エマージェンシー【1】
新連載です。よろしくお願いします。
「父さん、母さん!」
「コーディ!」
「ああ、よかった……!」
金髪の女性は抱き合う家族を見て微笑んだ。黒マントに身の丈ほどの杖を持った怪しい恰好であるが、なかなか整った顔立ちの女性だ。女性にしては背が高く、すらりとしていた。
「ありがとうございました、魔導師様!」
「ありがとうございました!」
両親と、女性が助けてきた少年が頭を下げる。女性は軽く手をあげて眼を細めた。
「いえ。こちらの任務中にたまたま見つけて保護しただけですから、気になさらないでください」
これは本当だ。任務中、森の中を捜索していたらこの少年がクマに襲われそうになっているのを発見したのだ。思わず助けてしまったのである。
「ああ。コーディ君を襲っていたクマ、そのまま放置してきたんですけど、いります?」
「え……」
あ、少し引かれた。もちろん、腕力で倒したわけではなく、魔法を使用したのだ。そう。この世界には、魔法が存在する。
「いえ、お気遣いはありがたいのですが……」
「この子を助けていただいただけで十分ですので」
母親と父親がそれぞれ言った。女性も気を悪くした様子はなく、微笑んで「そうですか」とうなずいた。クマ肉は美味しいらしいが、処理が面倒らしいので当然の反応である。そもそも、狩猟をおこなっている農村部の者ならともかく、彼らは観光でこの地域を訪れた都会の住人のようだった。つまり、中流階級の人間なので、クマの処理の仕方など知らないだろう。いや、彼女も知らないが。
「それじゃあ、コーディ君。もう勝手に森の中に入っちゃだめだよ」
「うん。ありがとう、魔導師のお姉ちゃん」
元気にうなずいたコーディの頭をひと撫でし、彼女は身をひるがえして森の中に戻って行った。
△
ログレス王国の王都はキャメロットと言う。別名、騎士王の都ともいうがそれは建国の王が騎士王と呼ばれているからだろう。
王都キャメロットの少し小高い所にあるのは、キャメロット城。この国の宮殿だ。
キャメロット宮殿の中に宮廷は存在する。その宮廷の中にある行政組織の中に、魔法特殊業務執行局は存在する。
通称、特務局と呼ばれるこの組織の全容は、一般的に不明とされる。行政官としてこの宮殿に詰めているのは、局長を含めて二十人程度。それ以外の局員はログレス王国各地に派遣されている。そこから、魔法に関する情報を集めるのだ。
魔法を行使するものは、この国では魔導師と呼ばれている。特務局は特殊で、その構成員はすべて魔導師で構成される決まりがある。そのため。行政官ですら魔導師である。
魔導師の数は決して少ないわけではないが、特務局には『一流』と認められた魔導師しか入局できない。魔法省の一機関でありながら、王の密命も受け持つこともある特殊な機関なのである。
そんな特務局の事務室はキャメロット宮殿の奥まったところにある。扱っている業務が特殊なので、他の官公庁と一緒に置けないのだ。
その両開きの扉を遠慮なく開けた女性がいた。
「ただいまー」
そう声をかけながら入ると、何故か歓声が上がった。
「あー、副局長。お帰りなさい!」
「やっとか。お帰り」
「良かった~。帰ってきた!」
ずらりと並べた事務机についている局員たちはそれぞれお帰り、と言ってくれるが、それは彼女の帰還を喜んでいると言うより、帰還してほっとしている、と言う感じが否めない。
「エリー、ちょうどいいところに。これとこれ、今日までに提出だから副局長印押してほしいんだけど」
「……」
帰ってきたばかりなのに、そんなことを頼まれた特務副局長エレアノーラ・ナイトレイは思わず沈黙を持って返した。ちなみに、ニコッと微笑む彼は、エレアノーラの二歳年上の同期である。
とりあえず、エレアノーラは自分の執務机まで行き、書類に押印した。というか、彼女の執務机には書類が山盛りである。
「わかるような気もするけど、エヴァン。これ、何?」
「何って、書類の山」
「ですよねぇ」
うん。どこからどう見ても書類の山。決済待ちの書類ども。同期のエヴァン・クライヴに押印した書類を渡しながらエレアノーラはため息をついた。エヴァンが苦笑する。
「ため息なんてついたら、せっかくの美貌が台無しだよ」
「余計なお世話よ」
エレアノーラはぐっと眉をひそめた。
エレアノーラ・ナイトレイと言う女は才女であり、なかなかの美貌を持つ女性だ。長身にウェーブがかった金の髪。翡翠の瞳を有する目は少々釣り目気味だが、気にするほどではないし、顔も小さい。しかし、エレアノーラはどこか自己評価が低いきらいがある。きれいなのにほとんど手入れをしていない髪と、外見を気にしていないシルバーフレームの眼鏡がその一端を垣間見せている。
「まあそれはともかく、局長は?」
「実験室に引きこもってる」
エヴァンが即答した。エヴァンも整った顔立ちの青年なので、魔導師と言うのは外見が整っているものなのかと認識されるかもしれないが、そんなことはない。まあ、美形率が高いのは否めないかもしれないが。
金茶色の髪に薄い茶色の瞳は優し気。壮絶な美形、と言うわけではないが顔立ちが整っており、性格もあって結構女性にモテる。エレアノーラもそうだが、彼ももちろん魔導師だ。
「先に引っ張り出してくる? それとも、この書類を何とかした方がいい?」
書類を片づけるのが先か、引きこもり局長を引っ張り出すのが先か。どちらも、彼女の役目になっている。面倒くさい。
「先に書類の方をお願いします。でもその後で局長を引っ張り出してきてほしいかな」
「了解」
エレアノーラは快諾すると、両の腰に手を当てて自分の机を見た。
副局長であるエレアノーラの席はこの事務室の最奥にある。机も若干広い。机の島は全部で三つあり、それぞれ十ずつの机が島を構成している。その中央の島に、エレアノーラの座席はある。
とりあえず、自分が仕事をするスペースを作り、エレアノーラはざっと書類に目を通していく。捺印が必要なものにはがんがん印を押し、サインをしていく。
「……というか、たった三日いないだけでこんなに仕事がたまるものなの?」
エレアノーラがいなかったのは三日間だ。たったそれだけで、こんなに仕事はたまるのか?
特務局の仕事は特殊だ。魔法関連の事件や事故を扱うのだが、人様には言えない裏の仕事なども担っている。そのためか、局長は王族だ。
その関連で、エレアノーラはログレスの南方の島まで出張に行っていたのだ。彼女は現在副局長であるが、これはこの春に突然つけられた肩書だ。エレアノーラにも意味が分からない。二十一歳の小娘を副局長にしてどうするのか。
まあ、三か月ほどたってわかったが、エレアノーラに求められているのは副局長としての職務ではなく、局長の補佐である気がした。でも、それはエヴァンでもできるはず。ちなみに、エヴァンは筆頭補佐官である。
それはともかく、副局長であるエレアノーラがいないため、仕事が進まなかったようだ。局長は引きこもってるし。
「まあ、局長が引きこもってるから。そう言えば、アヴァロン島はどうだった?」
エヴァンはエレアノーラから見て左手の島の一番奥に座っている。彼も資料を見て報告書をまとめている。エレアノーラも報告書を書かなければならない。
「観光客が多かったわね。島の森の中はそうでもなかったけど、クマがいたわ」
「……エリー。君、何してんの」
「いや、遺跡を巡ってたらクマに襲われてる子を発見したのよね~」
さすがに私も放っておけなかったわ、とエレアノーラ。エヴァンは呆れた調子で言った。
「まあ、それはいいよ。見捨てろとは言わないよ。ただ、そこじゃないでしょ」
「わかってるわよ。冗談よ」
手を止めてこちらを睨んできたエヴァンに、エレアノーラは肩をすくめた。エヴァンはため息をつく。
「エリー、そんなんだから君、局長と一緒にされるんだよ」
「うん。そうなんでしょうね……」
エレアノーラは笑ってうなずいた。エヴァンは呆れた様子で、「それで、アヴァロン島は?」と再び尋ねてきた。
「もぬけの殻だったわ。私たちが探っているのに気づいて、場所を移動したのかもしれない」
「ああ……彼らも、そこまで間抜けじゃないか」
むしろ、いたらいたでエレアノーラだけで対処できたかはわからないのだが。
今、ログレス王国では魔法犯罪が問題になっている。キャメロットから離れたアヴァロン島という観光島で、国家魔導師、つまり、国から魔導師免許を交付されている魔導師が殺害された。そして、魔導師免許が奪われていたのだ。
国家魔導師とは、相当優秀でなければなれない。学会で一定の成果を示さなければ、権利が剥奪されてしまうこともありうる。ここにいる特務局の魔導師は、全員国家魔導師の権利を持っている。
条件の厳しい国家魔導師であるが、その代わり、国家に保護され、研究費用を出してもらえると言う特権がある。そのため、毎年目指すものは多い。
その国家魔導師であるが、認定されると手帳型の免許と、国家魔導師であることを示すブレスレットが渡される。これらが奪われていた。
この国家魔導師の免許は、いろんなものに仕える。お金を借りることもできるし、通行手形にもなる。何より問題なのは、手帳とブレスレッドがあれば、宮殿の中に入れてしまうことだ。
もちろん、本人確認はするし、殺された魔導師の名もわかっている。だから、宮殿の門で捕まる可能性もあるが、通り抜けられてしまう可能性も除去できないのだ。
キャメロットに乗り込まれてはまずい、と判断した特務局は、国家魔導師を殺したと思われる男を探すため、エレアノーラはひそかにアヴァロン島に派遣されたのだ。
「最近まで人がいた形跡はあったんだけど」
「エリーみたいに移動魔法が使えるなら、一瞬で本島に乗り込めるしね」
エヴァンがやはり書類から目を上げずに言った。移動魔法は、簡単に言えば瞬間移動であり、エレアノーラがこの魔法を使用できるということが、今回彼女が調査員に選ばれた理由であった。
この魔法は便利だが、失敗すれば空間のはざまに取り残されるし、しかも、使える場所がかなり限定的だ。そして、キャメロット宮殿のような強力な結界が張ってある場所には、魔法で侵入できない。便利なようで、なかなかに制約の多い魔法である。
詳しいことは後で報告書にまとめよう、と思い、とにかくこの決済待ちの書類の処理にかかる。これが終わったら、局長を引っ張り出し、それから報告書に取り掛かろう。
そんなことを考えていたエレアノーラの耳に、ばんっ、と騒々しく扉を開く音が入ってきた。思わず目を上げる。
「副局長、エヴァンさん! 局長が!」
勢いよく扉を開いた局員の叫びに、エレアノーラとエヴァンはバッと顔をあげ、そして、同時に同じことを思った。
局長! 今度は何しやがった!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そんなわけで新連載であります。オネエな局長は2話目に出てきます。本日8時にもう1話、投稿します。