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93話「日はまた昇る」

 

 瞼をゆっくりと開いていく。天井が見えた。

 

 「気がつきましたか」

 

 頭上から声がした。俺は眠っていたようだ。

 ここ一億年、毎日欠かすことなく見ていた悪夢。赤い月と黒ずんだ青い夜空の悪夢は、長年俺を苦しめた。それが今回はなかった。ただそれだけの事実ならこれほど嬉しいことはない。しかし、その代わりに白い夢を見た。何もかも白く塗りつぶされた、汚れのない夢。清潔な夢。俺という存在ヨゴレさえ、そこにはなかった。あれが月人の理想、完全な穢れなき世界なのか。だとしたら、俺以上に狂っている。いや、どこまでも正常で清浄というべきか。相対的に、俺から見てそう見えたというだけにすぎないのだろう。俺は狂っているのだから。あのまま白い夢を見続けていたなら、俺は生きてはいなかった。また、悪夢の中にもどってきた。それがむしろ心地よいとさえ感じるのだから滑稽だ。

 身震いがする。俺は確実に何かを失っていた。精神に開いた穴が疼く。こぼれた自我はもう、元には戻らない。痛みはない。ただ、欠損していた。記憶とか人格が壊れたわけではない。自分自身、何を失ったのかわからないのだが、忘れたことを忘れてしまったかのような空虚な喪失感に苛まれた。あるいは俺が気づいていないだけで、もはや昔の俺とは全くの別人になっているのかもしれない。そんな感じ。

 俺は布団に寝かされているようだ。さっきの声の主は、俺の枕元に座っていた。紫の式の九尾だ。確か、藍という名前だったか。ということは、俺はあの戦争から生還できたらしい。

 

 「ここはどこだ」

 

 「白玉楼です。紫様があなたをここへ運びました」

 

 あの日から、すでに三日が経っていた。死にかけの俺は紫に助けられ、意識のないまま白玉楼で眠っていたようだ。

 藍にその後のことを聞いた。まず戦争の結果は言うまでもなく、こちらの大敗だ。完膚無きままに叩きのめされた。妖怪軍は、玉兎によって仕掛けられた妖力過活性化電磁波フィールドの罠を打ち破り、これから本格的な進軍を始めようかというところで、月人からの攻撃を受けた。おそらく、俺が会った綿月とかいう月の使者の姉の方だ。そのたった一人の月人に千の妖怪たちは敵わなかった。戦いにすらならなかったと言った方がいいか。一瞬にして無力化された。妖忌を地上へ送ったあの能力である。なすすべもなく妖怪の大部分が地上に送り返され、それっきりだ。

 紫は総大将なのでタダで地上に帰されるはずもなく、その月人に捕えられた。しかし、能力を駆使して全力で逃げ切ったようだ。さすがにあのプライドの高いスキマ妖怪も、相手が悪いと悟ったようで、終始逃げの一手をとった。そのとき偶然にも依姫に殺されかける俺を発見したらしく、間一髪のところでスキマに取り込んで保護したのだそうだ。

 

 「どういうわけか、月と地上をつなぐ術式に介入されまして、しばらく道を閉ざされてしまったのです」

 

 藍がげっそりと疲れた顔で遠い目をしている。紫は月に取り残され、帰ることもできず、死と隣り合わせのサバイバルゲームを味あわされるはめに。地上送りを免れた妖怪軍の残党たちも他に何人か残っていたが、そんな戦力で対抗できようはずもなく、依姫に瞬殺されていった。そんな妖怪たちを保護しつつ、紫は逃走を続ける。ようやく、藍が術式の制御をとりもどし、紫は泣きべそをかきながらほうほうのていで地上へ逃げ帰ったというわけである。

 そんな紫は精も根も尽き果てて、少々早い冬眠の準備に取り掛かっているらしい。妖怪軍の兵は、その多くが行方不明になっている。確認がとれたのは、百人程度だ。妖忌も、どこに行ったのかわからないそうだ。

 

 「……はは、そいつは紫もかたなしだ。もう、二度と月に戦争なんてしかけようとは思わないだろうな……」

 

 「そうですね。まあ、それ以前に今回使った術式はもう通用しそうにありませんからね」

 

 月と地上を結ぶ道、その術式は俺では理解しがたいほどに複雑だ。『月の裏側』という場所は特別な結界によって閉ざされた空間であり、通常の手段では侵入することができない。そこに紫の能力によって、無理やり穴を開けて道を作った。

 わかりやすく言いかえると、コンピュータにハッキングをしかけるようなものと考えてほしい。今回の一件で、そのセキュリティは強化された。もう同じ手は通用しない。

 

 「一応、解析は続けていきますが、新しい術式の開発は難航するでしょう。完成は何百年先になることやら」

 

 これで手詰まりだ。重い閉塞感に、どっと疲れが増す。また、一からやり直し。いや、マイナスからのやり直しだ。月に行けば永琳に会える、そう信じていたのに。目指すところがあるから頑張れた。ただがむしゃらに走ることができた。だが、その目標を失って、俺はこれからどうすればいい。

 依姫の言葉を信じるのなら、永琳は月にはいない。なら、どこにいる。地上だろうか。もしかしたら、火星かもしれない。水星かもしれないし、金星かもしれない。月に都市を築くような技術力があるのだ。宇宙のどこに行こうと驚くに値しない。俺はどこを探せばいいんだ。

 永琳は、どこにいるんだろう。

 


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