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89話「超越」

 

 「な、なんだこれは!?」

 

 祇園の剣の檻に捕えられた俺は、妖忌の悲鳴を耳にした。見れば、なぜか地面に寝転がり、じたばたともがいている。妖忌はもう一人の月人と闘っていたはずだ。一体、何があったというのだ。

 

 「斬れない……! どうして、こんな細い糸一本なのに!?」

 

 よく見れば、妖忌の体には糸が巻きつけられていた。まさに蜘蛛の糸のような細さ。だが、強靭なワイヤーのように妖忌を拘束して動きを封じている。

 しかし、ただの糸でどうにかされる妖忌ではないはず。もしそうなら拘束される前にあっさりと断ち切っている。だが、妖忌は現に捕まった。身動きを阻害されながらも必死に糸を切ろうともがいているが、まったく刀の刃が通らない。

 

 「ふふ、無駄よ。それはフェムトファイバーという特殊な素材なの。認識を遥かに超えるほどに分割された微小な時間、“須臾”を人工的に作り出す技術によって四次元的物質構成を可能にする。わかりやすく言えば、無限に連続する時間のように一分の隙もなく編み込まれた繊維よ。いくらあなたが腕の立つ剣士でも、時間を切ることはできないでしょう?」

 

 「時を、斬るだと……!?」

 

 妖忌は茫然としていた。もはや抵抗することさえ忘れてあっけにとられている。時間を切るなんてそんなことができるはずがない。それはもう妖術とか魔法とか、そんな次元を超えている。まさしく神の領域。先日、妖怪として格上であるはずの俺と劣勢の状況で闘っているときでも、妖忌はあらゆるものを斬ってみせると言った。しかし今、妖忌がその言葉を口にすることはない。ただ、ぱくぱくと言葉にならない様子で口を動かすのみ。

 

 「あら、もう諦めちゃうの? 残念ね、やっぱり地上の妖怪なんてこの程度。じゃあ、さようなら」

 

 次の瞬間、妖忌は忽然と姿を消した。本当に瞬きもしないほどのわずかな時間の出来事。あとかたもなく、そこには何も残っていない。何が起こったのかさえ理解できない。

 

 「な、何をした!? 妖忌に何をした!?」

 

 「そんなに怒鳴らないで。ただ、地上に送り返しただけよ。殺すとここに余計な穢れが残るから」

 

 もう何も言えなかった。何の予備動作もない、術を行使する様子すら見せずに空一つを隔てた地上へと転移させた。それが本当なら抗うすべはない。あの八雲紫でも強力な能力と、半年近くに及ぶ壮大かつ緻密な術式と、満月がもたらす妖怪のポテンシャル上昇効果によってやっとのことで開通させた月と地上をつないだ道を一瞬で切り拓いたのだ。

 

 「それじゃ、そっちの妖怪も飛ばしちゃおうかしら」

 

 「いえ、こちらは私に任せてください。この妖怪に聞きたいこともありますし。それよりもお姉様は奥の妖怪たちの始末をお願いします」

 

 妖忌の相手をしていた月人は依姫の言葉にうなずいて、空へと飛びあがり、俺たちの妖怪軍がいる方へと消えていった。

 俺の前にいる月人はこれで一人になった。しかし、状況が好転したようには思えない。俺はどうやってこいつに対抗すればいい。何もかもが想像を超えている。数百年前、俺は輝夜の屋敷の前で月人を殺したが、あれが嘘のように思えてきた。これが戦闘に特化した月人の力なのか。超科学兵器など使わずとも、存在自体が反則ではないか。

 

 「さて、穢れに満ちた兎。これでわかったでしょ? あなたたちがどんなにあがこうと、私たちに勝つことはできない。私には理解できないわ。月の兎であるあなたなら、月人に刃向かうことの無謀さなどわかりきっているはずよ。もう一度聞くけど、なぜこんなことをしたの?」

 

 依姫はここが戦場であることを忘れているかのようにリラックスしている。俺の殺気に何の反応も示していないことがわかる。こいつにとって俺は警戒するにあたらない対象というわけだ。

 

 「勝てもしない戦争で得る利益を欲しがるなんて皮算用以下の愚鈍な思考よ。まさか、本当に月の侵略が目的だったの?」

 

 「違う」

 

 月侵略は俺にとってあくまで副次的な目的にすぎない。むしろ、利用しようとすら考えていたのだ。

 

 「そう。確か復讐と言っていたわね……月人に対して敵愾心を持つ兎は初めて見たわ。確かに月人は月の兎を奴隷として扱っている。でも、悪いようにしているつもりはないわ。むしろ、最大限の権利を保障していると思うけど。あなたはその待遇が不満なの?」

 

 「違う」

 

 依姫は、レイセンとか言う月のウサギのことについて話しだした。俺が服をはぎ取った玉兎だ。レイセンは依姫のペットだったらしい。依姫はいかに自分がレイセンをかわいがり、愛情を持って接してきたかを語り出す。月人と玉兎の友好的な関係がどのようなものか説明する。

 何の話だ。まるで、精神疾患に苦しむ患者をやさしく諭すカウンセラーのよう。圧倒的弱者に対する憐みにも似た庇護愛。俺のしぼんでいた憎悪が少しずつ熱を増していく。くそくらえだよ。

 

 「そんなに怖い顔をすることないでしょう? もしかして、種族的な団結意識というものかしら? ナショナリズムのようなもの? 奴隷解放とか考えてたりするの? きっと、地上の穢れに冒されて頭がおかしくなっているのよ。大丈夫、ここで生活すればすぐによくなるわ。他の月の兎のお友達もたくさんできるだろうし……」

 

 「違う!」

 

 ああ、そうだ。俺は何を余計なことを考えている。月の侵略? 月人への反抗? 奴隷玉兎の開放? そんなことはどうでもいい。

 月の開拓から数億年、その間に玉兎と月人の関係が安定することは当然だ。かたや強大な科学力を持った人間、かたや非力な兎の妖怪。玉兎が生き残るためには、人間に飼われる以外の道はない。家畜と一緒だ。人間に庇護されているがゆえに自然界の淘汰から生き残り、種を残すことができる。たとえ意思を持った家畜であろうと、数億年というとてつもない時間があれば人間への反抗心など進化の過程で捨て去ることもできるかもしれない。もとより、玉兎にそのような感情を持つことは生まれながらにして許されていないのだ。ウサギ耳型インターフェースによって。

 では、その事実が俺にとってどのような意味を持つのか。何の意味もない。月人と玉兎が仲良く平和に月で暮らしているのなら、それに口を出す気もない。その円満で幸せな関係を続ければいい。

 だから思い出せ。俺は何のためにここに来た。

 

 「ああ、そうだ。実に簡単な答えじゃねえか!」

 

 すべては永琳への復讐のために。

 俺がちっぽけな玉兎だろうと、目の前の敵が強大な月人だろうと、構わない。だからどうした。種族としての力の差など、関係ない。

 永琳は強いんだ。今の俺では戦いに持ち込むことすら絶望的なほどに。最初からわかってたことじゃないか。こんなところで怖じけづいてどうする。立ち止まってどうする!

 ただ復讐のためだけに。俺はそのためにここへ来た。後はただ、抗うのみ。

 俺は狂気を体に巡らせた。

 


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