社交界【6】
エレアノーラ視点に戻ります。
朝、エレアノーラが目覚めると見知らぬ部屋にいた。のそりと起き上がると、これまた見なれないネグリジェだ。サイズがあっていないところを見ると、エレアノーラに合わせたものではないのだろう。最近は膝丈のものなどもあるから、それほど不自然ではないけど。
エレアノーラが起きたことに気が付いたのか、メイドが「おはようございます」と声をかけて来た。その茶髪のメイドにも見覚えはない。
「おはよう……で、ここ、どこ?」
寝起き一発目のセリフがこれであった。
メイドの話によると、ここはウェストン伯爵邸、つまり、エヴァンの実家だ。どうやら連れてきて寝かせてくれたらしい。一緒に飲みに行ったエヴァンもレグルスも女性用官舎には入れないので、措置としては当然だ。レグルスはわからないが、エヴァンの実家なのでエヴァンは絶対にいるだろう。あとで会って話を聞こう。
一応、エレアノーラが入浴している間にメイドたちがドレスを用意してくれたのだが、丈が合わない。エレアノーラが昨日着ていた普段着用のワンピースは洗濯中らしい。そこまでしてくれなくてもいいのだが……。仕方がないので、エヴァンの服を借りた。さすがに身長も体格も違うのでやや袖や裾が余るが、袖は折ればいいし、裾はブーツの中だ。ブーツはもともとエレアノーラが履いていたものである。
「お嬢様。エヴァン様がお呼びなのですが……」
「ああ。ありがとう。すぐに行くわ」
髪をポニーテールにしてエレアノーラはメイドについて移動する。ウェストン伯爵邸と言えば、レンガ造りのかわいらしい外観のお屋敷だ。屋敷の中もかわいらしく、廊下もこった窓枠などが眼に入る。
「エヴァン様。お嬢様をお連れいたしました」
「ああ、入って」
エヴァンの返事があり、メイドがドアを開ける。エレアノーラが中に入ると、メイドは入らずにドアを閉めた。
「おはよう、エリー」
「おはよう、エヴァン。昨日はご迷惑をおかけいたしました。どうもありがとうございます」
「どういたしまして――――と、それはいいんだけど」
エヴァンはニコッと笑った。
「これ、どうにかしてくれる?」
と、視線を移すと、ベッドの上でうなっているレグルスを発見した。それでエレアノーラは「ああ」と納得した表情になった。
「二日酔いね」
レグルスは下戸なのだ。せいぜい、ワイングラスに二杯しか飲めない。しかも、飲んだら飲んだで昏倒する。
「自分が下戸なの、わかってるのに何で飲んじゃうの」
「エリー、それ、見事にブーメランを描いてるよ」
「ああ、そうか。どうもご迷惑をおかけしました」
エレアノーラはエヴァンにつっこまれ、再び謝罪を口にする。レグルスはこちらの会話を聞いているだけでベッドで沈黙している。眼は開いているので起きてはいるようだが。
エレアノーラは手を伸ばし、人差し指と中指をレグルスの額に当てる。レグルスの額に小さな魔法陣が浮かび、エレアノーラが魔術を使っていることがわかる。
「一発で二日酔いを治せたりしないの?」
「できなくはないけど、すごく気持ち悪いと思うわよ」
エヴァンの問いに、エレアノーラはスパンと答える。二日酔いは回復魔法では治らない。大量の水と薬を飲ませるのが一番早くよくなる方法だ。エレアノーラは、それらに少し力を貸しているに過ぎない。
魔導師の魔術には、それぞれ個性があることが多い。例えば、エヴァンのように後方支援系の透視魔法が得意な魔導師もいるし、レグルスのような攻撃魔法が得意な者もいる。まあ、魔導師になるときに一連の魔術は習うので、国家魔導師ならたいていの魔法・魔術は使用できるはずだ。
個性のある魔術の中でも、エレアノーラの魔術は特に変わっていた。この世界の法則に干渉できるのだ。魔術は法則を無視するものだが、干渉はできない。魔術とこの世の法則は全く別のものだからだ。
しかし、なぜかエレアノーラは法則に干渉して、それを強めたり、弱めたり、逆に作用させたりできるのだ。それを使って、二日酔いの改善を速めている。時間に干渉することができるのでは? と言われているが、それは定かではない。今のところ、出来ない、としか言いようがない。
確かに、一気に二日酔いを改善させることもできる。しかし、それをすると気持ち悪くなる可能性が高い。魔法酔いの一種である。
「で、どうしてこうなったの?」
エレアノーラの記憶は、昨日酒場で飲んで愚痴を言いまくっていたところで止まっているが、その後、エヴァンの実家に来ていると言うことは、彼らが運んでくれたのだろう。少なくとも、酒豪のエヴァンは意識があっただろうし、レグルスもエレアノーラが知る限りは酒を飲んでいなかったと思う。
「それがね……この屋敷に来てから、少し局長と話をしていたんだけど、その時に出されたワインを一気飲みしちゃったんだよ」
「あー……」
一杯くらい大丈夫だと思ったのだろう。甘いぞ、局長。少しずつ飲むのと一気飲みでは全然違う。
「それに、出てきたワインがいいものだったんだよね。局長、これでも王弟だから」
「ああ……局長、お酒飲まないからわからなかったのね」
酒の良し悪しなど、飲む人にしかわからない。ワインの銘柄も同じだ。それは仕方がない、とエレアノーラは苦笑する。
「で、僕たち三人ともここにいるわけにはいかないんだけど」
ちらっとエヴァンはエレアノーラを見る。彼女は苦笑した。
「わかったわ。私が行けばいいのね」
レグルスはこの状態だし、この屋敷はエヴァンだ。彼がレグルスについているのが自然で、局長がダメなら副局長が行くのが一番自然である。
「悪いけど、服を借りて行くわ」
「ああ。そう言えば、その服僕のか」
エヴァンが思い出したように言った。エレアノーラは苦笑する。彼女は背が高く、一般の大きさのドレスでは丈が足りないのだ。だから、こうしてエヴァンの服を借りている。
「明日には返すわ」
「いっそそのままあげるよ」
「丈があっていないのに、もらってもね」
裾を詰めれば着られるが、さすがにそこまでしようとは思わない。エレアノーラは肩を竦め、もう一度礼を言った。
「エヴァン、昨日はありがとう。局長、よくなるまで無理しちゃだめだよ」
「ええ……エリーも、無理しないのよ……」
「大丈夫よ」
ゆっくりとした口調で言うレグルスに笑顔を返し、エレアノーラは宮殿に向かう。ウェストン伯爵と伯爵夫人に一日泊めてくれた礼を言い、エレアノーラはそのままコートを着て出勤した。一度官舎の自分の部屋に寄り、制服に着替える。エヴァンから借りた服はクリーニングに出した。
「おはよう」
「あ、副局長、遅い!」
出勤時間を過ぎてから事務室に現れた副局長に、局員たちから非難が飛ぶ。エレアノーラは「申し訳ありませんね」と肩をすくめる。
「でも、エヴァンから遅れるっていう連絡無かった?」
テレパシーが使えるエヴァンは、局員の誰かに連絡を入れてくれているはずだ。彼は生真面目だから、連絡を怠ることはないだろう。
「ありましたよー。ついでに、エヴァンさんと局長が出勤できないかもって聞いたから、みんな混乱しているのです」
女性局員のカレンが手をあげて言った。エレアノーラはなるほど、とうなずく。仕切る人がいなくて不安だったと言うことか。
「とりあえず全員、通常業務。何か重要事件とかは起こってない?」
「今のところ、ありません」
局員たちの報告をだいたい聴き、エレアノーラはうなずいた。異常なしが一番良い。
副局長が出勤してきたからか、局員たちはいつも通りの仕事をしてくれている。いたらいたで煩わしいが、いなければいないで不安になる。それが上司。
「副局長。次の園遊会で、警備に何人か魔導師を貸してほしいとのことですが」
会議から戻ってきた局員の報告に、エレアノーラは眉間を揉む。一応、魔導師の管理は特務局の仕事であるが、魔導師のほとんどは研究所に所属している。
「メイシー所長と相談ね……」
「ですね」
研究所の所長と相談して、何人か貸してもらわなければならないだろう。
「何人くらい必要なの?」
「せめて三十人は欲しいと」
「どんな規模の園遊会なのよ」
「現在、他国の使者の方もいらっしゃっていますからね」
「なるほどー」
エレアノーラは納得してうなずき、ため息もつく。それは警備を強化したいだろう。魔導師は一見、戦闘力がないように見えて強い、と言うのが利点だ。まあ、ログレスの人間はだいたいが剣を使えるのであまり見た目では判断できないことを国民のみんなが知っているのだが。
「たぶん、局長は出席者側になるわよね」
最近再認識しているが、レグルスは王弟だ。他国の使者が着ているのなら、その接待役として出席者側に回る可能性が高い。だとすれば、エレアノーラが最高責任者になる。
「こちらからも一人か二人魔導師を出さないとねぇ。一人はエヴァンで決まりだけど」
彼ほど、警備向きの魔導師もいないだろう。透視能力とか、犯罪を見つけるためにあるのだ。テレパシーは、指示を出すのに都合がいい。
いないばかりに勝手に警備担当者に入れられているエヴァン、哀れである。
「あの……副局長」
「何?」
ぶつぶつつぶやいて段取りを決めていたエレアノーラは、控えめな局員の声に視線を上げる。その局員は言いにくそうに言った。
「その。王妃様が……お呼びなのですが」
「誰を?」
「副局長を」
「誰が?」
「王妃様が」
「なんで?」
「……さあ……?」
首をかしげた局員に、エレアノーラはペンを投げた。額にペンがヒットする。局員はうめいて額を押さえた。
「理由まで聞いてきなさいよ! 誰からそんなことを聞いたの?」
「え。国王陛下です」
「マジか!」
じゃあ、本当の呼び出しじゃないか、とエレアノーラはやや混乱。そこに、タイミングよくと言うか、エヴァンとレグルスが出勤してきた。
「おはよう。遅れてごめん」
「おはよう……」
エヴァンは爽やかにあいさつして入ってきたが、レグルスは顔が死んでいる。だが、やつれていてもハンサムはハンサムだった。
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