97話「不幸自慢」
あのとき見た妖怪がまだ生きていたのだとすれば、色々な意味で驚きである。そして、少女は俺の言葉を否定しなかった。
「ああ、そうだよ。かぐや姫のせいで、私は父を奪われた。それだけじゃない。不老不死の体にされて、永遠に生きる呪いをかけられた。歳をとることもできない私は、町の中では暮らせない。化け物と罵られながら生きるしかない!」
「不老不死? いくら妖怪でも死ぬときは死ぬぞ?」
「月人の霊薬だ。“蓬莱の薬”を飲んだ者は不老不死の力を得る。最悪の呪いをな」
どこかで聞いたことがあるような、ないような話だ。つまり、こいつは月人のトンデモ技術によって、望まぬ力を与えられ、そのせいで苦しんでいるということか。
あれ、なんか身に覚えがあるような。
「いいじゃねえか、不老不死。古今東西、その力を求める人間は山ほどいる。その話が本当なのだとしたら、お前は幸運だ」
「知ったような口を聞くなああ!!」
妖怪の少女は俺の顔面に蹴りを入れてくる。痛え、痛え。前歯が折れそうだ。避けるのも面倒くさくなった俺は、甲羅に引っ込まずに蹴りを受け続ける。
「お前に何がわかる!? 死にたくても死ねない、家族にすら追い払われる! その家族だってもうみんな死んでしまった! 私一人を残して寿命で死んでいく! こんな化け物みたいな体は嫌だ! それもこれも、全部かぐや姫のせい! あいつのせいだ! いつか殺してやる! そのためなら、この忌々しい不死の体だって利用する! 私は強くなる! 立ちふさがる者すべてを壊して私は!」
「ぐあっ! それで、ぐぶっ! 自分は、ひ、悲劇のヒロインに、がっ! なったつもりか?」
俺は笑う。蹴られながら嘲笑する。妖怪は、足を止めた。
「自分は世界一不幸な少女だから、鬱憤晴らしに他の妖怪たちを蹴散らしても大目に見てくださいってか。良い根性してるな、お前」
「っ!! けがらわしい妖怪風情が! 調子に乗るな!」
少女が足を振り上げ、全力で蹴りを放ってくる。それを俺は顔面で止めた。大きく口を開き、少女の足に噛みつく。首を出したまま『隠れ玄武・円舞』を使い、甲羅を回転させる。少女を振り回して遠心力で投げ飛ばした。
「うわあっ!?」
気にぶち当たって止まった少女は、しかしすぐに起き上がった。このくらいでくたばりはしないだろう。俺も脚を甲羅から出して立ち上がる。
「なるほどね、じゃあ俺も気が変わった。お前、むかつくわ。ちょっと鬱憤晴らしするから、俺に蹴散らされてくれ」
不老不死の苦しみが、俺にわかるかだって? わからないね、そんなもん。だからどうした。勝手に一人で苦しめばいい。
お前のことが気になったわけがわかったよ。見ていると、イライラするんだ。
「手なし亀妖怪なんかに負けるか! 返り討ちにしてやる!」
少女が妖術符を握る。その手から炎弾が発射された。陰陽五行の火の力を宿した符だ。相性の問題もあるが、下級妖怪ならこの威力でも何とかできるだろう。しかし、あまりにも術式が甘すぎる。俺にすら構成を読み取れるほどだ。妖術符の初歩の初歩を学んだだけにすぎない俺にすら読みとられる程度の術式である。
「殺法『黒兎空跳』……」
ぱぱっと回避して敵の後ろに回り込む。そう思い、忍術を使おうとした。
(……!? 妖気がおかしいぞ)
だが、発動しない。妖気が体内を循環しないのだ。いつもなら意図して自在に循環をコントロールできるのに、なぜか停滞して動かせない。狂気がなくなったわけではない。ただ、意識して操れなくなっていた。
棒立ちになっていた俺に炎弾が直撃する。ほとんどは甲羅に当たったので、痛くもかゆくもなかった。それはいいとして、なぜ妖力循環がうまくいかないのかが気になる。
「ちっ、あんまり効いてない……こうなったら直接燃やしてやる!」
妖怪が走り寄ってくる。接近戦をしかけるつもりか。
俺の体の不調の原因はわからない。この妖怪が能力を使っているということもないだろう。俺自身に原因があるはずだ。
隙だらけの体勢でこちらに突っ込んでくる妖怪のことはとりあえず無視して、目をつむり精神を集中する。妖力のモーターは、錆ついてしまったかのように動きが鈍い。その感覚に少しずつ馴染ませるが、どうしても焦りの方が先立つ。目を開けると、すぐ近くに妖怪が迫っていた。しかたない、勢いでやってみるか。
「殺法『黒兎――』」
「燃え尽きろおお!」
「『――核狩』!」
敵の中段に向けて蹴りを放つ。その直後、鋭い破裂音とともに妖術符を使って攻撃しようとしていた妖怪の体が、上下二つに二分した。板でも割ったかのように腰から綺麗に折れてちぎれ、上半身だけが吹っ飛んでいく。
正直、ここまでする気はなかった。自分の中ではもっと低めに威力を設定していたはずだ。
そうか、出力が安定してないんだ。俺の心は壊れていた。壊されていたことをここに至って初めて自覚した。おそらく、依姫から受けた神降ろしの技による浄化が原因だと思う。精神が形作る心臓、まさに『心』は妖力を巡らせるポンプだ。もともと俺の『心』には過大な負荷がかかっている。妖力循環という行為そのものが『心』を壊す要員なのだ。それに加えて外部からも攻撃が与えられたとなれば、故障しないわけがない。
この状態では、『黒兎空跳』は使えそうにない。あれは始動と制動に精密な力のコントロールが必要となる。さらに、『黒白閃兎』も使えるかどうかわからない。圧縮系の忍法は一歩加減を間違えば、手元で誤爆してしまう危険な技だ。『黒兎核狩』は辛うじて使えたが、威力が不安定だ。この『基本三技』の連結忍法は発動さえ不可能だろう。
「しかし、派手にやったな。死んだか?」
吹き飛んだ上半身のところに近づくと、まだ息があった。それどころか、肉体が再生している。
肉体の損傷を修復させる力というのは、その妖怪の“受肉度”によるところが大きい。どれだけ物質的な肉体に依存しているかという要素だ。妖獣の場合は受肉度が高いため、怪我は回復させにくい。反対に概念から生まれた妖怪は受肉度が低いので、物理的な肉体の損傷に関しては比較的簡単に回復できる。
しかし、概念妖怪も物理的攻撃が全く効かないわけではない。例えばダイナマイトで原形がなくなるまで木端微塵にされれば、さすがに死ぬ。傷を治すにしても大きく妖力を消耗するので、無限に回復できるわけではない。
極論を言えば、力の弱い亡霊などは受肉ができないので、そもそも物理攻撃自体が通用しないが、受肉していないということは自分も物理的な干渉をすることができないということである。そういう者たちはちょっとした霊力や妖力による攻撃でオダブツなので、強いわけではない。
「うぐぁ……いたい、いたい……!」
妖怪少女は再生してもまだ痛みがあるのか、地面を転げまわっている。強い痛覚を持っている妖怪は受肉度が高い証だ。しかし、それにしては再生が速かった。これが不老不死というやつだろうか。