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フィーネの唄  作者: 鍵勝子
Re:birth day
3/3

記憶なし子

七瀬唯


 涙が出たことに気づいたのは、頬を伝う熱さに我にかえったからだった。

 瞑目していた目を恐る恐る開くと、変わらず僕の上で睥睨する紅い目がある。……生きている。なぜ?


「……やっぱり、殺せないか」


 諦観めいた声が、少女から聞こえた。嗅いだ憶えのない匂いが鼻をつく。これは硝煙の匂い、なのだろうか。


「なんで泣いてるの?」


 心底不思議そうに少女が言った。答えられなかった。それよりも声すら姉に似ていた驚きの方が強かった。姉とは違って、快活でおどけない声音だったが。


「そう、まあ、何でもいいか。ところでさ――私って誰なの?」


 僕が聞きたかった。



「えっとね、日本に来た経緯と過去の大まかな記憶はあるんだよ。これホント。でも、名前と昨日の記憶がすっぱり抜け落ちてるんだ。不思議だよねえ」


 能天気極まりない口調で店屋物のクロワッサンを咀嚼しながら、他人事みたいに少女が言った。僕は状況が飲み込めず、テーブルの向かいで彼女がひたすら物を口に運びながら口にする話に耳を傾けることしかできない。女性物のスーツを着ていたから年上かと思ったが、まだ十代半ばらしい。

 この少女は、どこかから取り出した実銃を仕舞うと、腹を鳴らしてご飯を所望した。唐突に殺されかけたのになぜか生きていて、おまけに僕が傷つけたと思わしき少女は記憶喪失。

 お互いに昨夜の記憶がない今、結局ことの真相を知る手がかりがなくなってしまった。が、僕が彼女に怪我を負わせた事実に変わりはない。気持ちを落ち着かせると、意を決して告白した

「……昨日のことだけど、君の頭に怪我を負わせたのは、たぶん僕だ。僕も記憶がないから確証はないけど……朝になって目が醒めて、治療するために家に運んだんだ。他意はないし、変なこともしてない。でも、責任は取るし、警察にも行くよ」

「怪我? 別にいいよ、もう治ったし」

「治るわけないだろ。ついさっきできた怪我だぞ。血もたくさん――」

「んー、もうっ! めんどくさいなぁ。ほら、痕なんかないでしょ?」

「……!? 何で……!」


 絶句した。包帯を外し、髪を掻きあげると、今朝にはあった痛々しい裂傷が跡形もなく消えていた。少女は包帯を乱雑に丸めて放り投げると、


「それに警察行かれても困るんだよね。私の為を思うならやめて。私、不法滞在してる犯罪者だもん、国家権力とか困るんだー」

「不法、滞在?」

「そ。だから悪いのはお互い様だね。ナカマナカマ」


 邪気のない笑顔でさらりととんでもないことを言った。……頭がついて行けない。姉に似た顔で、何を言うんだこの子は……


「ねえ、きみは名前なんていうの?」

 サラダのプチトマトを口に含んだまま、あどけない瞳で僕を見つめてくる。


「……唯だよ。七瀬唯」

「ふーん、ユイかぁ。ユイって日本人なのにちょっと私に似てるよね。黒髪だし」

「……うん、そうだね」


 姉に似ているのだから、弟の僕に似るのも必然だったが、言葉にはしなかった。プチトマトを嚥下し、緋色の糸を引いたかのような唇を舐めてから切り出した。


「ユイってさぁ、私と同じ『覚醒者』だよね。段階はわからないけど」

「……覚醒者?」


 聞き覚えのない言葉に眉を顰める。その僕を見て、少女も小首を傾げた。


「あれ、呼び方が違う? 日本だと『ガブリエルの使徒』とか『超越者』、『咎人』、『鬼子』とか言われてると記憶してるけど」

「いや、まったく知らない」

「? 無自覚? ひょっとして私、からかわれてる?」

「からかってるのはきみじゃないの?」

「心外ぃ。私、嘘はつかないよ!」


 不満げに頬を膨らます少女。参った。話に理解が追いつかない上に、貞淑で大人っぽかった姉の顔で幼く愛らしい仕草をされると、どうも気が狂う。


「さっき私が銃できみを撃ったでしょ? その時に水晶を出して身を守ったじゃない。あれ、きみの能力だと思う。自覚なしで自動的に発動するタイプなのかな? 聞いたことないけど」

「水晶? 能力?」


 発言に現実味がなく、本当はまだ夢の中にいる気さえしてきた。彼女の言っているのは、オカルトや超能力の類なのか。漫画の中の話だ。平素なら少女の正気を疑うだろう。が、


「こういうやつだよ。ほら」


 何もなかった少女の手のひらに仰々しい銃が現れ、ひとしきり弄んで宙に放り投げると一瞬で消えた。唖然とする僕を見て満足したのか、少女は両手を広げて人を食ったような笑みを浮かべた。


「種も仕掛けもございません、だっけ。忘れた。こういう異能が使える人種のこと。きみも使えてたよ。いつ目覚めたのか知らないけど、運が良かったね。普通なら怖い人に殺されてるよ」


 物騒なことを冗談っぽく話す。……しかし、彼女の発言が作り話や与太の類ではないことは、これではっきりした。未だ半信半疑だが、目の前で披露されては否定しようがない。


「……その、覚醒者ってのは何なの?」

「人間が後天的に変質して、ひとつ上の段階に昇華した生き物。文字通りヒトを超えた新たな人類の暫定的な呼称。定義は明確になってないから私も詳しくは知ーらない。大まかな特徴しか話せないけど、それでもいい?」


 当事者の彼女自身が、その覚醒者とやら関心が薄いことに気にかかったが、ひとまず頷いた。

 思えば、こんな不可解な話だというのに僕の猜疑心も薄かった。それは、彼女が醸す雰囲気と、その尋常の埒外にある超然とした感覚に呑まれていたのかもしれない。或いは、僕の本能が同種の前とあって警戒を解いたのかもしれなかった。

 なぜだろう――姉がいなくなって以来の理解者が、やっと、現れてくれる気がした。






「きみ、親がいないでしょ」

「いや、いるけど」

「ええっ?」


 説明が始まってすぐに、話が頓挫した。核心を衝いたつもりが、見事に外れた少女は、ショックだったらしく大仰に驚いている。


「おっかしいなー。ま、いっか。私たちってね、生まれた時は普通の子どもなの。普通に人間として生まれて、人間として生活しているんだけど――ふと、脳に異常が生じる」

「異常?」

「原因は判ってないし、原理も不明。一説には遺伝子の突然変異だとかウィルス説もあったかな? 外見には変化もないのに肉体が強靭になって、精神構造が切り替わる。これが一段階。この時点で、一般家庭で育った覚醒者は、共通してある行動を取る」


 視線で続きを促すと、事も無げに言った。


「肉親を殺すの」

「……なんで?」

「もうその時点で違う生き物だから。人間は人種の違いはあっても、ヒトはヒトだって判るじゃない? 覚醒するとね、その同種がホモ=サピエンスじゃなくなるの。突発的に切り替わるものだから、その変化に混乱して衝動的な破壊行動を取る。その対象に近しい人間が多いらしいよ。感覚の変化は……親しい人が、いきなり猿に見えるようなものだって想像して貰うとわかりやすいかな。

 ……ユイは親がいるんだっけ? なら、うんとちっちゃい頃に変わったから違和感がないのかもね。もしくは、兄弟を殺しちゃったのかな」

「……」


 寒気がした。僕には生みの親がいない。肉親は姉のみ。その姉も、小学校に上がってすぐに亡くなっている。それに……いや、ありえない。

 思慮するのをやめ、思考を切り替えるべく彼女に話題を振った。


「……きみも、殺したの?」

「さあ、どうでしょうか」


 僕の後暗い思いを察してか、彼女は努めて明るい語調で舌を出して、おどけてみせた。


「自分の名前もわからない女の子の過去なんか詮索しても面白くないと思うよ、ユイ。エッチって思われちゃうよ」

「なっ――!」

「さて、どこまで話したっけ? 覚醒者の割合は女が八割近くて、しかも覚醒するのは十代に多いの。繁殖する為って言われてるけど、詳しくはさっぱり。傾向的に処女が目醒める確率が高いから、『ガブリエルの使徒』なんて言われてるんだよ。なんかエッチでしょ?」

「……」


 言葉に詰まる。女の子に下ネタを振られたら、どう返せばいいのだろう。親しい異性は妹しかいないし、妹はそういう話が苦手だから耐性がなかった。


「んー? あと何か話すことあったっけ?」

「さっき言ってた段階っていうのは?」

「ああ、段階は、そのまま覚醒の段階だよ。変化するのが第一段階、能力に目醒めるのが第二段階。その次は……忘れた」

「あ、そう……」


 拍子抜けしてしまった。記憶喪失らしいから、知識にも欠損が見られるのだろうか。


「あー! いま大したことないな、とか思ったでしょ!」

「思ってないよ」

「嘘! 私にはわかる! 罰としてミルクおかわり!」


 言いがかりをつけられ、仕方なく唯々諾々と従う。後ろめたい過去と想いがある為、僕も歯向かう気は起きなかった。

 ……昔は、僕が姉に何でもしてもらっていた。それが今は、姉に似た名前も知らない少女とはいえ、僕が面倒をみる側になっている。面映ゆい感傷に浸っていると、インターホンが鳴った。


「? おお、文明の利器!?」

「ただの呼び鈴だよ……」


 大げさに感嘆の声をあげる少女にため息をつき、玄関に向かう。インターホンには姿が映っていなかった。怪訝に思いながらもドアを開けると――


「どちら様、ですか?」

「……」


 ――燦然と煌く銀髪に、まず目が奪われた。次いで、菫色の瞳。そして、形の良い輪郭を覆う白磁の如き肌の白さ。造詣の妙を嘆ぜざるを得ない美貌の少女だった。

 少女は、問い掛けに一瞬、目を伏せた。逡巡したかのような素振りを見せて、緋色の糸を引いたかのような薄い唇が動く。


「クラスメートの菊理紗弥くくりさや。七瀬くん、今日はお願いがあってきたの」

「? なに?」

「んー? どうしたのー?」


 気になったのか、赤目の少女が顔を覗かせた。すると、少女を見つけた眼前の客がやおら瞠目し、射殺さんばかりの凄惨な眼差しで少女を睥睨する。彼女は底冷えする声で言った。


「彼女を殺させて」




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