戚じゃない?」
「わ、わかんないけど……」
廊下を案内されて歩きながら、エレアノーラが震えている。レグルスは和ませようと言うのか、軽い話を続けている。ちなみに、現在二人が話しているのはログレスでの言語だ。そのため、案内役は会話を理解していないようである。エレアノーラもレグルスも、レドヴィナの言語を話せるので、通訳はつけていなかった。
さすがに婚約者でも夫婦でもないので、エレアノーラとレグルスは別々の部屋だ。使用人は連れてきていないので、宮殿のメイドを借りた。
荷解きして一息ついていると、レグルスが訪ねてきた。彼は微笑んでこんなことを言った。
「エリー。メイドと仲良くしてる?」
「……まあ、一応」
最近自覚したエレアノーラの性格。人見知り。相手が少なければまだましだが、大人数の中に入ると確実に発動する。よって、メイド一人くらいなら平気である。
「まあ、あなたなら無難にやってくれると思ってる。それはともかく、今夜は舞踏会が開かれるけど……」
レグルスがエレアノーラをじっと見た。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫。たぶん。局長が一緒なのよね?」
「できるだけね。それと、ここでは私のことはレグルスと呼んでほしいね」
確かに、今いるのはログレスではなくレドヴィナだ。彼のことは役職名ではなく名で呼んだ方が無難である。もしくは殿下でもいいが、今回の戴冠式に何人の殿下が参列しているかわからないので、呼び分けの為にも名を呼んだ方がよさそうである。
「レグルス様」
「別に様はなくてもいいよ」
「いや、さすがにそんなことはできないし」
そう言うわりには、エレアノーラは敬語未使用である。レグルスも今日はオネエ言葉ではない。さすがに、外交先でオネエ言葉はないな。エレアノーラも口調を改めた方がいいのだろうか?
「まあ、それはともかく、今日の舞踏会できるドレス、私が選んでもいい?」
「それは……いいけど」
「あと、眼鏡もなしね」
ひょい、とレグルスがエレアノーラの眼鏡を外した。その途端、視界を幽霊が横切った。どうやら、レドヴィナ宮殿にも幽霊は存在しているらしい。
「かわりに、これをあげる」
そう言って、レグルスはエレアノーラの首元に手をまわした。首の後ろでフックをひっかけ、手をひっこめる。エレアノーラの視界が眼鏡をかけているときと同じものに戻った。
「どう? 私の自信作」
「……きょく、じゃなくてレグルス様、何でも作ってるのね……」
確かに、見えすぎる目は見えなくなった。首に下げられたネックレスを見ると、緑の魔法石のはまった魔法道具だった。エレアノーラの眼鏡と同じ効果があるらしい。
「それを身に付けれいれば、眼鏡はもう必要ないね」
「割ったら怒る」
「……割らないよ」
エレアノーラが怒りの形相でレグルスに指摘すると、彼はそう答えた。その微妙な間が怪しい。
しかし、問い詰めるのはやめておき、礼を口にする。
「ありがとう、レグルス様」
「ん。どういたしまして」
とレグルスから眼鏡が返却される。それを受け取り、メイドに託した。まあ、魔法道具がなくても魔法である程度見え方を調整できるのだが、疲れるのでこの道具はありがたい。
「それで、エリー。着替えてくれる?」
「はい?」
唐突な言葉に首をかしげるエレアノーラである。レグルスは微笑んで言った。
「これから、レドヴィナの宰相閣下に会いに行くんだよ」
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レドヴィナ王国、と言う国は変わった国である。選挙制女王国なのだ。
まず、この国に全部で八つある大公、公爵家の中から年ごろの娘が女王候補として三年間の教育を受ける。その中から、国民総選挙により、女王を選ぶのだ。そのため、現在の女王の娘が女王になるわけではない。
むしろ、同じ家の娘が続けて女王になることはめったにないそうだ。今回も、現在の女王はソウシェク大公家の人間であるが、次の女王はフィアラ大公家の娘である。
女王の任期は二十五年。今回、現在の女王、エリシュカ女王の任期が切れると言うことで、新女王の戴冠式が行われるのである。ここで女王になった者はこれから二十五年、女王としてこの国を治めていく。
女王の国、と呼ばれるレドヴィナだが、宰相はいつも男性であった。女王の国とはいえ、男性が政権を握っていることが多いのだ。
しかし、現在の宰相は女性であった。すらりとした長身の女性で、やや気が強そうな四十代半ばほどの女性だ。次の女王の母親で、フィアラ大公ウルシュラ・ヴァツィークとおっしゃるらしい。
「お久しぶりです、フィアラ大公閣下。相変わらずお美しいですね」
「あら。ほめても何も出ないわよ、レグルス殿下」
そう言って、二人は握手をした。どちらも黒髪で、どちらも美形だ。
「それで、そちらのお嬢さんは?」
「今回の私のパートナーで、エレアノーラと言います」
「ど、どうもはじめまして。エレアノーラ・ナイトレイです」
スカートをつまんで挨拶をする。フィアラ大公はエレアノーラを眺めて眼を細めた。
「かわいらしいお嬢さんね。私はウルシュラ・ヴァツィーク。フィアラ大公よ。まあ、娘が即位したら、息子に爵位を譲る予定だけど」
レドヴィナでは、時の女王の血族が政治に関わることがほとんどないらしい。古くからの習慣であるらしいが、フィアラ大公はこの習慣を法律にしてまとめ上げた。任期中に穴だらけの法律を改正し、レドヴィナを半ば法治国家に変えたのは誰有ろう、フィアラ大公である。と、レグルスが説明してくれた。
ログレス国王、つまりレグルスの兄ジェイラスの戴冠式に出席したのはフィアラ大公であるという。そのため、レグルスは顔見知りであるフィアラ大公に先にあいさつに来たのだ。
ふと、エレアノーラはフィアラ大公の瞳の色が、自分と同じ翡翠色であることに気が付いた。そう言えば、彼女も長身であるし、ログレス王が次の女王がスヴェトラーナ帝国の血を引くと言っていた。つまり、フィアラ大公がスヴェトラーナ帝国人の血を引いている可能性は高い。
また血縁だろうか、とエレアノーラが考えていると、宰相室にノックがあった。
「どうぞ」
「あら、お客様じゃない。ごめんなさいね」
そう言いながら入ってきたのは淡いブルーのドレスの女性だった。ちなみに、エレアノーラは緑で、フィアラ大公は紫のドレスを着ている。女性ばかりでレグルスが何となく場違い感がある。
なびくゆるふわな金髪に空色の瞳。美人であるが眼尻にしわがあり、おそらくフィアラ大公と同年代だろう。だが、その落ち着いた優しそうな雰囲気が聖女っぽい。
「エリシュカ。こちらはログレス王国の王弟レグルス殿下と、そのパートナーでエレアノーラさん」
フィアラ大公がさらっと紹介する。さらに、女性の方も紹介してくれた。
「で、お二人とも。この女性が三日後に任期満了で退任するエリシュカ女王」
何となくそんな気はしていたが、あえて言う。マジか。エリシュカ女王はレグルスと二・三会話をした後、エレアノーラの顔をじっと見た。見つめられると、何となく今まで犯した罪を暴露したくなる。いや、そんな裁かれるほどのことはしたことないけど……。
「エレアノーラ……ウルシュラのお母様の名前と似てるわね」
「と言うか、元をたどれば同じ意味でしょ。言語が違うから発音が若干違うだけで」
「おお。さすがはウルシュラ」
「それ、ほめてないわよね」
何故か漫才を始めるエリシュカ女王とフィアラ大公。とても気安い仲のようだ。
「目の色も同じだし、もしかして血縁があったりして」
エリシュカが軽く笑って言った。これは、言ってみただけだな。しかし、ないとも言いきれないのでエレアノーラは思わずレグルスを見上げた。
「えっと。彼女、おばあ様がスヴェトラーナ帝国貴族なんですよ。皇妃を輩出したことがある家だとかで」
レグルスが説明すると、フィアラ大公が「ああ」とこともなげにうなずいた。
「じゃあ血縁あるわね。私、現スヴェトラーナ皇帝の従妹だから」
マジで!?
「ちなみに、母の名前はエレオノーラ」
「……」
エレアノーラとエレオノーラ。確かに、言語が違うだけで同じ名前だ。なんと言うかややこしい。
「でもまあ、親族としては遠いね。親族だけど」
とフィアラ大公が微妙な表情になる。何か嫌なことでもあったのだろうか。
「というか、どうして私たち立ったままなのよ。はいはい、座って。コーヒーでも出すわよ」
「あなた、紅茶党じゃなかった?」
「引継ぎ作業で頭ボーっとしてるのよ! どんだけ仕事あるのよ! いや、私のせいだけどね!」
なんだろう。フィアラ大公の性格が愉快すぎる。しばらくして、本当にコーヒーが出てきた。ちなみに、フィアラ大公が手ずから淹れていた。妙に手慣れている。いや、エレアノーラも人のことは言えないが。
何故かそこからティーブレイクに。女性三人に囲まれても違和感のないレグルスは普通にすごい。が、三十分ほど談笑した後、宰相補佐官が持ってきた大量の資料に、フィアラ大公が本気の悲鳴を上げることになった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は1年ほど前に連載していた『背中合わせの女王』の主人公2人に出張っていただきました。彼の物語が終了してから21年後……に、なりますかね?
ウルシュラの性格を思い出せなくて迷走中です。




