88話「井の外の蛙」
俺に鋭い視線が集まる。顔をしっかり見られるとバレるかもしれないので、できるだけ注目を服に集めておこう。さあ、俺は間抜けにも敵に捕まってしまった哀れなウサギちゃんですよ~。
「……嘘ね」
速攻でバレました。なぜだ。
「月の兎がそんな穢れまみれなわけないでしょう」
そうか、穢れか。確か月人は穢れに敏感らしいな。俺には何のことだか皆目不明だが、俺は幽々子いわく結構穢れているみたいなので、月人にはすぐに地上の妖怪だと判別がついたのだろう。
「それにその服はレイセンのものみたいね。あーあ、知らないわよ。レイセンは依姫のお気に入りの子だったのに」
そう言って金髪少女はくすくす笑う。もう一人のポニテ少女は憮然とした顔をしていた。レイセンというのは、この服の元の持ち主である玉兎のことか。俺の目の前で気絶したあのウサギだ。当分意識は戻りそうになかったので、服をはぎ取ってその辺に転がしておいた。めんどくさかったので殺してはいない。紫が妖怪軍の立て直しに成功していれば、今ごろあの辺りの制圧は終わっているはずだ。だから、もしかしたら他の妖怪に殺されてしまったかもしれないが。
「なーんだ、もうバレちゃったか。ま、良いけどね。どうせ戦うことになるわけだし」
態度を急変させた俺にポニテ少女が剣を向ける。殺気の大きさが増しているようだ。もしや、こいつが依姫とか言う奴なのだろうか。
「私たちは“月の使者”代表、綿月の者。あなたたちの目的は何?」
「戦争を仕掛ける目的なんざ決まってるさ。利益のためだ。他者を食いつぶし、手っ取り早く甘い汁をすする。お綺麗な大義名分なんか掲げる気はないぜ。ひひ」
「愚かなことを。たったそれだけのために命を捨てに来たの?」
「いや、個人的にはそんなことはどうでもいいんだ。なんたって俺は一兵士にすぎないわけだし。要は復讐だよ。この一言に尽きるね」
俺は自分を縛る鎖からするりと抜けだし、バク転しながら甲羅を素早く装着する。
「まさか地上の妖怪を月に手引きした玉兎がいたなんて、思いもしなかったわ。降伏しなさい。今なら全員、命だけは助けてあげる」
「はあ! わざわざ月まで侵略しに来た俺たちに降伏しろと? しかも殺さないでいただけるなんて月人様はなんてお優しいのでしょう! 人情味に溢れすぎて笑っちゃう!」
「……清浄なるこの地に穢れを持ちこんだ時点で、あなたたちが大罪人であることにかわりはない。あなたたちを全滅させることは簡単だけど、無用な殺生は新たな穢れを生む。この地で不浄な死体を晒してもらっても困るから言っているのよ」
「お前は的外れなことを言ってるぜ。御託はいい。ここは戦場だ」
「……ふふ、あははっ!」
急に笑い出す金髪月人少女。俺って、何か面白いこと言っただろうか。
「あなたみたいな月の兎には初めて会ったわ。面白いのね」
「そうかい」
「これ以上話をしても無駄みたいだから、適当に片づけちゃいましょう。ね、依姫」
「はい、お姉様」
ポニテ少女の名前は依姫か。俺は依姫に殺気を向けられている。おそらく、レイセンを殺されたとでも思っているのだろう。そうそうそういう感情だよ。それが戦争ってもんだ。自然、俺は依姫を相手取ることになるだろう。妖忌にはもう一人の方を任せよう。俺は短剣を抜き、妖忌に目くばせする。
「悪いが、お前たちは俺の眼中にねえ。モブキャラにはさっさと退場してもらうぜ!」
「旗鼓の間に相見ゆや、人斬り無情。申し訳ありません、辻斬らせていただきます」
俺と妖忌は同時に駆けだした。
* * *
芸がないが、遊ぶ気もない。速攻できめる。
「殺法『黒兎空跳』」
俺は妖力の足場を蹴り、一瞬で依姫に接近。俺の速度に反応すらできなかったのか、無表情で前を見つめたままぼけっとしている。あっけない最期だったな。
「『黒兎核狩』!」
俺は短剣を振るった。妖力を乗せた刃は、斬撃が伸びる。この攻撃を防御することも、かわすことはできない。いや、防御する間さえ与えないこの高速攻撃に対処することなどできるはずが
バキッ
ひゅんひゅんと何かが飛んだ。かちゃりと地面に金属質な音を立てて落ちたのは、折れた刀身。依姫の剣ではない。俺の短剣が中ほどから真っ二つに折られていた。気づけば、いつの間にか俺の剣と交わる依姫の剣。俺の攻撃は防御されていた。
すぐに『黒兎空跳』で距離をとる。依姫からの追撃はない。
「俺の攻撃を初見で見切るとはやるな! さすが月人だ、次は本気でいくぜ! 殺法『虚眼遁術』!」
依姫の注目を操作し、強制的に俺から目をそらさせる。その一瞬の隙が命取りだ。俺は依姫の刀を持つ手とは逆側の側面に移動する。ここなら防御はできまい。依姫はあらぬ方向を見ている。それだけの隙があれば、瞬殺できる。
「殺法『狩跳連結・黒兎鎖……
ブシュ
衝撃に体がよろめく。熱い。見ると、俺の胸がざっくりと斬られていた。甲羅を着ているのに。俺の甲羅は。え、ちょっと待って。理解できない。
「ねえ、なんでいちいち技名を叫ぶの? その隙に20回くらいは斬り刻めるんだけど」
開いた口がふさがらない。俺は悪い夢でも見ているのか。そうだ、これはきっとこいつの能力に違いない。何か、とんでもない『程度の能力』を持っているのだ。
「お、お前の持っている能力はなんだ!?」
「……それを普通教えると思う? まあ、いいけど。私の能力は『神降ろしをする程度の能力』。八百万の神の力を借りることができる。つまり800万の神の技を使えるということよ」
「……」
絶句。なんだそれ。
「と言っても、今使っている力は祇園様の剣を呼びだしているだけだから、実質能力なんて使ってないんだけどね。見せてあげようか?」
そう言って、依姫は剣を地面に突き刺す。すると、俺の周囲を取り囲むように地面から無数の刃が生えてくる。
依姫は女神を閉じ込める祇園様の力と言った。祇園とは神道においてはスサノオのことである。その剣はあの有名なヤマタノオロチを仕留めるほどのもの。超一級の神器である。俺の短剣が打ち負けたのは何とか理解できる。
だが、剣は剣でしかない。どんな力を持った妖刀だろうと、使い手がボンクラならなまくら刀も同然だ。“祇園様の力”とは捕縛系の技であり、依姫の剣術の腕とは関係がない。
「なら、どうやって俺の攻撃を防いだって言うんだ!」
「何を言っているの? 単純にあなたのスピードよりも私の方が速く動けるというだけの話よ」