85話「アナザー・サイド・レイセン」
「レイセン、なかなかいい動きだったわ」
「はい! ありがとうございます!」
今日の訓練が終わった。依姫様からお褒めの言葉をいただく。
私の名はレイセン。月の兎である。綿月のお屋敷で飼われているペットだ。私の飼主である豊姫様と依姫様は月の都の市民、しかも“月の使者”という重役に就いているとても偉い方々である。
「あなたたちも少しはレイセンを見習って、訓練に身を入れなさい」
「「「はーい」」」
他の兎たちは、気のない返事をするばかりだ。この兎たちも綿月の屋敷のペットである。私も含め、この兎たちが月の防衛隊員だ。
月の都には正式な軍というものがない。なぜなら、敵がいないからだ。唯一、地球に住む者たちが我々に接触を図る可能性はあるが、地上と月との文明の差は歴然。地上人が月の都の軍事力に敵うはずがない。だが、まったく対策をしないわけにもいかないので、月の防衛の仕事は“月の使者”の管轄となっている。“月の使者”は地上の監視を司る部門だ。地上に不穏な動きがないか、常に目を光らせている。また、地上への降臨を許された権限を持っている。
月の兎は都市民の奴隷的立場にある。誰しもが何らかの役目を与えられるのだ。だが、月の防衛隊という役目は、数ある仕事の中でも一二を争う人気のなさだ。どうせ月の都の文明に地上人が勝てるわけがないのだから、きつい思いまでして訓練をすることは不毛だと思う兎たちが多いようである。実際、私たちは一度も実戦を経験していない。
そのため、依姫様は素行の悪い兎たちを無理やり集めて、半ば教育しなおす目的で防衛隊の訓練にあたらせている。やる気のない兎が多く、ときには脱走する者までいる。そんな兎たちにはきついおしおきが待っているのだが。
でも、今まではそれでも問題なかったのだ。訓練はあくまで形だけのものであって、戦争など起こるはずもない。それが月の兎たちの共通認識だった。
今までは。
* * *
訓練を終えた私たちは更衣室へと向かう。
最近、訓練のプログラムが変わった。実戦的な訓練よりも、ウォーミングアップというか、いつでも出動できるように体調を整える内容になっている。依姫様から詳しい情報は聞かされていない。ただ、近々戦闘が起こるかもしれないということだけは教えられた。
一部の兎はパニックを起こしている。戦闘があるということは、地上人との接触の可能性が生まれたということだ。防衛隊は真っ先に前線に立たされることになる。実戦の経験などない私たちがどこまで戦えるのだろうか。不安で仕方がなかった。
「レイセンちゃん、元気だしなよ」
同僚の兎が慰めてくれる。
「レイセンは防衛隊のエースなんだ。戦いになっても余裕で勝てるって」
「そうそう、レイセンちゃんの能力があれば心配いらないよ」
私は、防衛隊の中でもただ一人の能力持ちである。妖力も頭一つ抜きん出ている。そんな私が弱気になってどうするんだ。防衛隊のエースとして、みんなを引っ張っていかないと。
「みんな、ありがとう……うん、ガンバろうね!」
依姫様と豊姫様は、私が幼いころから面倒を見てくれたご主人様だ。この防衛隊という仕事を与えられ、これまで訓練を重ねてきた。その職務を全うするときが今なのだ。お二方の恩義に応えるためにも、私は全力で任務にあたろう。
ジリリリリリリ!
そのとき、室内にけたたましい警報音が鳴り響いた。これは緊急招集の合図だ。私たちの間に緊張が走る。
『全防衛隊員に告げる。作戦コードA発動。直ちに装備を整え、広場に集合。整列して次の命令を待て』
ついに戦局が動いた。私たちは慌てて準備に取り掛かる。
支給品の隊服であるブレザーを着て、小銃のホルダーを肩にかける。この小銃は、妖力弾の発射を補助する機能が付いている。月の兎は保有妖力が少ない者が多いので、こういった機器を使わないと弾幕が撃てないのだ。私は補助なしで弾幕を撃てるほどの妖力があるが、この小銃には弾にホーミング効果や散弾効果をつけるなどの様々な機能がついており、消費妖力も格段に節約できるので使い勝手が良い。ただ、月の都ではこの弾幕がチカチカ光って目に痛いと苦情があがっているようで、銃身を取り外して代わりに銃剣を取り付けた物を防衛隊の正式な装備にする法案が可決するようである。
そして、背中に飛行制御スラスターを背負う。これは、妖力が少なく飛行術をうまく使えない月の兎のために作られた飛行補助装置である。人工重力からの干渉を部分的になくし、ジェットエンジンによって高速で空中を移動することができる。また、AIによる自動体勢制御機能もついており、どれだけスピードを出しても振り回されることはない。ただ、月の都では兎たちがびゅんびゅん空を飛びまわると景観を損なうと苦情があがっているようで、この装備は廃止する法案が可決するようである。
そして、最後にヘルメットをかぶった。これは、普通のヘルメットである。頭頂部にウサギ耳型インターフェースを通す穴が開いている。
装備を確認した私たちは更衣室を後にした。命令の通り、屋敷の前の広場に整列する。いつもはふざけておしゃべりする者やサボる者が多いのだが、今日に限ってはそんな不届き者はいなかった。しばらくして、依姫様がやってくる。
「全員集まったようね。状況を説明します。10分前、“静かの海”に多数の妖力反応が検出されました。地上の妖怪が月の裏側に侵入したようです」
兎たちがざわつきだす。本当に敵がやってきたのだ。どれだけ月の軍事力を過信しようと、この不安はぬぐえない。
「静まりなさい。中枢区の判断は、敵戦力の収集を最優先として防衛隊を最前線に配置することに決定しました。隊員はできる限り、敵の足止めを行うように。可能なら殲滅しなさい。情報収集の後、私とお姉様が加勢します」
依姫様の姉君が豊姫様である。このお二方が月の使者のトップであり、その支部の一つである月の防衛隊の指揮官ということになる。綿月は月の都の歴史に古くから関わる名家であり、その力は中枢区にも大きな影響を持つ。それは権力にとどまらず、武力においても有名なのだ。
その綿月の当主である姉妹が本気を出せば、地上からの侵略者など物の数ではない。だから、その力が防衛隊員の安心の一因にもなっていたのだ。
「以上です。質問はありますか?」
「あ、あの、依姫様が最初から戦闘に加わることはない、ということですか?」
「先ほど言った通りです。地上の妖怪が月へ侵攻してくるというかつてない事態なので、より詳細なデータを集める必要があります。このような事態が二度と起きないようにするためにも、情報収集は必要です。あなたたちにはそのための時間を稼いでもらいます」
兎たちは顔を青くして黙り込んでしまった。月での生活は楽しい。普段は月の兎たちもゆったりのんびりと自由に生きているのだ。だからこそ、こういうときに身にしみて実感する。私たちは奴隷だ。真っ先に戦地に送られることは当然と言える。
「……そう心配しなくてもいいわよ。あなたたちの実力はちゃんと把握してるから。手に負えないようだったら、早々に切り上げて加勢するわ」
依姫様は苦笑しながらそう告げた。私たちは安堵のため息をつく。しかし、その緩んだ雰囲気を引き締めるかのように、依姫様は口調を正した。
「では、これより作戦実行に移ります」
兎たちはビシリと一斉に敬礼し、空に向かって飛び立った。
* * *
『こちらラビット・ワン。間もなく敵勢力の確認可能区域に入る』
スラスターの出力を上げ、最大加速で敵勢力に接近する。
月の都の真裏に位置する“静かの海”は、地上に最も近い場所である。そのため、月の裏側の中では穢れが集まりやすく、月人が近づかない場所だ。地上の妖怪たちがここに出現したのも、納得できる。
その数はこちらの予想を遥かに上回っていた。ここから視認できるだけも数百はくだらない。海からは、まだまだ妖怪たちが次々に浮き上がってくる。これは気合いを入れなければ。
『敵勢力を確認。オペレーション、トライアングルシールの実行に入る。バニー、ヘアー、各小隊は散開し、指定の地点で準備にあたれ』
『了解!』
私はラビット小隊の隊長として、他の小隊に無線で連絡を取る。この無線は、ウサギ耳型インターフェースを利用した妖力磁場ネットワークによっていつでもどこでも他の月の兎たちと連絡がとれるという便利なものだ。
今回の作戦はオペレーション名トライアングルシールである。敵の数が少なければ、このまま正面から突撃してもよかったが、もはやその力押しが通じる相手ではないとわかる。この作戦は、三つの小隊が三角形を描く形ですべての敵を囲みこみ、特殊な兵器を用いて無力化する。
使用する兵器は『妖力過活性化電磁波発生装置』、通称MEAM(Magic power Excess Activation Machine)である。これは効果範囲内の対象の体内妖力を振動させ、急激な体調不良と精神破壊を行う強力な兵器だ。妖力を持たない者には効果がないが、妖怪に対しては抜群の鎮圧力を誇る。
この電磁波攻撃を三方向から囲い込むように放つことで、この妖怪の大群の動きを封じる。後はMEAMを死守しながら、豊姫様と依姫様が来るまで粘れば私たちの勝利だ。まあ、地上の妖怪がこの攻撃に耐えられるはずもない。作戦が成功すれば、直接交戦せずとも決着はつく。
海から上がった妖怪の大群は、森に向かって進軍は始めている。急いで任務を遂行しないと。
『こちらヘアー・ワン、目的地点に到達』
『こちらバニー・ワン、目的地点に到達』
他の小隊は問題なく指定地点に着いたようだ。私たちの小隊は一番遠い地点を受け持っている。他の隊と違い、敵に見つかる可能性も高いため、大きく迂回しなければならず、少し手間取っていた。しかし、無事に発見されることなく森の木々に隠れながら低空飛行で目的地を目指す。
『……ラビット・ワン、目的地点に到達。各小隊は、MEAMの展開準備に入れ』
『バニー・ワン、展開準備完了』
『ヘアー・ワン、展開準備完了』
『了解。これよりMEAMを起動する。カウントダウン開始、5、4、3……』
「はぁい♪ こんばんわ~」
「!?」
突如として聞こえた声。私は素早く小銃を構え、周囲を警戒する。
『ど、どうしたの? 何があったの!?』
『敵に見つかったのか!?』
敵の姿は見えない。しかし、確かに声は聞こえた。どこにいる。カウントダウンを途中で止めた私に他の小隊長から無線が入るが、それに構っている余裕はなかった。緊張しすぎている。落ちつかないと。冷静に対処するんだ。
「きゃああああ!」
そのとき、仲間の一人が悲鳴を上げた。何事かと目を向けると、隊員の一人が何かに“食われていた”。何もない空中に、ぽっかりと口のように開いた裂け目。そのスキマにみるみる飲みこまれていく。
「助け……!」
そして、その助けを求める手は空をつかんだきり、無情にもスキマの中へ消えていった。私はその光景を呆然と見つめることしかできない。
だが、背後にがさりと何かが動くわずかな音が聞こえた。その音を聞いて、はっと我に帰る。
「後ろに、後ろにっ、敵がいるぞ!」
森の草陰の中に向かって、隊員たちが小銃による妖力弾を発射した。しかし、相手の姿は見えない。滅茶苦茶に掃射したところで捉えきることができるのか。
その不安は見事的中し、草陰から人影が躍り出た。弾幕の雨の中を真っ直ぐにこちらに向かって走ってくる。なぜか、その影が動く軌道上の弾幕がはじかれる。その直進を妨げることができない。
「う、うわああああっ!」
「斬り捨て御免」
銃を撃っていた隊員の体が血しぶきに染まった。何が起こったのか理解できたのは、その敵らしき人影を確認してからのことだった。
それは若い男の姿をしていた。だがおそらく、妖怪だ。手に持つ刀には、今しがた斬った隊員の血がべっとりついている。男はまるで平然とした顔をしていた。誰かを殺すということに微塵の躊躇もないその表情。仲間が死んだことよりも、この妖怪の残酷さに戦慄する。これが地上の妖怪なのか。
かたかたと手が震える。改めて認識した。これが戦争なのだ。一切の甘えは許されない。判断を誤れば死が待つのみ。小銃を握る手に力を込める。
「MEAMを早く起動して! 『各小隊、すぐにMEAMを起動せよ!』」
恐慌を起こしかけていた隊員たちは、私の声を聞いてすぐさま作戦の続行に移った。敵はこちらのスペックを遥かに上回っている。まともに相手をして勝てる敵ではない。この局面を切り抜けるためには、当初の作戦を実行するより他に手はないことは明白だ。
「何をしているのか知りませんが、とりあえず邪魔させてもらいますよ」
だが、目の前の敵がそれを許さない。腰に差していたもう一本の剣を抜き、二刀流の構えをとる。勝てる相手かわからないが、私が相手をして時間を稼ぐしかない。
「いざ、尋常に……」
キィィィィン!
しかし、幸運にも好機が巡ってきた。他の二つの小隊が、MEAMを起動したのだ。作戦は、三方向からの電磁波照射による妖怪軍の無効化。ぎりぎりだが、この場所も他の二つのMEAMの効果範囲に入っている。
「ぐっ!? こ、これはいったい……!」
剣士の妖怪は頭を抱えて膝をつく。そして、私の隊が受け持つMEAMも起動した。これで作戦は完成する。
「ぐ、ああああっ!?」
この近距離から電磁波を浴びれば、この妖怪もただでは済むまい。私たち月の兎は、インターフェースに内蔵された中和装置があるおかげで、この電磁波に苦しめられることはない。
なんとか間に合った。張りつめていた緊張の糸が切れる。どれだけきつい訓練をした日でも、ここまで疲れが出たことはなかった。戦場の厳しさを実感する。
「各隊員は、周辺状況の確認にあたって。まだ他に敵がいるはずだから」
異変の最初に聞こえた声は女性のものだった。ということは、剣士妖怪とは別に妖怪が付近に潜んでいることになる。仲間の一人を飲みこんだ得体の知れない攻撃も、この剣士の仕業だと断定することはできない。いくらMEAMがあるからと言って、あの攻撃が二度と来ないとは限らないのだ。十分警戒しなければ。
私は自分の能力を行使する。私の能力は『狂気を操る程度の能力』である。正確には、物事の“波”を操る。相手の感情の波を操作することで、自由に気を狂わせることができるのだ。感情の波長を長くすれば暢気になり、短くすれば狂気になる。この能力はMEAMの効果と相性がいい。この兵器は電磁波を利用しているからだ。MEAM使用中なら、私の能力を存分に発揮できる。
波を操るということは、光や音の波長までをも自在に操作できるということになる。それに加えて私自身、この能力を持つ性質上、これらの波を敏感に察知できる。よって、レーダーの原理を応用して広範囲の正確な索敵を行うことも可能なのだ。
(索敵開始……え?)
索敵を始めた直後に感じた違和感。なぜか、私の目の前に一人の少女の姿が映った。今までそこには誰もいなかったはず、いや、私がいないと思いこんでいただけで、実はいたのだろうか。
しかし、その少女は見過ごすというには余りにも目につきやすい格好をしている。不格好な緑色の鎧のようなものを身につけていた。だが、この不審な少女は何者なのか。少なくとも敵ではないと言うことはわかる。彼女は月の兎だったからだ。
「あれ、バレたか」
「あなたはここで何をしているのですか? どこの所属の者です?」
私はネットワークに接続して、この兎の詳細を調べる。インターフェースを通して、お互いの情報をやり取りすることができるのだ。だから、調べればすぐにこの兎が何者かわかるだろう。
『個体番号0000-0082-X』
なんだこれは。こんな初期型の個体バージョンは初めて見る。いや、絶対におかしい。古すぎる。いったい何世代前の型番号だ。これが事実だとすれば、月の都が作られた当初から存在する最古の月の兎ということになる。もう数億年も昔のことだ。種族的な私たちの耐用年数を超えている。何かのバグだろうか。
『開発元:mゼei寰礪aoサニzc酇h饇bp欉ラ璱臈wm麋
特別命令権者指定:八意××
>データガアリマセン。
>閲覧ガ制限サレテイマス。
>コノ個体ハ違法ナ改造ガ施サレテイマス。直チニ管理局ニ届出ヲ行ツテクダサイ。
>ゲロ?』
気持ち悪い。何か、私は踏み込んではいけないところに来ている気がする。それが何か具体的に言及できないが、とにかくまずい。
「どうした同志、随分気分が悪そうだな」
ウサギが私を気遣わしげに見てくる。だが、その瞳はどこまでも暗い。この穢れた“静かの海”の底よりなお汚く澱んだ真っ黒な目。そこに友好的な感情は一つもない。この波長は。
「そんな、あり、えな……」
短すぎる。波ですらない点の集まり。ぶつ切りの細切れにされた精神。それを塗りつぶす狂気と憎悪。ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた、魔女の大鍋の中身を覗きこんでしまった。それを見てはいけなかった。
『ネットワークノ接続ニエラーガ発生シマシgerogeroスグニ遮断geroデータヲ受け取gerogerogeogero破損gerogerogゲロeorgeorgeorgeorgeoゲロrgeorgeorgeorgeorgeorgeorgeoゲrgeorgo』
だ、め、みた、ら、おかっ、おかか、かか、かかかかかかかかかかかかかかかかか