99話「旅は道ズレ」
「で」
俺は藤原がおこした焚き火の前に座っている。藤原はというと、その対面にいる。
「なんでお前がまだここにいるんだよっ!?」
「いいじゃねーか。俺がどこにいようが、俺の勝手だ」
日が暮れてきたのでひとまずこうして焚き火でもして暖を取っている次第である。季節は秋といっても、夜の野外は冷える。火の妖術符はこういうとき役に立つな。
「っていうか、なんで無傷なんだよ。おもいっきり燃やしてやったのに」
「俺は水タイプのポケモンで、お前は火タイプのポケモンだから」
いや、ポケモンじゃないけど。確かに少々熱かったが。
それを言ったら、黒焦げの焼死体状態から復活した藤原の方が常識はずれである。
「もう帰れ! ここは私の家だ! 出ていけ!」
「ほあ、屋根も壁もないなんて随分開放的な住まいですな」
まあ、妖怪の巣なんてどこもそんなもんだけどね。
俺は甲羅の中からおつまみのスルメを出す。手がないので、首を突っ込んで口にくわえて取り出した。あぶってから食べようと焚き火に近づけるが、顔も一緒に近づけないといけないので熱いな。
そのとき視界の端で、藤原が火に符を一枚くべるのが見えた。その直後、焚き火の炎が小さな爆発を起こす。
「あちゅあああ! あちっ! あちい! てめっ、なにすんじゃこら!」
藤原は俺が口から落としたスルメをひったくるように奪って拾い食いしていた。腹が減っていたようだ。ものすごい勢いでほおばっている。口からゲソが飛び出ていていた。
丸々一匹のスルメイカは食べづらかったようで、しばらく飲みこむまでに時間がかかっていた。その間、ぱちぱちと火がはぜる音だけが森に響く。ああ、あとくちゃくちゃという咀嚼音も。
俺は食べ終わるのを待って話しかけた。
「なあ、藤原」
「藤原言うな!」
俺はお前の名前を知らないんだよ。藤原不比等の子どもだから藤原でいいだろが。お前なんて藤原で十分だ。
いや、そういう言い方だと全国の藤原姓に失礼だな。
「じゃあ、藤原さん」
「余計、気持ち悪い」
「……」
沈黙が続いた。今度こそ、ぱちぱちと火がはぜる音だけが森に響く。
冗談はここまでしておいて。
「お前のありえん自己再生能力を見せられると、不老不死というのもあながち嘘ではない気がした」
「始めから嘘なんかついてない。“蓬莱の薬”を飲むことで、私は『老いることも死ぬこともできない程度の能力』を得たんだ」
今さら月人の技術力に疑問を持つことなどしない。不老不死の薬が作れたところで、あいつらのならおかしくないと思えるくらいには慣れてしまった。しかし、それだと月人はみんな不老不死になっているのだろうか。依姫は俺の攻撃を受けて傷を負ったが、藤原のように即座に回復するようなことはなかった。月人が即死することもありえるという風なことを言っていた気がするし、何がどうなっているのかわからない。
「まあ、わからないことを考えてもしかたがない。そう思わないか? どうせ死なねえんだし、何も怖いもんなんかないだろう」
俺がそう言うと、藤原は苛立たしげな表情で睨んできた。そういう言葉は禁句のようだ。自分の信念を他人に口出しされることほど不愉快なことはない。
「お前に気休めを言うつもりはない。ただ、“生きる”ってことは“死ぬ”ことじゃないと思うが」
俺はこの先どのくらいの時間を生きるのかわからない。だが、少なくともまだ死ぬことはできない。なぜなら、俺には生きる目的があるからだ。逆に言えば、その目的さえ叶えば今すぐにだって死んでもいい。
妖怪というのは、特に強くて長生きの妖怪というのは自堕落な者が多い。生きる目的がなくても死ぬことがないからだ。何百歳になっても暇だ、退屈だといつも言い、子どものように遊び呆ける。そこのところ、人間の寿命は俺たちと比べるとあっという間だ。だから、その短い人生にとてつもない輝きを見せるのだ。その急激な進歩する力には、妖怪もかなわない。
これは俺の推測にすぎないが、藤原は混乱しているのだ。何の制限もなく与えられた永遠の“生きる時間”は、普通の人間の感覚からすれば恐怖だろう。何をすればいいのか、いや、何がしたいのかわからずに暴れている。
「たとえあと一日の寿命だろうと、一億年の寿命だろうと、やることは変わらないさ」
「……人間は、そんな割りきった考え方はできないんだ」
そうか。まあ、ゆっくり考えればいい。その時間はある。
俺は焚き火の前から立ち上がる。
「さて、俺はもう行くぜ」
「さっさとどこへなり行ってしまえ」
「お前も、もうここに長くいない方がいい」
藤原はその言葉に何も答えない。自分でもわかっているのだろう。ここに居座り続けたところで何もいいことなんかない。いくら生まれ育った地だと言っても、すでに自分のことを知る家族すら残っていないというのに。それでも、離れられないのが人の気持ちというものか。
「……はやく行け」
嫌われたものだ。俺もこいつのことは好きになれない。やはり最初に思った通り、面倒くさい奴であることに変わりはなかった。今後とも関わり合いにないたくない奴であることは間違いない。
だが、一つだけ感謝したことがある。
俺にあの感情を思い出させてくれた。少し前まで、俺だってこいつみたいに突っ走ることができたんだ。先のことなんか何も考えずに無茶ができた。それが急に出来なくなった。目の前に立ちふさがる壁を見て、諦めてしまった。そのことにさえ気づいていなかったのだ。俺がなくしてしまった心の破片が何だったのか、思い出すことができた気がする。
それはほんの小さな火だ。今にも消えてしまいそうな弱弱しい火だ。だけど、確かに燃えていた。こいつが俺の心にわけてくれた、わずかな種火だった。
それっきり言葉をかわすことはなく、俺は森を後にした。