84話「ダブルムーン」
満月の光がこぼれる。深い森の奥、結界に隠された闇に集まる妖怪たち。そこは人間の目の届かない魑魅魍魎の世界と化していた。
今日はお祭りだ。月の光は妖怪の力を奮い立たせる。満月の日は、その不思議な力の影響を最も受けやすい夜となる。それだけなら浮かれた妖怪たちが思い思いの騒ぎを起こす程度のことだが、今日は違った。なぜなら、ここに集った妖怪の数は千匹。まさしく、百鬼夜行が執り行われようとしている。
「はあ、いい気なもんだな」
鬼火がただよい怪しく明るい森の中、妖怪たちが飲めや歌えの大宴会を開いていた。これから月に乗り込むというのに、緊張感のかけらもない連中である。奴らにとっては、月に攻め込んで技術を奪うなどという目的などどうでもいいのだ。そんな雲をつかむような話よりも、ただ暴れたい、それだけのためにここに来たようなものだろう。
「戦う前に酔っぱらって潰れたりされたんじゃたまらない。紫、お前が総大将なんだから、なんとか言ってくれよ」
「無理よ。まあ、きっちり仕切るより、好きにやらせた方が士気もあがると思うわ」
紫が俺の隣で笑う。八雲紫がこの妖怪軍のトップである。もともとこの妖怪たちは、紫に誘われて月面戦争に参加の意を示したのだ。それに、上に立つ者としての実力は折り紙つきである。指揮は紫を除いて、他の妖怪に務まるとは思えない。と言っても、血気盛んな妖怪たちが誰かの言うことを聞くなんて始めから思っていないが。この調子では、知略を尽くした緻密な作戦など行えそうにない。かなり大雑把な作戦になるのだろうが、そのあたりのことは紫に任せよう。俺のない脳みそをこねまわす必要はない。
「葉裏様はもう準備万端のようですね」
妖忌もすぐそばにいる。その言葉の通り、俺のバトルコスチュームの用意は整えてある。甲羅を装着し、腰には短剣を差した。今日ばかりは、手を抜くつもりはない。甲羅もしっかりと装備した状態である。
そういう妖忌も、腰に二本の刀を差していた。いずれも強い力を感じる。妖刀と言われる類のものに違いない。これが妖忌の本来の武器というわけか。なるほど、斬れぬものなどないと豪語するだけのことはある。
「お土産、よろしくね」
「観光に行くんじゃねえぞ」
相変わらずマイペースな幽々子は、妖怪たちの宴会に便乗してすでに月見を始めている。妖忌に作らせておいた大量の月見団子を抱えており、こちらも装備は万全の様子だ。
「はいこれ」
「なんだ?」
唐突に幽々子が何か渡してきた。それは小さな紙きれだった。二枚ある。よく見ると、びっしりと文字が書かれた符だ。
「藍が妖怪たちに配ってたわ。精神攻撃対策らしいけど」
使い方は丸めて耳の穴に詰め込むだけ。はっきり言ってこんなオモチャで対抗できるとは思えないが、ないよりマシか。なにより、藍がせっかく作ってくれた物だ。全部の妖怪に行きわたるようにするためには、二千枚もの符を作らなくてはならない。どれだけの労力をかけたかわかるというものだ。どうせ、紫はたいして手伝っていないだろう。
「紫様、準備が整いました」
その藍はというと、池のほとりに結跏趺坐の姿勢で座りこんでいる。その足元の陣からは、いくつもの術式回路が伸び、池を取り囲んでいた。ありえないほど複雑な術式である。俺には到底理解できそうにない。藍も固く目を閉じて涼しいこの時期に玉の汗をかいて集中しているので、簡単に扱える術ではないとわかる。偽の月と本物の月を結ぶのは紫の役目だが、いくら紫でも千匹もの妖怪を月まで送ることは骨の折れる仕事である。藍はそのサポートに徹するようだ。確実に月に行き来できるだけの通路を維持し続ける。また、万が一の時のことも考えた退路確保要員でもある。
そして、ついに術を発動させる用意が終わったようだ。いよいよ、月への出陣である。
「それじゃあ、出発の号令を……かけても、誰も聞きいてないでしょうね」
紫がため息をつく。妖怪たちは宴もたけなわといった様子で騒いでいた。その一人一人がそれなりに名の知れた妖怪ばかりである。もし、ここに人間がいたら泡を吹いて卒倒しているところだろう。この見るからにクセのつよい豪傑どもが、人の話を黙って聞くとは思えない。
俺はぱんぱんと手を叩いて、紫にこの場のすべての『注目を集めた』。妖怪たちは自然にこちらに目を向け始める。
「あら、気がきくのね」
「出発前に一発くらい気合い入れとかんと締まらんだろ」
ちょうどおあつらえ向きの能力だ。この程度のことは息をするより楽にできる。
「長ったらしい口上なんて面倒だし、あなたたちはどうせ真面目に耳を傾けることなどしないでしょう。これから、私たちは月へ行きます。難しいことは言いません。空に輝くあの月を、地上に落とす勢いで思う存分暴れなさい」
妖怪たちは地を揺るがすような咆哮をあげる。そして、我先にと池の水の中へ飛び込んでいった。かき乱される水鏡。しかし、その水面に映る月は形を変えない。その月は、一時的だがこの瞬間、本物の月と同一のものになっているのだ。
偽の月が大きくひろがる。池の水面を覆い尽くすほど大きくなる。その光の穴に、妖怪たちは吸い込まれていく。
さあ、戦争の始まりだ。俺はベレー帽をかぶり直す。
「いや、必要ないか」
ウサ耳を隠す必要はないのだ。俺は玉兎として月人に戦いを挑む。むしろ、見せつけてやれ。それが俺の本性だ。このきったねえウサ耳見せびらかして、ゲロ吐かせてやる!
「げひ、げひひひ……」
『geeeeeRoGero!』
俺は池の中へ飛び込んだ。




